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第1―1話

その家には人間と豚と犬と鶏とアヒルが住んでいたが、全く、住む建物も各々の食物も殆ど変わっていやしない。 物置のようなひん曲がった建物があって、階下には主人とその弟子、天井裏には母と娘が間借りしていて、この娘は相手の分からぬ子供を孕んでいる。 羽鳥芳雪の借りている一室は母屋から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の娘が寝ていたそうだが、肺病の豚にも贅沢すぎる小屋ではない。 それでも押し入れと便所と戸棚がついていた。 主人の桐嶋禅は仕立屋で町内のお針の先生などもやり、それ故肺病の娘を別の小屋へ入れたのだが、町会の役員などもやっている。 間借りの娘は元来町会の事務員だったが、町会事務所に寝泊まりしていて町会長と仕立屋桐嶋を除いた他の十数人いる役員全部の者と公平に関係を結んだそうで、そのうち誰かの種を宿したわけだ。 そこで町会の役員共が醵金してこの屋根裏で子供の始末をつけさせようというのだが、世間は無駄がないもので、役員のひとりに豆腐屋がいて、この男だけ娘が妊娠してこの屋根裏に潜んだ後も通ってきて、結局娘はこの男の妾のように決まってしまった。 他の役員共はこれが分かるとさっそく醵金をやめてしまい、この分かれ目の一ヶ月分の生活費は豆腐屋が負担すべきだと主張して、ひとり当たり金五円の支払いに応じない八百屋と時計屋と地主と何だか7、8人あり娘は今に至るまで地団駄ふんでいる。 この娘は大きな口と大きな二つの眼の玉をつけていて、そのくせひどく痩せこけていた。 アヒルを嫌って、鶏にだけ食物の残りをやろうとするのだが、アヒルが横から巻き上げるので、毎日腹を立ててアヒルを追っかけている。 大きな腹と尻を前後に突きだして奇妙な直立の姿勢で走る格好がアヒルに似ているのであった。 この露地の出口に煙草屋があって、55という婆さんが白粉つけて住んでおり、7人目とか8人目とかの情夫を追い出して、その代わりを中年の坊主にしようかやはり中年の何屋だかにしようかと煩悶中のよしであり、若い男が裏口から煙草を買いに行くと但し闇値だが幾つか売ってくれる由で、羽鳥を『先生』と呼ぶ仕立屋桐嶋が「先生も裏口から行ってごらんなさい」と言うのだが、生憎羽鳥は勤め先で特配があるので、婆さんの世話にならずに済んでいた。 ところがその筋向かいの米の配給所の裏手に小金を握った未亡人が住んでいて、職工の兄と妹の二人の子供があるのだが、この真実の兄弟が夫婦の関係を結んでいる。 けれども未亡人は結局その方が安上がりだと黙認しているうちに、兄の方に女ができた。 そこで妹の方を片付ける必要があって、親戚に当たる50とか60とかの老人のところへ嫁入りということになり、妹は猫イラズを飲んだ。 飲んでおいて仕立屋桐嶋へお稽古に来て苦しみ始め、結局死んでしまったが、その時町内の医者が心臓麻痺の診断書をくれて、話はそのまま消えてしまった。 「え? どの医者がそんな便利な診断書をくれるんですか」 と羽鳥が仰天して桐嶋に訊ねると、桐嶋の方が呆気にとられた面持ちで 「なんですか、よそじゃそうじゃないんですか」 と訊いた。

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