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第2話

この屋敷に来たのは清彦が大学四年、猛暑が続く暑い夏の日だった。就職も決まりバイトに明け暮れていた時、一人の老紳士に声を掛けられたのが始まりだった。 『母親を亡くした三歳の男の子を育てて頂けないだろうか』 とんでもない話に体を仰け反らせ、掌も首も左右に振った。 子供を育てる。勿論、独身の清彦は子供を育てたことはない。そんな未知の世界をどうして清彦に持ちかけるのか。 胡散臭い紳士の話を聞き終えた頃には清彦は「一度会ってみよう」という気持ちになっていた。 親の愛情を貰えない子。 それは清彦も同じ境遇だったからかもしれない。記憶もない頃に両親は離婚し、それぞれ再婚をした。親に捨てられた清彦は父方の祖父母に育てられたのだ。 生活には不自由がないのは顔も覚えていない両親に与えられたものじゃない。 厳しい祖父と優しい祖母に昭和の漢のように育てられた。祖父が亡くなり後を追うように祖母が亡くなった今、相続し一生遊んで暮らせる金に目もくれずバイトに明け暮れていた。 一人で生きていくその覚悟をした矢先、教師だった祖父と親交があったのだと老紳士に声を掛けられたのだった。 目の前に現れた小さな男の子。か細く色白で笑わない子。老紳士の後ろに隠れ、視線だけを向け威嚇でもするかのように睨んでいた。その子の目線に座り目一杯の笑顔を見せ、清彦は声をかけた。 庇護欲、それもあったかもしれない。それ以上に琥珀色をした綺麗な瞳に惹き寄せられ、清彦は名乗りながら手を広げた。 「清彦って言います。柾樹君よろしくね」 ただ抱きしめたいと思った。同じ境遇のこの子と何かを分かち合いたかったのかもしれない。 後ずさった柾樹は何かを考え老紳士を見上げた後、ゆっくりと清彦の胸に飛び込んだ。 その抱きしめた小さい身体から伝わる体温と、耳元で「よろしく」と囁いた幼言葉(おさなことば)が胸が熱くした。 祖父母が与えてくれた愛情のように、自分がこの子に与えてやりたい、模索しながらでもこの子といたい、そんな人生もいいのではないかと。 清彦は湧き上がるものを腕に込め抱きしめていた。

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