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第1話
薄暗い部屋の中を、珍しく落ち着きをすっかり失くした京介が朝からうろついている。まるでクリスマスと正月が一緒に来るのかって騒ぎだ。できればもう一日を締めくくりたいくらいの疲弊しきった身体を起こして、そんな奴の後ろ姿を視線で追った。
「ああ、待ち遠しいなあ。早く来ないかな」
まるで言葉すら子どものようだ。目をキラキラとさせて年甲斐もなくはしゃいでいる。心底どうでもいいし、関わりたくないが、ああやってこれ見よがしに騒いでいるときは要するに構えってことだ。ここで構わないと後が余計に面倒になることはわかりきっている。はあ、と大げさにため息をついて、大量の体液でぬるついた内腿を適当な掛布で拭った。どうせすぐに洗濯屋がもっていくんだ。いくらでも汚れてしまえと高級そうな刺繍のあるそれをぽいと床に放り、漸く億劫ながらも言葉を放つことにした。
「…何が?」
「ん?」
「………だから何がそんなに楽しみなんだよ……」
大げさに振り返って、さも もっと知りたそうにしろ とでも言いたげな表情に、リクエスト通りの言葉を返してやった。面倒くさい女かお前はと突っ込みたくなるが、最早面倒くさいを通り越して鬱陶しい。考えれば考えるほどその感情は蓄積されることはわかりきっているのだから、考えるのはやめた。どうせこいつが満足するまで何に付けても逃げられないのだから、茶番にだって付き合ってやる。むしろそれで気が紛れて、昼も夜もない忌まわしい行為から解放されるなら儲けものだ。
もう一つ大きなため息をついたとたんに、せっかく拭った内腿にまた体液が伝って、気力すらも萎え切ってしまう。もうなんだっていい…。
「うふふ、聞きたい?聞きたいよね~。そうだよねえ!
実はね、ついに順番が回って来たんだよ~!ずっと前から頼んでた物の!」
「……はぁ?」
「もうずっと順番待ちでさ、5年くらい前からお願いしてたんだけどね、漸く昨日順番が来たって連絡があったんだ~。
ああ、我ながら良く待ったよ。ふふ、楽しみなことを待たされるっていうのも、たまには悪くないね」
「……5年ねえ……。お前にしては待ちすぎなくらい待ったな。良く飽きなかった…というか、その前に良くそんなに待ってやったな。普段なら、そんなこと言われた時点で脅すか殺すかしてるだろ」
この短気で飽き性な男が5年も待ったとは、恐れ入った。待つ、とか、我慢、とか、忍耐、とか。そういうことが何よりも嫌いなことは、はるか昔からよく知っていたことだ。だからこそコイツが待つなんて…よほどだな、と流石に俺も関心する。へえ、なんてわざとらしく肩を竦めてみせ、後頭部を掻いた。
ただ、往々にしてコイツが興味を持つものに俺は全く興味がない。思う事と言えば、できればわずかでも長い間、その頼んでいた物とやらがコイツの興味を引いてくれるのを願うばかりだ。その分、俺の自由が増えるなら、願ってもない。寝起き一発目からコイツにしたくもないキスをしなくていいとか、腹の中でメチャクチャに暴れられて暫く立てないなんてことがない朝など、久しく迎えていない。むしろ1日でもいいからそんな朝をプレゼントしてくれるってんなら、俺はそいつに喜んでキスしてやってもいいくらいだ。御免だろうがな。
「そうなんだけどね~。でも…ほら、なんていうのかなあ、僕…そう、ファンだから。彼の。彼じゃないとダメなんだよ。だから…いい子で待ってることにしたの」
「…ファン?お前が?…聞きなれない単語だな。お前に限ってそんな…あるはずないと思ってた」
夢見る少女のような面持ちでファンなんて言葉を吐き出すもんだから、ついおかしくて笑ってしまった。そんな、まるでお前に愛があるような言い方…ありえない。らしくないギャグだな、と喉を鳴らして皮肉めいた笑いを零すと、それでも上機嫌な京介は眉を上げて俺の隣に腰かけた。
「そう、ファン。彼が作る人形のファンなんだ。僕。だって、とっても美しいんだよ」
「…は?人形?」
俺に鼻先を近づけて、にっこりと笑って見せる。
その面立ちこそが良くできた人形のように整っているくせに、人形が欲しいとか。
今日の京介の冗談は冴えわたってるとしか思えない。
「…人形、ねえ。ハ…全然興味持てねぇな…。っつか…お前自身が人形みたいな見た目してるくせに、人形が欲しいのか?」
「やだなあ、僕は人形よりも美しいよ?」
「……ぁー…、…そうだな…」
「なんてね。ふふ、そうだよ。人形が欲しいの。アサトも欲しいなら買ってあげようか?」
「いらねえよ人形なんて。何に使うんだよ…邪魔なだけだろ」
そもそも俺がお前の人形みたいなものなのに…。そう思ったが口にすること自体が惨めでやめた。ため息を飲み込んで、頬を辿り髪をなでる指先から逃げるように顔を背けた。
「ええ~?いいの?もったいないよ。普通の人形じゃないんだよ?だって……
生きてるんだよ?」
「……は?」
…生きてる人形?
なんだそりゃ。言ってる意味が分からない。
人の形したモノだから人形なんだろうが。人の形して生きてたらただの人間か、人型の生物だろうが。言ってることが支離滅裂だ。
思わず京介の瞳に視線を戻すと、俺の内心を読み取ったかのように楽し気な笑みを浮かべていた。指先に俺の髪を巻き付けて、くるくるとしきりに遊ばせている。
「ふふ、不思議でしょう?でも、見た目も、中身も、質感も、全部オーダーメイドできるんだ…。それに、本当にデザインが素敵なんだよ。どんなものも正確に映しとって、リクエスト通りの人形を用意してくれるんだ。
…面白そうでしょう?」
「………そうか」
ざわ、と胸の奥が騒いだ。
ああ、きっと、またどうせろくでもない代物だ。直感がそう俺に囁いてくる。そしてこういう類の直感は当たるのだ。
京介が取り繕ったわけではない欲に濡れたような笑みを見せる時なんて、貪ろうと見下ろしてくる時かそれとも……悍ましい悪趣味に没頭する直前と相場が決まっている。
…おそらくまた、気味の悪いモノが来る。
面倒だ。胸糞が悪い。
だがどうせ俺には止められないだろう。奴の指先が俺を撫でるのすら止められないんだから。
「アサトもそろそろこの辺の髪の毛少し切っちゃおうか。長くなりすぎたね。
そっちの方が可愛いよ。うん。僕この髪型気に入ってるんだよねえ」
「……ああ」
鎖骨を超すほどになったサイドの髪を指で挟んで、長さを指定してくる。
…この髪型も、服も、刻まれた刺青も…全て、何もかも全て、アイツが選んだものだ。
俺の身体の全ては、アイツ好みに仕立てられたものだ。
俺に選択の自由はない。
ただ、求められた時に返事と、適当な意見をするだけ。
人形ね…
自嘲するように笑ってから、肩からひっかけたガウンの前を合わせ、腰で紐を軽く結んだ。これ以上触らせておくとまた盛られそうだ。他人の目の前で犯されるのは俺が最も嫌う事の1つだが、京介が最も好むことの1つでもある。
「…で、その人形を作るやつがそろそろここに来るのか?」
「ん?…うん、その予定。もうちょっとかかるのかなあ、だったらもう一回くらい…と思ったけど…」
「ここまで待ったのに、腹立てて帰られても困るだろ」
「んー…まあ、それもそうか。退屈だけど仕方ないね」
退屈凌ぎに好き勝手やられてたまるかと作った笑顔で適当に言い訳をすると、いやにあっさりと引き下がった。ファンというのはあながち嘘ではないのかもしれない。
そんなやりとりの最中、ギィ…と、扉の音が響き渡った。
「あ…」
恐らく例の人形師だろう。カラン、コロン、と聞き慣れない足音が廊下に響く音が聞こえる。
寄り添わせていた体をさっと離して、京介が部屋の入口に視線を向けた。
そして俺も…―
「………お、お、お初にお目にかかります。
に……ににに…人形師の……まとい、と申します。
き、京介さまのご自宅は…こ、こ、こち、こちらでよろしかった、でしょう…か?」
「………は…?」
入口に現れた影はやたらに細くて、猫背で、ガリガリに痩せた痩身の男のものだった。
ぞっとするほど不健康に白くて、ささくれだった指先が和服を纏う身体の前で重ねられ、次いで深々と頭を下げれば、ざんばらに荒れた白髪が揺れた。
幽霊のような男だ。
おそらく姿勢を正せば京介に劣らないほどの長躯なのだろうが、それすら不気味さに拍車をかけている。
こちらを見たまといと名乗る男の顔は、つくりは整っているがひどく荒れた皮膚がそれを打ち消してしまっているようだった。
「…………」
生理的な嫌悪に言葉を失う。
出来れば奴とは関わりたくない。そう思わされるほどに俺にとって奴は不気味に映った。まるで死人が息をして、動いているみたいだ。思わずあからさまに顔を背けた。何がそう感じさせるのかは分からないが、とにかく俺にとっては苦手な分類の奴ということなのだろう。まあ、男に用があるのは京介のほうなのだから、俺は関わらなければ済む話だ。
「ああ、こんにちは。今日はここまで来てくれてありがとう。ふふ…僕君の人形のファンなんだ。漸く順番が回って来て嬉しいよ。さあ、こちらへどうぞ」
「し、し、失礼します…」
蚊の鳴くような声で返事をした男が、ソファに腰かけたのが音でわかった。俺はもう風呂にでも逃げたい心地だったが、許可を求めるように京介に視線を投げると、ここにいろ、と言わんばかりに意地悪な笑みで返された。
「そ、そ、それで…早速ですが…ど、どのような子を…お望みでしょうか」
「ふふ、話が早くて助かるよ。僕も前置きが長いのってあまり得意じゃないから。
そうだなあ、せっかくお人形を作るんだもんね、色々考えたんだけど、綺麗な子がいいかなと思って。例えば…そう、君が作った……銀髪の…」
「あ、ああ……あの子…ですか…は、はい、お顔はあの子と同じ…ということでよろしいでしょうか…」
「うん、そうだね、そうしようかな。あの子僕結構気に入ってたんだよね。でももうちょっと釣り目にしてほしいかも。あと、髪の色なんだけどさ…」
京介が先に言っていたように、どうやら本当にオーダーメイドの人形を作るようだ。俺には何を言ってるのかがさっぱりわからなかったが、おそらく京介と人形師の間では伝わる話なのだろう。妙にスムーズに事が運んでいるようだ。いよいよ俺がここにいる意味も分からない。いつもなら来客が帰ったら何時でも京介の相手が出来るように風呂にでも入れと言うのに…。
買い物を待たされる子どものように居心地が悪くて、ぼんやりと時計を見た瞬間
「アサト、こっちへ」
「……は?」
突然京介に呼びつけられた。俺は人形なんていらないといったのに…。
意味がわからない、と眉間にしわを寄せたが呼ばれたからには行かざるを得ない。あのまといという男に少しでも近づくのは気が引けたが、一時の辛抱だと渋々京介の横に歩み寄った。
「……は…はあ…これが……」
「うん。そう、アサトだよ。ふふ…僕らのことを知ってる人たちには有名みたいだから、知ってるかな?」
「え、ええ…お話は…聞いております」
しげしげとまといの視線が注がれて肌が粟立つ。チ、と思わず舌打ちをすると咎めるように京介に視線を向けられ、心底嫌だったが僅かばかりの抵抗もひっこめた。白髪に覆われた男の瞳は、枯れ枝のような身体とは裏腹に山吹色の光をぎらぎらと放っている。一体何がそんなに気になるのか、肌のしわの1つ、髪の一本すら見逃すまいとでも言わんばかりに執拗に視線が体中を這っている。
「君は人形を作る時、見た目だけじゃなくて質感やカタチもリクエスト通りに作ってくれるって聞いたけど本当かな…?
もし…本当ならさ、肌も、髪も……それと、抱き心地もアサトと同じにしてよ。出来れば感度もさ」
「ッ……!?…は…!?」
「ふふ、そうすればすぐに飽きて壊しちゃうことはなさそうだもの。
流石にアサトと同じくらい上手くできるように調教は無理だと思うから…カタチだけでも、ね?」
「何…を……」
「え、ええ…承知いたしました……」
「……!!」
ぞわぞわと凍り付くほどの寒気が背筋を伝う。2人の間でだけ交わされるわかり切ったような会話が、嫌な予感ばかりを働かせて心臓が落ち着かない。
クソ、クソ……たいていの嫌なことはされ尽くしてきたから、こんなに気味が悪いと思ったのも久しぶりだ。
漸く人形師の男の遠慮のない視線の意味がわかって、全身から血の気が引いていく。
「あ!あと頑丈なのがいいな。そうじゃないと僕すぐ壊しちゃうから。
ふふ……せっかく君に人形を作ってもらうのだもの…味わい尽くさないともったいないよね…?」
「は、は、はい…恐縮、で、ございます…」
この先のことを知りたくない。想像もしたくない。
だがどうせ、無関係じゃいられない……。
見下ろした先にある男の、骨ばった指先を見ては嫌悪感が肌を虫のように這いまわる。
「…で、ですが…そうなりますと……か、か、彼、に協力を仰がなくては……」
「ああ、そうだよねえ。アサトみたいにって言っても、君はアサトに触れたこともないし、まして味わったこともないものね。
……だってさ、アサト」
「……冗談だろ……」
「協力を惜しまないようにね。…もしアサトが何かしたら、僕に言ってくれていいから」
「――――!!!!」
「…は、…はい、では……失礼させていただきます…」
俺の抵抗も、拒否も全部無視して勝手に話が進められていく。
物好きな客に身体を差し出せと言われることは、今までだって少なくなかった。
吐き気がするほど嫌だったが、それでも京介としつこく身体を重ねるよりはマシだと思っていたが…だが…これは…
この男に体中を調べ尽くされるのか。
体中を何度も撫でまわされ、嘗め尽くされ、暴かれないといけないっていうのか…?
それも1回や2回で済むとは思えない。
嫌だ、耐えられない。
流石に縋るような視線を京介に向けたが、奴は絶対にわかっているくせに決してこちらを見ることはなかった。
クソ、クソ、クソ、クソ!!!
死んだ方がマシだとすら思うのに、俺には、死すら自由にならない…!
「あ、あ、アサト……くん……」
「…ぃ…!」
ひた、と手首を冷たい指先が掴んだ。なんだか妙にねっとりと絡みつくような握り方だ。細いくせに大きな掌は、いとも簡単にくるりと手首に巻き付いていく。恐らくその気になればたやすく折ってやれるのに、あの呪いのように言い含められた言葉がそれをさせてくれない。
見た目から察するに若いはずなのに、ささくれ立って荒れた肌からは死を連想させるほどの冷たさがじわじわと伝わってくる。
「……よ、よろしく、お願いします…」
「……ぅ…」
どういう意味だよ…それ…!
許されていたなら怒りと嫌悪でそう聞き返していただろう。
なぜなら、その瞳は明らかにじっとりと陰鬱な欲望を含んでいるから。
枯れ木のような見た目のクセに、そこだけは妙に活き活きと精気が漲っていたから。
ニタリと浮かべられた笑みは今まで見たどんな笑顔よりも気色が悪かった。
「…ふふ、必要なら気が済むまで出入りしてもらっていいからね。少しくらいならアサトを貸してもいいし、必要ならなんでも言ってよ」
…クソが、本当に、楽しみにしてたんだな、京介。
結局そのしわ寄せは全部俺に来るわけだ。
手首に絡みつく死神の欲望を振り払えないまま、ただ、これから起こる一切をすべて
余すことなく受け止めなくてはならないのだと噛み締めていた。
……まだ、始まったばかりだ。
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