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第19話
お前が嫌じゃないなら、今夜抱きたい。
そう言った静樹は真剣な顔をしていたが、緊張も感じ取れた。
由人は嬉しさで緩みそうな顔を見られないように、慌てて風呂に入ってくると浴室に飛び込んだ。
服を脱いで熱い湯を頭から受けながら、徐々に大きくなる心臓の音に両手で顔を押さえた。
(どうしよ、どうしよ、俺セックスなんて何年ぶり?)
頭の中で叫びながら、彼が電話で上司相手にはっきりと宣言してくれた事を思い出した。
大学の頃は、由人が周囲に隠さずにオープンにしていたせいで当たり前のように二人で過ごせていた。時折静樹と関係のあった女の子達に呼び出されたりした事はあるが、それもまだ狭い世界での話だ。
社会に出てみて始めて、今までのようにはいかないんだと痛感したし、笑顔でいても受け入れてもらえず、話の通じない相手も存在する事を知った。
だからこそ、彼がもし女性相手と性的な関係を持っても仕方ないのだと考えていたのに、そんな由人の黒い覚悟を打ち砕いてくれた彼は、本当に素敵だった。
由人と同棲を始めてからは誰ともしていないと言ってくれた。その言葉だけで幸せなのに、上司に向かって話してくれた。
そして、抱きたいと言ってくれた。
嬉しくて仕方がないのに、ボディーソープの泡を見つめていて、違う感覚に気がついてしまった。
(………なんだろ、緊張っていうか…、ちょっと怖いかも…)
全裸で立つ由人の身体を、打ち付ける心臓が揺らしている。それは期待と歓喜、緊張と恐怖。
今、自分がどう感じているのかさえよく分からなくなっていたが、ひとつだけ間違いないことがある。
(……俺、幸せだな)
泣いてしまいそうな程、幸せだと感じている。
体を隅々まで洗い浴室から出たあと、バスタオルで拭きながら滲んだ涙も吸わせた。
すっかり気を抜いていた由人は、洗面所に顔を出した静樹に驚いて思わず身体をタオルで隠した。
「……今更隠すのかよ」
「えっ、や、だって、」
「さっと入ってくるから。……パンツ穿いて布団で待ってな」
由人の前で服を脱ぎ始めた彼は、普段通りに全裸になると浴室に入っていった。
(…………せ、静樹のちんこ勃ってた……!)
隠しもしないで通り過ぎて行った彼のペニスは、間違いなく反り上がっていた。
それを見たせいなのか、緊張で冷えていたはずの腹の奥から小さな熱が疼くようにうねり始め、由人のペニスも膨らみ始めてしまう。
(つられ勃起……?いや、期待勃起かな)
彼がシャワーをする音を聞きながら身体を拭き、言われた通り下着だけを身につけて寝室へと入った。
並べて敷いてある布団の上に、ローションとコンドームが置かれているのを見て衝撃を受けた。
もしかしたら必要になるかもと、由人も昔から常備はしていたが、隠しやすいように小さなボトルにしていたのに、静樹が用意したらしいそれらはどちらも大容量のものだ。
「……うっそ、マジで……?」
下着一枚の姿で布団の上に正座し、そのお得用ボトルを手にした。ずっしりと重く片手で持つのは難しい程だ。
もしかしたら、由人が思うよりも触れたいと願ってくれていたのだろうか。
彼が自分の問題だから待っていてくれと言ったことも、解決したのかもしれない。
「……嬉しい……」
ぽつり、と言葉が零れ落ちた。
体の繋がりがなくてもいいなんて強がりは、もう必要ない。本当は求められたいと願う、卑しい自分をもう憎まなくていい。
「……なんでローション持って泣いてんだよ」
後ろから抱き締められ、泣いてない、と鼻をすすった。
「…由人、肌が白いんだよな。背中も細いし…」
何も着ていない由人の背中に、静樹の手が触れて肌を滑り落ちていく。
「ひゃ、」
その指が腰から下着の中にするりと入り込んだ。
「えっ、ちょ、」
「脱がせたいから腰浮かせて」
後ろから聞こえた言葉にゾクゾクと首筋が痺れた。
(脱がせたいって、脱がせたいって、)
彼からそんな要望を聞かされる日が来るなんて。震える膝に力を入れて正座していた腰を浮かせると、下着を下げられて尻を出された。
すぐに触れられてしまうのだろうかと思っていた由人の身体は、布団に押し倒されてしまった。
声も出せないで驚いていた由人の視線の先には、見慣れた天井を背に欲情した表情をした静樹がいた。
「…固くなってきてんじゃん」
膝まで下りていた由人の下着はそのままで、露わになった股間をちらりと見られた。
「せ、静樹なんか、さっきから勃起してるだろ、」
「してるよ。お前の裸見てるし、触ってるからだろ」
全裸の彼の肌はしっとりと濡れている。かぶさる彼の肌と重なる部分から拡がる熱に、もう溶けてしまいそうだ。
「はは、顔真っ赤」
「そっ、だ、だって、せ、静樹が、なんか静樹が、」
あまりにもストレートに告げてくる彼の姿に困惑するのは、初めて見せられるものだからだ。
仕方ないだろうと言いたかった由人の口を、彼の唇が塞いできた。
「………っ、んぅ…」
味わうように舐められる舌が気持ちいい。こうして目を閉じてキスをしていると、幸せな甘さに骨まで溶けてしまいそうだ。
緊張も和らいできたところだったが、勃起する由人のペニスにかぶさる静樹のものが押し付けられた。
何度もペニスを重ね擦り合わせたことだけはあるが、今はまるで違う。静樹が上から腰を動かせてペニスを擦りつけているのだ。
与えられる感覚、というよりは、彼がいやらしい動きをしているという事実に興奮してしまった。
「……っ、ちょ、っと待って、あの、」
嬉しさでいっぱいだが、初っ端から彼の方が積極的過ぎて由人の方が置いていかれているような気分になっていた。
「由人、」
唾液で濡れた彼の唇が淫靡に光っている。
「……頼む、好きにさせてくんねぇか」
「…………は、はい……」
見上げた先に、切羽詰まった表情をした彼がいるなんて。
直後に再びキスをされて目を閉じると、由人の胸に感動に近いものが押し寄せてきた。
隣で眠る彼の気配を感じながら、いつか抱いて貰える日が来ると信じて震えた夜も、絶望に眠れない夜もあった。
(…凄い…、求められてる……)
好きにさせてくれと彼が言ったのは、やはり余裕が無いせいだったようだ。
「あ、」
「……どうしたの」
長く舌を吸われていたせいでぼんやりと声を出し頭を上げると、開いた足の間で静樹がローションを手にしていた。
「何もねぇ。ちょっと出し過ぎた」
「…そ、そんな大きいの買ってくるから、」
「嬉しいくせに。泣いてたろ」
「ろ、ローションが多くて泣いたんじゃないからねっ」
「わかってるよ、」
ローションを纏った彼の手が、由人のペニスの根元からぬるりと後ろに滑っていく。
場所を確認するように指先がそこを数回撫でたあと、ゆっくりと中へ挿りこんできた。
「……っ、ん」
久し振りの感覚に思わず身体に力が入ってしまう。
「由人、自分でとかしてないのか」
「し、してな、い」
この数年間、そこには誰も、何も触れたことは無い。
時折でも彼が性器には触れてくれていたし、自分でそれをする事は、後で虚しくなるのがわかっていたから。
「……いい返事だな。由人、もう一つ……」
話しかけられていても、由人の意識は彼の指が動く場所から動かない。
「なっ、に、」
「………頼むから。俺の前で過去の男の話はするなよ。いいな?」
目を丸くすると、指を動かせたままの彼にキスをされた。
なんて可愛らしい顔をしているんだろう。
滅多に見れない彼の照れ臭そうな様子に、由人は腕を広げて彼を抱き締めた。
「おい、苦しいって」
「ぅ、だって、嬉しいんだもん。静樹がすっごく可愛い事言ってるし、お、俺の体触ってくれるし、ふぁ!」
突然奥の粘膜を指先で刺激され、変な声が出てしまった。
「いい加減それ以上可愛いこと言うのはやめろ。……怪我させちまう」
低い声に腰がびくりと揺れてしまった。
住み慣れた部屋の中で、静樹の熱い息遣いと指が動く音が響いている。
静樹はきちんと時間をあけて丁寧に慣らし、指を増やしながら何度もキスをしてくれた。
唇を重ねているだけで、彼が強い興奮で体温を上げていくのがわかった。唇も頬も熱く、それだけで全身が溶けそうなほど嬉しくて、早く彼の全てを受け入れたいと最奥が疼き始めていた。
「……っふぅ、ん、せ、静樹ぅ……」
単純な指の動きにもう我慢できなくなり、自ら腰をうねらせてしまいそうだ。はしたない自分をさらけ出してしまう前に、彼のペニスが奥に欲しい。
言葉にしない呼び掛けに、彼の指が引き抜かれた。
「……由人」
彼の手に取られ、片手を繋いだ。
由人の指先にキスをした彼は、手を離さないまま由人の中へと挿り始めた。
その感覚は、由人に過去を思い出させなかった。
彼はほかの誰とも違う。誰にも代わりは出来ない、かけがえのない唯一の人。
ゆっくりと押し込まれ、静樹の腰が由人の身体に隙間なく密着すると、今度は繋いでいた手の甲にキスをされた。
「……痛くねぇか」
「………な、ない、だいじょ、ぶ……」
大きく深呼吸をした静樹は、繋がる部分をじっと見つめたままゆっくりと出し入れをし始めた。
(ガン見してる!どうしよう、エロいよ、静樹!)
やはり彼が自分を相手にセックスをしている姿は刺激的過ぎて、見ているだけで達してしまいそうだ。
「やばいな、すっげぇエロいぞ、お前」
彼からの言葉に頭を撃ち抜かれたような衝撃を受けたが、直後に足を押し上げられ、体重をかけて突き上げられてしまった。
「あっ!あ、ぁんっ、」
「しかもなんだこれ……っ、くそ、すげ……」
悔しそうな声が聞こえるが、突然開始された激しい揺さぶりに、由人は目を開くことが出来なかった。
静樹を飲み込む由人のそこは、決して柔軟には受け入れられていないはずなのに、その大きな圧力に快感を生み出していた。
「や、おっき、から、ゆっくり、ぃ、」
「ん?でも気持ちいいんだろ?……由人のちんこ凄いぞ…」
彼は腰をうちつけながら、器用に由人のペニス
を手のひらで捏ねた。
触れられて自覚する自分のペニスの固さに、脳内が温度を上げていく。
「びしょ濡れ…っ、く、由人、そんな締めるな……、」
彼の声で卑猥な言葉を聞かされることに慣れていなくて、それだけで開いた足がガクガクと震えてしまう。
「…や、べぇな。由人、俺イきそうなんだけど……ッ」
「ん、い、って、出して、」
その言葉を聞かされただけで、由人もすぐさま達してしまいそうだ。
由人はペニスを撫でていた静樹の手の上から自分の手を重ね、押し付けて刺激した。
布団の上をずり上がってしまう程強く奥を刺激した静樹は、由人の首の下に腕を差入れてくると、しっかりと抱き締め密着した後に腰を震わせていた。
由人も彼の手の下で射精し、目を閉じて彼の重みを感じながら余韻に浸っていた。
「……由人」
「…………ふぇ……」
間抜けな声を出すと、心地いい重みがよけられてしまった。
由人の中から抜かれてしまったペニスと身体を自覚すると、たった今願いが叶ったばかりなのに、もう淋しくなってしまう。
「ゴム変えるから、このままシていいか?」
「…………へ?え、もう一回?」
聞き返して身体を起こそうとした由人は、まるで言うことを聞かない足や腰に驚いた。
「嫌か?」
閉じかけた足を開かせ、新しいコンドームを装着させた静樹が割り込んできた。
大好きな凛々しい彼が、甘えるような声を出し、立てていた由人の膝にキスをしてきた。
「……い、嫌なわけないじゃん。静樹とずっとしたいって思ってたのは俺なんだから…」
先程と同じように被さってきた静樹は、由人の前髪を手でよけたあと唇を重ねてきた。
「……泣くなよ」
「っ、…から、泣いてない……っ」
これは、夢が叶った嬉しさが込み上げているだけだ。
「なぁ、由人。お前に泣かれるのは弱いんだ。……お前の笑う顔が好きだ。でも、同じくらい、エロい顔してるお前も好きだ」
「…………ホント?」
「なんだよ、信じろよ」
「信じさせろよ、じゃあ……」
辛かった出来事は、誤解が生んだものかもしれない。それでも深く傷ついたことには違いなくて、こんなに幸せな雰囲気でもつい言葉にしてしまう。それでも、過去の由人には口に出来なかった感情だ。
「………わかった。愛してる、由人。…覚悟しろよ?」
滲んだ涙は彼の舌が優しく舐め取り、遅れを取り戻すかのようにまた深く沈んでくる彼の熱に、由人は全てを預けた。
携帯に表示された恋人からのメッセージは短い。
待ってるから、ゆっくり出て来い。
機械的な文字でも、その言葉の並びからは柔らかな優しさを感じ取ることが出来る。
(幸せ……)
職場の従業員通路で足を止めていた由人は、後ろから強い力で背中を叩かれて痛みに声を出した。
「いったぁ!」
「小畑っち、顔溶けてるよ。ヤバいほどキモイからやめて欲しいんだけど」
彼女は手にしていたファイルを由人に振って見せた。どうやらそれで叩かれたようだ。
「もう、美夜子ちゃん酷い!」
「さっさと帰り支度した方がいいんじゃね?待ってたよ、外で」
先に廊下を歩いていく彼女に、お疲れ様、と声をかけた由人は、慌てて鞄を取りに戻り職場から外へと出た。
ホームセンターの駐車場奥にあるその従業員の通用口の近くには明かりが少ないが、すらりとした長身の人影を見つけた。
「静樹、お待たせ!」
「おー、遅い」
「え?さっき、メールではゆっくり出て来いって、」
メッセージと言う事の内容が違って唇を尖らせると、仕事帰りでスーツ姿でいた彼は、由人の顎を掴んで腰を抱き寄せてきた。
ちゅ、と可愛らしい音を立ててキスをした彼は、至近距離で楽しそうに笑って見せた。
「早く会いたいから遅いっつったんだろ」
「……俺も会いたかったし」
「バーカ。今朝会ったとこ」
「えぇ?だって、静樹も会いたかったって今言ったじゃん!」
「帰りにスーパー寄ってこうぜ。明日の朝食ねぇし」
こんな所は相変わらずだが、以前に比べると彼は自分の感情をきちんと言葉で伝えてくれるようになった。それが、由人にとってはとても嬉しい。
「バターも買わなきゃ。もうないんだ」
「あとあれな、くっそ甘い野菜ジュース」
「だーから、あれはそういうもんなんだって」
「お子様用だから甘いんだろ?」
「そんなこと言って、静樹だって飲んでるじゃん」
毎朝由人が開けるより早く冷蔵庫から取り出してストローを刺してしまう彼は、必ず由人が飲むより先に一口飲んでしまう。
その時に必ずキスをしてもらえるのが嬉しくて、自分から出さなくなってしまっという事実もあるが、それは彼に話していない。
それに、言わなくてもきっと知られている。
「俺はほかに甘いの飲まねぇからいいんだよ。それに、俺とのキスが甘くなって好きだろ?」
言葉にしなくては伝わらない事も多い。それでも、言わなくても伝わる事の方が多くなってきた近頃は、毎日がとても楽しい。
「……好きだよ、知ってるくせに」
由人が頬を赤くしてそう言うと、先を歩いていた彼が振り向いて意地悪そうに笑った。
「言わなきゃわかんねぇ事もあるって、お前が言ったんだろ?ま〜、今夜はベッドで聞かせてもらうか」
行き交う人々に聞こえてしまいそうな声の大きさに驚いて駆け寄り、彼の口を手で塞いだ。
「う、うちは、布団だろ!」
幸い通り過ぎる人達には聞こえていなかったようだが、由人の手を掴んで離した静樹は声を出して笑い始めた。
「そこかよ、お前」
「……そこってなに。だって事実じゃん」
「それだよな。やっぱりベッド買うか」
「え?ベッド置いたら部屋が狭くなるって嫌がったの静樹だけど」
「明るい夜の性生活の為にはベッドのがいいだろ」
するりと発言する彼の口を再び塞ごうと手を伸ばしたが、簡単によけられてしまった。
「静樹!」
「お、由人、今日は卵が安売りの日だぞ。明日の朝、目玉焼きしてくれよ」
買い物カゴを手にした静樹が、逃げるように先にスーパーの中に入って行った。
由人も慌てて後を追いながら、賞味期限の近い卵が自宅の冷蔵庫で待機していることを思い出していた。
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