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第3話

3  週が明けても、相変わらず、くっそ忙しい。  一つの仕事が終わったらまた新たな仕事が振ってくるし、その合間に細かい書類仕事が入り込んでくる。身体が一つじゃ足りない、と思う。後輩に言われるまでもなく、残業しないと仕事が追い付かない。ここ最近は、終電に間に合えば良い方で、日付が変わってからタクシーで帰るなんてことがままあった。  ああもう、やだよう……。  本社の方がブラックなんて、そんなの、聞いてない。  役職とか昇進とか良いから、早く帰らしてくんねーかなあ。  唯一仕事から逃げられるのは昼休みの一時間。屋上で一人、ベンチに座ってもそもそと菓子パンを食べながら、背中を丸めてそんなダメダメなことを思う俺である。  前の会社なら、喫煙所に行けば先輩方は構ってくれたし、社員食堂に行けば後輩くんが慕ってくれた。けれど、仕事の忙しさにかまけて人間関係構築をサボっている俺は、孤独だ。――べつに全然っ、気にしてないけどね!  と、誰にともなく強がっていたら、傍らに置いたスマホが震えた。 【おつかれさま。今夜、時間ある?】  犬塚さんからのメッセージだ!  その言葉に今日が金曜だということを思い出して、あの一人で気まずかったネトゲの日から、もう一週間経ちそうだというのに気付いた。  どう返信しようかと思ってスマホを見つめていると、スマホが震えて、続けざまのメッセージを知らせる。 【少しでも良いから、顔見たい。】  直球な誘い文句に、思わず胸がきゅんと高鳴ってしまった。 【ある、あるよ! 俺がんばる!! 超がんばる!!!】 【w 了解、あんまり焦んなくて良いからな。無理しないでがんばれ】 【うん! ありがと犬塚さんあいしてるー】 【wwwww】  あ、愛の告白を笑われた。  でも、こんなやり取りは久し振りだ。  何より久し振りに犬塚さんに会えるのが嬉しくて、思わず口元がにやけてしまう。 「嬉しそうっすね、先輩」 「え」  不意に背後からかかる声に、ぎくりと肩を竦めた。  物珍し気な声の主は、考えるわけもなく、例の後輩のものだ。 「いやあのこれはね、……えへへへ」  説明しようとするけれど、だめだ、思い出すだけで緩む口許を堪えられない。だって、久し振りに、好きな人に会えるんだ。嬉しくないわけがない。 「あ、もしかして、彼女ですか」 「まあねー、そんなもん」 「ふうん……妬けちゃうなあ」 「うん?」  ぼそり、と、今不穏な一言が耳に入った気がする。 「だって、俺、先輩のそんな笑顔見たことないです」 「そりゃあ、君は俺の恋人じゃないからねえ」 「ツレないなあ、俺はこんなに好きなのに」 「そりゃどーも」 「はあ、……午後からもご指導お願いしますー」 「はいはい」  ああ、イケメンはこれだから。  甘いことを言って、にこっと爽やかに笑えば誰でも絆されるとでも思っているんだろうか。  ――残念、俺が絆されるイケメンは犬塚さんだけですから!  その後、後輩に色々と邪魔されながらも、普段の倍の速さで仕事を片付けていく俺だった。犬塚さんパワー、半端ない。運も味方をして、いつもは入る急ぎの仕事もなかったし、何とか、約束の時間に間に合いそうな時間に退社出来ることになった。  本社勤務になったから、不本意ながらスーツでの出勤になってしまった。ストライプのシャツと紺のジャケットとスラックスをノーネクタイで、という格好のまま、駅を目指して歩く。華の本社、ということで、都内の主要駅の傍にあるから、犬塚さんはその駅を待ち合わせ場所にしてくれた。  もう少しで犬塚さんに会える、というそわそわは中々隠せない。アスファルトの上を速足で歩くと、後ろからも同間隔で足音がついてくる。同じ時間に退社した、後輩のものだ。 「なに、なんなの」 「いやー? たまたま方向が同じなだけですよ」 「嘘だ、きみ地下鉄でしょー」 「あ、覚えてくれてるんですか嬉しいなあ。……先輩の彼女が見たいだけだから、気にしないでください」 「え」  予想外の返答に、思わず固まる。  これは、まずい気がする。  だって、彼女なんかいるわけない。  だって、俺の恋人は。 「秋!」  どうしようちょっと遠回りして後輩を撒いてから駅の中に入ろうかなそれとも適当な女の子に声かけて間違えちゃったテヘみたいなで誤魔化そうかなどうしようどうしよう、と思っていたら、前方から、待ち望んだ声が、俺の名を呼ぶのが聞こえてきた。 「い、いぬづかさ……、!」  ぱあ、と、無条件で輝く顔、落ち着け。  わざわざ駆け寄って来てくれる犬塚さんは、今日も上下共に黒いスーツで、白いワイシャツに赤い細身のネクタイが映えている。相変わらずイケメンだ。犬塚さんに見惚れそうになって、はっとした。 「あれ? 先輩、彼女さんと会うんじゃ……」 「え、えーと、」 「あ、もしかして先輩」  ううう、これは、まずいんじゃないか。  犬塚さんも何か察したようで、青褪めているのが見える。普段動揺をあんまり顔に出さないのに、これは珍しい。――じゃなくて。 「ゲイだったんですか」  うわああああああ。  直球だ、この子直球だ!  恐る恐ると犬塚さんに視線を送ったら、カチリと固まっていた。そりゃそうだ。 「なあんだ、じゃあ、隠す必要なかったですね」 「は」  にこりと爽やかに笑う後輩が続けるのは、予想外の一言だ。週末の駅前は、人の通りがとても激しい。どこからか、ストリートミュージシャンの歌声も聞こえてくる。 「先輩のカレシさん、カッコいいですねー」 「はあ」 「先輩面食いですか」 「え」 「俺、先輩にはすごくお世話になってるんですよー」 「はあ」 「これからも、公私共にお世話になる予定なんで」 「は?」 「よろしくお願いしまーす」  拍子抜けする俺たちをよそに、やはりこの後輩は笑顔を崩さずにそう言葉を続けた。 「先輩、デート、楽しんでくださいね」 「は、はあ」 「じゃあ、また来週」  言うだけ言って、というか犬塚さんを見て満足したのか、ひらりと片手を挙げて、後輩は人混みの中へと消えて行った。上背があるから、人混みの中でも目立つのが腹立つ。 「秋」 「はい」 「なにあいつ」 「こ、後輩」 「ふうん……」  あ、犬塚さん、怒ってる。  心なしか低い声色に、俺の防衛本能が危険だと訴えかけている。 「前の後輩くんの方がかわいいな」 「俺もすげえそう思ってるところ」 「どっかで呑もうと思ったけど、そういう気分じゃないな……」  うう、同感です。  何より、こんなピリピリした犬塚さんと、居酒屋に二人きりとか、ちょっと堪えられない。  犬塚さんが、上体を屈めて下から俺を覗き込んできた。縮まる距離に、一度瞬く。 「家、来いよ」 「う、うん。行く」  そんな魅力的な誘い、断るなんて選択肢はないけれど。  でも、ほんのちょっと、緊張する。

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