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第1話
夜空の裾がコンクリートの道まで深く被さっているというのに、星も霞ませるほどうるさく蝉が鳴いている。唸り唸り、七日鳴いて、あいつらは地に落ちる。
「ねえ先生」
蝉の声に、人の声が混ざった。
「無視しないでよ。俺に気づいてるんでしょ、先生」
幻聴だろうかと思った。彼がここにいるはず、ない。だが、彼の声は続ける。
「昨日だって、一昨日だって、俺の顔、見たでしょ」
「他人の空似……だと思ったよ」
うっかり僕は振り向き、答えてしまった。電灯に照らされる彼の顔が、笑った。
派手なTシャツ姿に合わせるといかにも非カタギである鋭すぎる目は、笑うと悪ガキのようになる。
彼が上京する前に住んでいた西の西の方の地から、そのまま持ってきたんだろう。身よりのない東京で散々人に利用されても、ついになくさなかった子供っぽさ。
――変わっていないな、という印象を抱きながら、胸の内側が暴れそうだった。
四方に人影がないことを確かめる。幻に話しかけていても誰かに怪しまれることはないだろうと、いくらか安堵した。
――ここは、勤務先のクリニックからの帰り道だ。田畑も遠くない郊外であり、日付の変わり目も近くなれば人もほとんど出歩かない。
だから彼と三日連続で遭遇するなんて、偶然じゃなかったろうに。
「先生。また、遊ぼうよ」
僕はしかめっ面になった。
「遊ぶ?」
「ああいうことだよ。分かってるでしょ」
「僕は足を洗った」
顔を背けると、くくっという吐息がそばで聞こえた。
「これを観ても、同じこと、言える?」
視界の端に、光が生じる。スマートフォンの画面のようだ。僕はつい視線をやる。
彼の創傷だらけの指が、動画再生のアプリを開く。電波マークは圏外を示しているから、端末に保存してあるものなのだろう。
「っ――やめてくれ」
何の動画か分かって、僕は声を揺らした。
「やめて、それだけは……」
見たくない。でも、視てしまう。僕が医者の駆け出しだった頃にやっていたことの記録を。
――「調教開始だ。豚ども」
粗い画質だったが、その台詞を発した顔の主が誰かはわかる。カメラのレンズを向けられているその人物は、左右で腰を突きだしている男たちに鞭を振るいはじめた。
そう、在りし日の僕だ。
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