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Prologue 五月晴れ1

 その日はとても天気がよかった。  赤、青、黒のこいのぼりが、屋上ではたはたと泳いでいる。  中庭には青々と茂る木々。日に透かされた葉が輝き、葉擦れの音がする。  木陰には、真剣な顔つきで小説を繰るパジャマ姿の少年。その近くにある木製のテーブルベンチの上に手作り弁当を広げ、玉子焼きを箸で取る妙齢の女性栄養士。その向かいには、食後のお茶を飲んでいる中年の女性事務員。人口池の前の腰掛に座り、コンビニエンスストアで買ったサンドイッチを黙々と食べる研修医の男性。その横を、車椅子に座った老女と、彼女の乗った車椅子を押す壮年の男性看護師が、通り過ぎていく。  どこからか軽快なオルガンの音色に合わせて子供たちの陽気な歌声がする。院内学級は今、音楽の時間らしい。  中庭のある階とは対照的に、病院の最上階のフロア一帯は、陰鬱な雰囲気だった。  最上階には、高級ホテルのスイートルームさながらに広々としたひとり部屋が、四部屋もあった。  おとといまでは、人懐っこい性格をした子犬のような少年がいて、フロアは活気に満ちていた。彼は一年の療養を経て病を完治し、無事に退院することができた。  少年が部屋を去ったと同時に、明るく和やかな雰囲気も夢のように霧散した。  現在、使われている部屋は一部屋のみ。(むら)(くも)(さく)()という『アルファ』の男が入院していた。  朔夜はキングサイズのベッドの上で胡座(あぐら)をかき、腕組みをして、しわくちゃになった白い封筒を、(にら)みつけていた。封筒は、朔夜が怒りに任せて一度握り潰したため、(いびつ)な形になってしまったのだ。  それでも彼は、手紙を破り捨てることも、ごみ箱の中へ突っ込むこともできずにいた。『魂の(つがい)』である『オメガ』が送ってくれた()()()手紙だったからだ。  ――本来、何事もなければ番となる運命で、結婚の約束もしていた。  ()が笑顔でいられるように守り、幸せにしたかった。その思いとは裏腹に傷つけ、苦しませ、悲しませた。どんなに誠心誠意謝罪しても許されない罪を犯し、いつの間にか彼は手の届かないところへ行ってしまった。  それにもかかわらず、アルファの本能は、魂の番であったオメガに未練がましく執着している。いまだに彼を忘れられず、思っている自分にいい加減、嫌気が差す。  これじゃあ、退院できるのは当分先のことになりそうだな。見舞いにかこつけて「さっさとアルファの女を(めと)れ」と口うるさく言ってくる親戚連中と顔を合わせる日も続くのか。  朔夜は、長い()め息をついて封筒を手に取った。お気に入りの洋服にアイロンをかけるような手付きで、しわを伸ばす。

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