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第1章 ある男の意見5
いつもなら賑 やかな場所だが、ここもほかの場所と同様に、人っこひとりいない。
「みんな……いねえのかよ」
ブランコに乗り、誰か来てくれることを心の中で祈りながら、待った。
公園の時計の針が一周、二周……と回る。
十一時を過ぎても、誰も来なかった。
幼なじみに、いやいや付き合わされている、おままごとですら恋しくなるほどに淋 しかったのだ。
次第に心臓のある左胸の辺りが痛み出す。
そこではたと気づいたんだ。
自分が、ひとりぼっちだということに。
この世界で人間は自分ひとりだけ。そんなおぞましい妄想に取りつかれ、孤独感に苛まれる。本家にいるときみたいに、だれからも認識されない存在へ――透明人間へと成り果ててしまったのではないかと不安が襲う。
「駄目だ! いやなことを考えるのはよそう」
頭を横に振ってブランコから飛び降り、砂場へ駆けていく。
父の持っていたガイドブックで何度も目にしたシンデレラのお城。王子様とシンデレラがいつまでも幸せに暮らした場所。
俺は、名前も知らない誰かが忘れていったスコップとバケツを手にし、砂のお城を作ることに意識を集中した。
四苦八苦しながらも手を動かし続ければ、城は納得のいく形になった。達成感を味わっていれば、ぐうっと腹が鳴る。公園の柱時計の方へ顔を向ける。
時刻は午後の一時を過ぎたところだった。
朝飯も食いっぱぐれたし、そろそろ家へ帰る時間だなと横目で砂の城を見る。
家を出る前に祖父が誕生日プレゼントでくれたカメラを持っていれば、砂の城を撮ることができた。現像した写真を両親や友だちに見せられらし、半永久的に城を残すことができたのに……。
一旦家に戻ってカメラを取りに行く手もあるけどカメラを取りに戻っている間に、城を壊されてしまう可能性がある。見知らぬ人間に壊されてしまうくらいなら、いっそ自分の手で壊してしまいたい。
せっかくの力作である城を見てくれる人は、誰もいないことを残念に思いながらスコップをふたたび手に取り、砂で作った城を崩そうとする。
ふとそこで急に、俺のことを探している祖母の姿が頭に浮かんだ。
スコップを砂場に落として「どうしよう……」とオロオロする。
家に書き置きを残していない。
ポストの合鍵が紛失し、孫の姿がどこにもないと祖母は、駐在さんやご近所さんに俺の姿を見かけなかったか聞くはずだ。足腰悪くなってきているのに、必死で探し回っているかもしれない。
とんでもないことをしてしまった。
悪い子になってしまった自分を祖母はどう思うだろう? 何より、祖母が足場の悪いところで転び、頭を石で打って入院したことを覚えていた俺は、罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。祖母の身に何かあったらどうしようと涙が目に滲 む。
砂まみれの手で目元をゴシゴシ擦った。
そこへ白いレースの日傘を手にした女がやってくる。淡い水色のワンピースを着て、白のハイヒールを履いている。にもかかわらず、絹糸のような黒髪を振り乱して走っていた。
「お願い……待って! お母さん、追いつけないわ……!」
「お母さん、遅いよー! 早く、早く!」
なんだろうと思い、立ち上がる。
すばしこいねずみみたいに公園内を縦横無尽に走る小さい子どもの姿が目に飛びこんだ。チ ビ は砂場へやってくると「あっ!」と声をあげて城の前で足を滑らせた。チビが頭を地面に打ちつけると女が甲高い悲鳴をあげた。
俺はチビの前で膝を折り、紅葉のような手を取って立ち上がるのを手伝った。
「おまえ、大丈夫か?」
どこからか甘いバニラの香りが漂い、鼻 腔 をくすぐる。
すると突然、心臓が激しく鼓動を打ち、急激に発汗する。
見えない糸で身体を操られているかのように腕がひとりでに動き出し、気がつくと俺はチビのことを抱きしめていた。
チビが「何っ!?」と戸惑いの声をあげる。
慌てて俺はチビの背中に回していた手を、チビの肩に置き直し、勢いよくテープを剥がすみたいに身体を引き離した。
胸がドキドキするし、風邪を引いたときみたいに頭がぼうっとする。
困り果てているチビが「ねえ……」と小声で喋 る。
気がつくと俺は、思いついた言葉を矢継ぎ早に口にしていた。
「こっ、これはな、その……おまえが泣いちゃうんじゃないかって心配で、つい抱きしめちゃったんだ!」
チビはきょとんとした顔をして「そうなの?」と訊 き返してくる。
「そうだ! 俺、怪我をしたら、いつも母ちゃんに抱きしめてもらうんだ。するとあら不思議! 痛みがなくなって元気百倍。ピンピンした状態になれるんだぞ。わかったか!?」
早口にまくし立て肩で息をする。
擦りむけて赤くなった自分の手を、チビはまじまじと見た。
「本当だ! すごいね、お手々がぜんぜん痛くないよ!? 魔法みたい!」
「ほらな、俺の言った通りだろ。それよりもほかに、怪我をしているところはないか? 膝とかも……」
チビは砂まみれの顔で、おひさまみたいに笑った。
「大丈夫だよ、ありがとう」
俺はチビの笑顔に見とれて言葉をなくした。
自分の中で眠っていた五感が目覚め、灰色だった世界に鮮やかな色がつく。目の前の人間 のことを何ひとつ知らないのに相手 のすべてが恋しくて、愛しくてたまらない。「好き」という気持ちが、とめどなく溢 る。
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