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第9章 憧憬1
*
「待って。ねえ、待ってよ……さくちゃん!」
日向は、朔夜の後を追いかけた。
全力で剣道のテストに臨んだからクタクタに疲れていたし、お腹もペコペコに空いている。
他の生徒たちは、次の時間は理科室へ移動しなくてはいけないし、「全身汗だくで暑い!」と、更衣室へ向かってしまった。皆、朔夜と日向の試合が終わるやいなや我先にと、先を争うようにして体育館から出ていったのである。
しかし朔夜は、道着を着たままの状態で更衣室ではなく、別棟へ向かっていた。
「もう、待ってってば!」と日向は、朔夜の男らしく骨ばった手首を摑んだ。
昔のように少し走っただけで息があがることも、「置いていかないで」と泣きつくこともなくなった日向へと朔夜は目を向ける。
「なんだよ?」
「ねえ、何を怒ってるの? 僕、さくちゃんの気に障るようなことをした?」
そっぽを向きながら朔夜は、ぶっきらぼうな口調で「べつに怒ってなんかねえよ」と答える。
だが、日向は「怒ってるでしょ?」と朔夜の言葉を否定した。
すると朔夜は唇を尖らせ、「嘘じゃねえよ」と突っぱねる。
ため息をこぼしながら日向は、優しい口調で朔夜に話しかけた。
「あのね、さくちゃん。さくちゃんが嘘をつくことはないって、わかってるよ。けどね、言いたいことを我慢したり、言うかどうか迷っているときがあるでしょ。自分では気づいていないみたいだけど、そういうときは決まってバツの悪そうな顔をしてる。それに後ろめたいことがあったりあったりすると、目が泳ぐの。ちょうど今、そういう顔をしてるよ」
母親の真弓のようなことを日向が言うので、朔夜は渋い顔をして辟 易 する。心のうちに隠していることを「白状しろ」とせっつかれてるようで、居心地が悪くなる。
「悪かったよ」と朔夜が謝ると日向は眉を八の字にする。
「謝ってほしいんじゃないの。さくちゃんが何を言わないようにしているのかを教えてほしいなって思ってるだけ。なんだか、つらそうだから」
日向の言葉を耳にして、朔夜は眉をひそめた。
「もちろん言いづらいことだったり、言いたくないことだったら言わないで。無理強いをしたいわけじゃないんだ。気を悪くさせたのなら、ごめん」
日向が胸の前で両手を振れば、朔夜は「なんかさ……」と躊躇いがちに喋る。
「おまえは、十年っていう長い年月をかけて剣道をやって強くなったのに、それを俺が今日一日で台無しにしたような感じがして、いやだなって思ったんだよ」
きょとんとした顔をして日向は、難しい顔をして考え込んでいる朔夜を見つめた。
*
剣道の最終戦の勝敗はどうなったのかというと、朔夜のほうに軍配が上がった。
大人が子どもの相手をするような圧倒的な力の差があり、――最初から日向に勝機はなかった。
日向が竹刀を振るっても、朔夜はすかさず受け流す。まるで日向の動きをあらかじめ読んでいるかのような無駄のない動きで、隙がない。剣道を幼稚園の頃から習い、二段を取っていて、地区大会で優勝したこともある日向が剣道を習っていない朔夜におされている。
そんな状況を前にした子どもたちは「何これ?」と口には出さないもののひどく動揺し、ざわついた。
「ほら、言った通りになったじゃないか。やっぱり王子様じゃ、王様には勝てないんだよ」
光輝とそのお供や、取り巻きたちは、それ見たことかという態度をとる。
日向の試合をよく観戦しに行く鍛冶と疾風も心配そうな顔をして「なんだか、ひなちゃん。ぜんぜん力、出せてないね」「だな。調子が悪そうだ」と会話をする。
面白くなさそうな顔をして光輝は「アルファさまは、なんの努力をしなくたって、なんでもできるんだよ。まったく羨ましい限りだ」と捨て台詞を口にして、お供や取り巻きたちと一緒に体育館を後にした。
からっきし剣道に興味のない数名の生徒も「先生、先に帰ります」と大林に告げて、体育館をぞろぞろ出て行く。
――やっぱりオメガはアルファに勝てないんだ。
体育館に残った子どもたちも朔夜と日向の試合を見て、バース性の力関係を覆すことはできないという事実を悟り、落胆した。
残った生徒たちの多くは、早く試合が終わることを願いながら、つまらなそうにふたりの試合を眺めていた。中には授業とはまったく関係のないおしゃべりを始めている者までいる。
しかし――教師や衛、絹香の反応は違った。
「あいつ、本当にすごいわね。どんだけ負けず嫌いなの? ていうか、たった二ヵ月で全部吸収するなんて、人間やめてるわ……」と絹香は悔しそうな口振りで、ぼそりとつぶやいた。
彼女の隣にいた菖蒲は、絹香の独り言を聞き逃さなかった。と興味深そうな様子で「どういうことですか?」と絹香に尋ねる。
「さあちゃんの目はカメラアイなの。目で見たものは絶対に忘れない。カメラで撮った写真をアルバムに綴 じているみたいに、頭の中に残っているのよ。目で見たものは全部、覚えてる。そういう特殊な目をしているの」
「えっ! それって瞬間記憶能力者ってことですか!?」
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