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第9章 一本勝負4

 大輪の花のような笑みを浮かべて菖蒲は笑った。 「菖蒲ちゃん……ビックリした……お化けが現れたのかと思ったよ」 「やだー、昼間からお化けなんて出るわけないじゃないですかー! 変な、ひなちゃん」と菖蒲は口元に手をやり、くすくす笑う。日向に水筒を手渡し、マネージャーさながらな様子でハンドタオルを首へかけてやり、今度は絹香のところへ行く。 「(じゃ)(くずれ)さんも、お疲れ様でした。負けてしまって残念です。ここは、お茶をグイッと飲んで、気分転換をしちゃってください!」 「ありがとう」と礼を言いながら、絹香は水筒を受け取った。タオルで額の汗を拭き、頭に巻いていた手拭いを取ると、ふわりと腰まである(こく)(たん)のような色をしたストレートヘアが現れる。絹香は髪ゴムで手早く、髪をお団子頭にまとめ、水分補給をした。  日向は絹香に声を掛け、「今日はありがとう」と頭を下げた。  眉間にしわを寄せて絹香は、「どうしたのよ、ひなちゃん」と戸惑いの声をあげる。「礼を言われるようなことはしていないわよ、あたし」 「そんなことないよ。だって、絹香ちゃんが『剣道をやろう』って誘ってくれたおかげで、僕は強くなれたんだ」 「やあねえ、もう」と絹香は手を横に振った。「あたしはただ、棒を振り回したい一心で剣道をやり始めた変人よ。さあちゃんが『意地でも剣道なんかやらねえ!』って言うから、一緒に切磋琢磨できる子が欲しかくて、たまたま、ひなちゃんに声を掛けただけ」  ――朔夜が病気で幼稚園を休んでいると光輝たちは、日向や鍛冶、年下の子どもたちのことをいじめた。  そこへ木の枝や、ほうきを手にした絹香がやってくる。手に持ったものを振り回して光輝たちを追い払ってくれたことを、日向は思い出していた(もちろん絹香は幼稚園の先生から「そんな危ないことをしちゃ駄目でしょ!」と毎度怒られていた)。  思い出し笑いをしていると絹香が「やだ、なんか変なことでも考えてい?」と訊いてくるので日向は首を横に振る。 「ここまで剣道を頑張ってきたのは、ひなちゃんの意思よ。今日の試合で負けちゃったのは、ちょっと悔しいけど。でも、さすがだわ。すっごく強くなって見違えた」 「そう言ってもらえると嬉しいよ。僕も自分の課題が見えたし、まだまだ練習が足りないなって思うところもあるから、磨きをかけていきたいんだ。また、手合わせ願えるかな?」 「もちろん。いくらでも付き合うし、こちらからもお願いしたいくらいだわ。今度は負けないからね」 「うん、またよろしくね」  ふたりは手と手を取り合って、握手を交わした。手を離すと絹香は自分の腰に手を当て「あーあ。昔は、あたしとさあちゃんで守っていたのに……もう、いじめられっ子のひなちゃんじゃないのね」とニンマリ笑う。  すると日向は、顔を真っ赤にして絹香の手を引っ張った。 「もう、絹香ちゃんってば! その話はやめてよ。恥ずかしいから!」 「あら、そう?」  小悪魔のような笑みを絹香は浮かべる。  そこへ菖蒲がふたりの間に割り込み、ブーイングをあげる。 「ずるい! なんの話だか、ちんぷんかんぷんです。私にもわかるように、話してください!」 「仕方ないわね」と絹香は菖蒲の耳に手を当てる。 「じつは、ひなちゃんは……」  すると日向は両腕を大きく振って、わあわあ騒いだ。  そのせいで菖蒲は、絹香の話をよく聞き取れず、頬に人差し指を当てて首を傾げ。  絹香は不服そうな様子で「なによ、ひなちゃん。うるさいわね」と日向に対して、ぼやいた。 「いや、『うるさいわね』じゃないよね!」 「しょうがない。菖蒲、昼休みにでも話の続きをしたげるわ」 「きゃあ、蛇崩さん、ありがとうございます。太っ腹ー!」と菖蒲は、絹香の腕に抱きついた。 「えっ、僕の意思は無視? 結局話すの?」と日向がツッコミをしているところげ朔夜がやってくる。 「おい、いつまでもペチャクチャ喋ってんじゃねえよ。休憩時間は終わりだ。――日向、こっちに来いよ」 「さくちゃん!」  日向は破顔し、朔夜のもとへ駆け寄った。「頑張ってね」と応援してくれる絹香と菖蒲に手を振り、朔夜とともに大林の待っているところまで歩いていく。 「やっぱり最後は、さくちゃんとなんだね。絹香ちゃんと試合できて嬉しかったけど、さくちゃんと光輝くんの試合を見逃しちゃったから、ちょっと残念かも」  隣を歩いている朔夜の小指に、自身の小指を絡ませ、ちらと日向は朔夜の横顔を見る。  朔夜は表情を変えないまま、日向が絡ませた小指をきゅっと、つないだ。ポーカーフェイスをしている朔夜の耳は、ほんのりと赤くなっていて、日向は頬を緩めた。 「剣道を習っているおまえが、上位にいくのはわかってたけど、まさか俺も、ここまで善戦するとは思わなかったよ」 「そう? 僕は、さくちゃんと試合をすることになるって思っていたし、信じてたよ」  そこで日向と朔夜は繋いでいた小指をどちらからともなく離す。  それぞれ面をつけ、試合の準備に取りかかった。  生徒たちは自然と口を閉ざし、静かに日向と朔夜に目を向ける。  準備が整うと朔夜と日向は互いの目を見て無言で一礼した。竹刀を帯刀し、中央に引かれた線に向かって足を進める。三歩目で竹刀を抜き、腰を落とした。 「――始め!」  そうして教師の言葉を合図に、ふたりは立ち上がる。  日向は竹刀を朔夜に向かって振りかぶった。

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