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第9章 一本勝負3

「そりゃあ、おまえらの働きぶりはすげえよ。そのおかげで、みんなが過ごしやすくなった。光輝や、その取り巻き連中も、ずいぶんおとなしくなって助かってる」 「なら、いいじゃないか。あいつらが改心したとはオレも思ってない。だからって、やつらをつまはじきにしていい理由じゃないだろ。いじめられたからって、いじめ返すのは、なんか違わねえか? 過去のことは水に流して、人にされていやなことは人にしない。それだけじゃ駄目か?」 「おまえの言ってることは筋が通ってるよ。だけど、みんながみんな、そんな合理的に割り切れる話じゃねえよ!」 「穣」  透明なメガネ越しに、何もかもを見透かすような宵闇色をした瞳に映った自分の顔を見て、穣は言葉をなくす。  衛は、目の前で光輝にいじめられた子どもたちの声を代弁する穣に対して怒ったり、説教することなく、どこか達観した目つきでやさしく諭した。 「誰かが負の連鎖を断ち切らねえ限り延々と似た悲しいできことが繰り返されるだけだ」 「でも――」 「それにオレたちの王様が望むのは、()()()が平穏無事に過ごして笑っていること。小悪党に仕返しをすることじゃない」  光輝はおもしろくなさそうに「人の陰口を言うなら本人のいないところででコソコソ言ってくれないかなあ?」と嫌味を口にする。 「悪い、わざとじゃないんだ。いやな思いをさせたな」 「衛!」  穣は大声で衛の名前を呼び、慌てて穣の口を塞いだ。  キャアアアッ!  心を始めとした女子生徒たちの色めきだった声があがる。  目を見合わせた衛と穣、それから光輝たちが手すりに身を乗り出し、階下の様子を伺った。 「すごい、すごいわ……ひなちゃん、カッコイイ! ねえ、洋子ちゃん、鍛冶くんを今すぐ起こして!?」  興奮して、はしゃいでいる心の言葉に「はーい。まっかせてー!」と洋子は返事をする。  どこからともなくお盆を取り出した洋子は、お盆に入れられた水に手を浸す。「えいっ!」と指についた水を鍛冶の顔へかけると――「ギャアッ、冷たい!」  鍛冶が飛び起きた。 「ようやく起きたな。試合が佳境に入ったぞ?」  あきれ顔をした疾風が試合の状況を鍛冶に伝える。  噛みつかんばかりの勢いで鍛冶は手すりを両手で掴み、顔を近づけ、面をかぶっている日向の姿を食い入るように見つめた。  あれほど優勢だった絹香は防戦一方となっていた。  絹香の体力や集中力が切れた隙を見て、恐ろしいスピードで日向は面を打つ。  絹香も、試合を見ていた生徒たちも何があったのかわからず、言葉を失った。  しかし体育教師が旗をパッと上に上げ、「一本!」と叫んだ。  生徒たちはわあっと歓声をあげ、ふたりに称賛の声を贈った。  日向と絹香は互いに礼をして試合を終えた。  体育教師の(おお)(ばやし)は日向に声を掛け、五分間の休憩の後、最終戦を始めることを告げた。  もちろん日向の最後の対戦相手は朔夜だ。  面を取った日向は、ふうっと息をついた。視線を感じ、一階の舞台の上で、あぐらをかいている男たちに目を向ける。  ――マジですげえな。碓氷のやつ。あれでオメガとか信じられねえよな。  ――だから、ついたあだ名が「王子様」。女みたいな容姿をしてるけど、中身も、やることもまさしく紳士! 弱きを助け、強きを砕くってな。  ――オメガなのにあいつ、女子からモテてるんだぜ!? この間も一年に告られてるの見かけたぞ。相手は「可愛い」って噂になっているバトミントン部の一年!  ――はあ!? あの子、ベータだろ……オメガなのに、女子からモテてるとか、なんだよ、それ。  ――オメガの男って、アルファの男や女から人気があるんだろ。わざわざベータの女子の人気までかっさらってくなよな。  ――まあ、王子様なのも納得って感じだからな。男女両方から人気とか、よりどりみりで羨ましいわ。  ――てかさあ、いくら絹香が女だっつってもアルファだぜ。オメガに負けるとか、どうなってんだ?  ――碓氷がオメガと思えないくらいに強えからだろ。ベータの男もバンバン倒してたぞ。  ――つーか、碓氷もヤベエけど、絹香や辰巳だって、相当すげえじゃん。  ――男にだって口でも、ケンカでも負けねえアルファの絹香に、全国模試一桁の常連で教師からも信頼されているベータの辰巳だぜ。おれらが束でかかっても勝てねえっつーの。  ――やっぱトップ(スリー)の連中、人間やめてるわ……じゃなきゃ王様である叢雲の体制が成り立つわけねえって。 ――でもさ、おれたちもその恩恵に預かってるわけじゃん。あいつらのおかげで上の先輩たちみたいに学級崩壊や、いじめ問題が発生して、親召喚。教師に取り沙汰……なんてこともないんだから、つくづく平和だよなー。  あまり会話をしたことのない男子たちの噂話を尻目に、日向はあご先に伝ってきた汗を手の甲で拭った。 「ひーなーちゃん!」 「うわあああっ!」  急に首の後ろに冷たいものが触れ、日向は毛を逆立てて大声を出した。勢いよく後ろを振り返ると、そこには、ステンレス製の水筒を手に持った菖蒲(あやめ)がいた。 「お疲れ様でした。すごい活躍ぶりでしたね!? とっても、かっこよかったです!」

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