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第9章 憧憬4

「そんなわけないわ。めちゃくちゃ、あんたに対して腹が立ってるわよ」と絹香はどこか棘のある口調で答える。「あたしが十年以上も続けてきた剣道の試合を、ぽっと出のやつが勝つんだもの。そりゃあ面白くないわよ。おまけにそのだれかさんは、あたしが『剣道をやろう』って言ったときには散々いやがって、誘いを断った人間なんだから」  絹香に痛烈な皮肉を言われて朔夜は押し黙るしかなかった。  そんな朔夜の様子に菖蒲は「わあ……蛇崩さん、どこまでも容赦なーい!」と茶々を入れる。 「でも、あんたが道場に来て、練習している姿を何度も目にしてる。手が傷だらけになっても練習していたことを知っているわ。第一、あんたに向かって、あれこれ文句を言ってもあたしの腕は一向に上がらない。だったら現実を受け止めて認めるしかないでしょ」 「絹香……」 「あんたは上位のアルファで(てん)()の才がある。持てる者よ。その上、尋常じゃないほどの努力ができるんだもの。凡人や秀才がどれだけ努力したって敵わないわ。羨ましくて、(ねた)ましくてすごく――憧れるわ」 「それ、どういう意味で言ってる? おまえ、俺のことを貶してるのか?」 「馬鹿ね、違うわよ。あんたみたいになりたいって思ってる。すごく悔しいけど、あんたのことを目標として見てるのよ。天才であるあんたが人一倍、頑張ってるんだもの。凡人であるあたしは、もっと努力をして腕を磨かなきゃ、何者にもなれないのよ」 「……そうかよ」 「あんたって本当に卑屈な性格をしてるわね。自分のことを過小評価して卑下してる。能力を自慢したり、ひけらかして他人を見下している連中は嫌いだし、どうかしてると思う。けど、あんたみたいに人からいい評価をもらってるのに(けん)(そん)を通り越して『自分は世界で一番駄目なんだ』なんて悲観的な考えをしているやつのほうが、もっとたちが悪いわ。  周りの人間にはね、そういう態度は傲慢だと映るの。いずれは鼻持ちならないうやつだと思われ、敬遠されるようになるわ。そこら辺、気をつけなさいよ」「じゃあね」と手を上げて絹香は、菖蒲とともに颯爽と体育館を出ていった。  日向はそんな絹香の後ろ姿に()()れていた。 「絹香ちゃんって、かっこいいね。やっぱりアルファの女の人って素敵!」と彼女のことを褒めちぎる。  すると朔夜は唇を尖らせ、「そうかよ……」と拗ねた口調で返事をした。 「あっ、でも、誤解しないでね。僕の一番は、さくちゃんだから。さくちゃんも素敵だったよ!」  日向はお日さまのような笑みを浮かべ、朔夜に笑いかけた。  しかし朔夜は、どこか沈んだ様子でいる。試合に勝ったのに、ちっとも嬉しそうじゃない様子で、しかめっ面をする。    * 「さくちゃんが僕に勝ったのは、喜助先生の特訓を受けて僕と何百回も練習したから。アルファだから(オメガ)に楽勝したわけじゃないよ!?」  きっぱりと日向は言い切った。  だが朔夜は、不安げで堪らないという声色で喋る。 「けど、ほとんどの連中は、おまえが手ぇ抜いたとか、魂の番であるオメガだから│俺《アルファ》に負けたって思ってる。おまえは全力で俺に臨んでくれたのに……俺のせいで、おまえが正しく評価されなくなっちまった」 「なんだ、そんなことを気にしているの?」と日向はあっけらかんに笑う。 「そんなことって……」 「だって、僕が手を抜いていないことも、さくちゃんがズルをしていないこともわかる人にはわかるよ。大林先生は、すぐにさくちゃんの動きが練習をいっぱいした人のものだって見抜いたし、衛くんもベータだけどさくちゃんが頑張っているのをわかってるから最後まで見てくれた。もちろん絹香ちゃんは、さくちゃんの練習風景を目にして、実力を認めてくれた。だから、そんなに気にしないでよ」  しかし朔夜はどこか釈然としない様子で、顔をうつむかせている。 「もう、さくちゃんったら!」と日向は、朔夜の両頬に手を当て、顔を上げさせる。「本人が気にしないでって言ってるんだから、気にしなくていいんだよ!? 僕は――さくちゃんが僕に勝って喜んでいる姿を見たかったんだ。それなのに、せっかく今回のテストで一番になっても落ち込んでるなんて……なんだか悲しいよ」  へにょりと眉を下げ、日向はしゅんとしてしまう。  朔夜は、そんな日向の姿を目にして胸が痛んだ。いつまでも、うじうじしている場合じゃないと気を取り直す。 「悪い、おまえに悲しい顔をさせたかったわけじゃねえんだ」 「じゃあ、いつも通りのさくちゃんに戻ってくれる?」  日向は朔夜の顔を至近距離から覗き込み、小首を傾げた。 「ああ、落ち込むのはもうやめる。おまえの隣にいて恥かしくないように、堂々とするよ」と朔夜が、はにかんだ笑みを浮かべれば、「よかった!」と日向は破顔する。そして朔夜の背に手を回し、勢いよく抱きついた。  まさか日向に抱きつかれると思っていなかった朔夜は「うわっ!」と驚きの声をあげ、アスファルトの地面にしりもちをつく。ぎゅっと日向に抱きしめられた朔夜の頬は赤く染まっている。

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