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第9章 憧憬5

「おめでとう、さくちゃん! さくちゃんが勝って嬉しい。すっごく、かっこよかったよ! いっぱい努力をした甲斐があったね!?」と黒曜石のような瞳をキラキラさせる。満面の笑顔で日向は我が事のように朔夜の勝利を喜んだ。  朔夜は辺りを見回して人がいないことを確認すると、利き手である右手を伸ばし、日向の頭を優しく撫でた。 「ありがとな」と朔夜が、はにかむと日向は嬉しそうに微笑んだ。  それから日向は嬉しさのあまり、校内で朔夜に抱きついてしまったことに気づく。顔を真っ赤にしたかと思うと朔夜の上から飛びのいて、わたわたする。 「ごっ、ごめんね、おうちじゃないのに抱きついたりして! 怪我してない!? おしり、打ったよね。大丈夫……?」 「いや、怪我はしてねえけど……」と朔夜は、自身の赤くなった頬を恥ずかしそうに指先で掻く。「こうやって外でくっついたりするのは、よくねえって。学校なんだから少しは控えねえと。人目だってあるし、いつどこでだれに見られてるんだか、わからねえんだから」 「うん、そうだよね……」 「さっきの指絡ませてくるのもさ。あれ、一部の連中、気づいていたぞ?」 「え、あっ……ごめんね……」  日向はどこか傷ついた顔をして、目線をアスファルトの地面へとやる。  そんな日向の様子を見ながら、朔夜はすっくと立ち上がった。風によって、学校の周りにある畑やグラウンドから運ばれてきた細かい砂利や砂ぼこりがついた袴の臀部を両手で叩く。それから手を袴で拭くと地面で正座をしている日向の手を取り、立ち上がらせる。  済まなそうな顔をして「ありがとう」と日向は朔夜に礼を言う。「僕、つい気分が高揚しちゃって、あんなことをしちゃったんだ。迷惑だったよね」  朔夜は日向の手を取ったままの状態で「べつに迷惑ってわけじゃねえよ」とぶっきらぼうな口調で話す。「おまえが指を絡めてきたのも、抱きしめてくれたのも正直……嬉しかった。恋人が甘えてくるのを嬉しく思わねえやつなんていねえよ。たださ、時と場合ってもんがあるだろ。俺らが付き合っているのは、みんな知ってることだけどイチャついてるとこを見られて、からかわれるのは恥ずかしいんだよ。おまえと手をつないだり、ハグするのが、いやってわけじゃない。そこのところは勘違いするなよ?」 「よかった……さくちゃんに、いやがられてるわけじゃないんだ」 「当然だ」  ギュッと右手で日向の手を握りしめた朔夜は、左手で顔を隠す。 「おまえに触れられて、いやがったりするわけねえだろ。だから昼休みとか、放課後に……さ」  朔夜の言葉の意味が理解できた日向は、恥ずかしそうに頬を染めて顔をうつむかせた。 「そう、だよね。……うん」  まるで蚊の鳴くような声で日向は、つぶやいた。 「迷惑じゃねえから余計困るっていうか……もっと、したくなるっつーか。その……」 「その?」  ちらりと日向の桃色をした唇へと目線をやる。ゴクリと唾を飲み込んで喉仏が動いた。  すると突然、朔夜は勢いよく首を振った。  雨やシャワーのせいで、ずぶ濡れになった犬が身体をブルブルさせてるような動作をし出したので、日向はビクリと肩を揺らす。 「大丈夫、さくちゃん?」 「ああ、大丈夫だ! とにかく、もう少し気をつけようぜ。みんながみんな、俺らのことを応援してくれる人間ばかりじゃねえ。たとえ魂の番でも『男同士で恋人なんて気持ち悪い』って思うやつらも、少なからずいるんだからさ」 「うん、そうだね。僕らの約束を果たすためにも、気をつけなくちゃ」と日向は朔夜の言葉に同意する。  朔夜は日向の手を離した。  日向は次の授業があるのにもかかわらず朔夜が着替えをするのではなく、別棟へ向かっていることに疑問を感じ、「ところで、なんで別棟に向かってるの?」と尋ねた。 「ほら、俺、体育係だろ。だからレポートを取ってくるよう、大林先生に言われてたんだよ。で、ついでにおまえも連れてけって言われて、こっちに来たたわけ」  小首を傾げていた日向も、数秒経つと朔夜の言いたいことを察する。  「あっ……だから穣くんは呼ばれなかったんだ」 「ああ、何せ()()()は根っからの男嫌いだからな。穣のことだって、よく思ってねえ。けど、おまえは例外だ。かと言って数学係であるおまえをひとり送って、()()()みたいなことが起きてもヤバいからな。だから俺とおまえってわけ」 「うん……」 「大林先生が理科の(いし)(かわ)先生に、『俺の使いで叢雲と碓氷は授業に遅れる』って話してくれるって。さっさと終らせて授業に行こうぜ。着替える時間もあるんだし」  そう言って朔夜は別棟に向かって歩を進める。だが、日向が自分の後をついてくる様子がない。振り返ってみれば、日向がなんとも言えない顔をして固まっていた。 「……やっぱり、気まずいか? 振った女と顔を合わせるのは……」 「うん、ちょっとね」と日向は答えてから、ゆっくり動き出して朔夜の隣に立つ。「でも、僕が、さくちゃんを好きになるまでもいろいろとアドバイスをしてくれて、さくちゃんと付き合うようになってからも、たくさん相談に乗ってくれた。何より『次に会うときは普通に接して。答えはわかってるから』って気を遣わせちゃったんだ。だから、いつまでも避けるわけにはいかないよ。僕と同じ――ううん、あの子のほうがずっと、つらい思いをしてるから」

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