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第10章 王子様4
「空、おまえ、なんで……」と朔夜がためらいがちに訊けば、空は申し訳なさそうな顔をして笑う。
「朔夜くん、私ね、ふたりの邪魔をする気も、日向くんを奪おうなんて気もないのよ。ただ、どうしても自分の気持ちに踏ん切りをつけたくて、日向くんに告白をしたの。振られるのは最初から、わかっていたわ」
「空ちゃん」
「ありがとね、日向くん。いつも通りに接してくれて嬉しかったよ。変なことを言って、煩 わせちゃって、ごめん」
「そんなことないよ。空ちゃんの気持ちには応えられないけど、嬉しかった。断ったのは僕のほうなのに、『これからも友達でいて』って言ってくれてありがとう」
不意に空は泣きそうな顔をしたが、すぐに凛とした態度をとり、ふたりのことを見据えた。
「手間を掛けて悪いと思うけど、ふたりに菖蒲ちゃんのことを頼んでもいいかな? お兄ちゃん、授業をサボるし、菖蒲ちゃんがいないことに気がついて、また菖蒲ちゃんに迫るかもしれないから」
「ああ。わかったよ、空」
「うん、菖蒲ちゃんのことは僕たちに任せて」
「私じゃ、菖蒲ちゃんの話を聞くことしかできないから……お願いします」
空は頭を下げ、次いで相談室のアイボリーカラーの壁に掛けられている丸時計へと目をやる。
「大変、もう授業が始まっちゃうよ!? ふたりとも早く着替えないと!」
「ああ、そうだな。――悪い、日向。先に行ってくれないか?」
日向は「えっ?」と戸惑いの声をあげた。
朔夜は日向の手の中にあるレポート容姿を受け取った。
「少し空と話したいことがあるからさ。大林先生とかに少し遅れるって伝えておいてくれねえか」
「――うん、わかった」と日向は返事をした。
「じゃあ任せたな」
朔夜に肩を叩かれた日向は笑顔を浮かべる。そして相談室を退出する前に空へ声を掛けた。
「それじゃあ、空ちゃん。また後で。昼休みに顔出しに来るね」
「うん、ありがと。またね」
日向がドアを閉めて出ていくと空は、机の中から理科の教科書とノートと問題集を取り出し、シャーペンを手に取った。
「空、その……ほんとに悪い。おまえに、何もしてやれなくて……日向のことも……」
空は、気まずそうな様子でいる朔夜のことを一瞥してから、問題集に目線を落とした。
「謝らないで。私、朔夜くんには感謝してるんだよ。お兄ちゃんの歯止めになってくれてることも、教室に入れない私に気を遣ってくれることも、すごくありがたい。じゃなきゃ私、家で引きこもりになってたか、家出して不良になってたと思う」
「おまえに限ってそんなことは――」
ないだろと朔夜が続けて言おうとしたら、空は「この世界に絶対なんてことはないよ」と言い切った。「私が、なんとかギリギリでもやっていけてるのは、日向くんがいるから。でも、それは朔夜くんのおかげなの。朔夜くんがみんなの求めるやさしい王様じゃなかったら、きっと日向くんも今のように笑っていられなかったはずだよ」
「俺は、そんな大層なものじゃない。アルファになっても名ばかりのアルファで、日向やおまえに何もできない……」
空は目線を上げて、ふっと大人びた微笑みを浮かべる。
「当たり前だよ。だって朔夜くんは大人じゃないんだもん。私と同じ、ただの中学生。大人に守られる立場。子供なんだよ」
悔しそうに朔夜は唇を噛みしめ、今にも消えてしまいそうな微笑みを浮かべる空の姿を目に焼きつけた。
目線を上にやった空は朔夜ではなく、手の中にあるシャーペンについた太陽の形をしたチャームを眺めていた。
「漫画や小説に出てくるキャラクターみたいに、すごい能力を持っているわけでもなければ、物語の主人公でもない。怖い大人たちにひとりで立ち向かえたら、それこそおかしな話だよ」
「そうだな、おまえの言う通りだ。でも俺は……日向やおまえを守れるくらいの強い力を持つアルファになりてえんだよ」
奥歯に食べ物が挟まったような顔をして朔夜は、空に自分の胸のうちをさらけ出した。
神妙な顔をして空はシャープペンを両手で握りしめる。
「今すぐに、そんなふうになるのは難しいと思う。もし、朔夜くんが強いアルファになれたとしても、どんなに速くても高校を卒業する頃や大学生になるくらいじゃないかな。大人に近い年齢にならないと、いろんな意味で大人たちには立ち向かえないよ」
何も言い返せなくなり、朔夜が黙りこくると空は、ふたたび目線を下にやる。問題集に書かれている文字を読むことに意識を集中させた。
「先生たちの中には、私やお兄ちゃんの存在を疎ましく思うだけで、何もしてくれない人もいる。だから朔夜くんは、すごいんだよ。ただの他人である私のことを、自分の家族や兄弟みたいに心配してくれて、子供たちのことを考える先生たちを説得してくれたんだもん」
「……俺は、ただ、日向の望む世界を作ってやりたいだけなんだよ。それだって、まやかしで、砂の城と変わらねえ。俺のエゴにみんなを付き合わせてるだけだ」
眉間にしわを寄せた朔夜は答えのない問題に頭を悩ませ、目線をさまよわせる。
対して空は問題集の空欄に入る言葉を語群から探し、ノートにシャーペンを走らせた。
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