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第10章 王子様3
「私も、菖蒲ちゃんのことが、本当のお姉ちゃんみたいで好きだよ。菖蒲ちゃんが私のお姉ちゃんだったら、きっと毎日が楽しくて、素敵だったと思う。だから菖蒲ちゃんがお兄ちゃんの話をして、つらそうな顔をしているのは見たくないの」
「――すみません。また後で来ますね」
一言残して菖蒲はその場を立ち去った。
朔夜は神妙な顔つきをして、ドアをじっと見つめている空へと視線をやる。
「ところで空、体育の授業のレポートは、どうだ? 大林先生に持ってくるように頼まれてるんだけど、まだ提出は無理そうか?」
しばらくの間、空はぼうっとしていて、朔夜の言葉に返事をしなかった。
空の様子を心配した日向が「空ちゃん」と声を掛ける。
急に夢から覚めたかのように意識を取り戻した空は、「えっ? あっ、うん! 大丈夫、提出できるよ」とレポート用紙を日向に向けて差し出した。
眉を寄せた朔夜は、こめかみに指先を当てた。
「おまえなあ、日向に渡してどうするんだ? 体育係は俺と穣だぞ」
「えっ? あっ……!」
「日向は数学係だ。俺の付き添いで来てくれただけなんだぞ。しっかりしてくれよ」
「あ、……ご、ごめんなさい……」
突然空は、がたがたと全身を震わせた。
そんな彼女の姿を目にして、朔夜は「しまった」と顔を歪める。
「日ノ目さん、大丈夫!?」
豊岡は苦しそうな息遣いをする空の背を撫でさすった。
一向に空の震えは止まらず、むしろどんどん悪化していく。
涙を流し、酸素を求め喘ぐ空の細い肩に、日向はそっと手を置いた。
「大丈夫だよ、空ちゃん。さくちゃんは怒ってないから平気だよ。安心して、ねっ?」
空は救いを求めるかのように手を伸ばし、日向に抱き着いた。
幼い子供をあやすような手つきで日向は空の背を優しく叩いてやる。
「大丈夫、大丈夫だよ」と呪文のように唱える日向の声に合わせて、ゆっくりと空は息を整えた。
次第に落ち着きを取り戻した空は、ほっと息をつく。
「ごめんね……日向くん……面倒を掛けちゃって……」
「ううん、謝らないで、空ちゃん。発作が止まってよかった」
日向の言葉を受けて、かすかに空は頬を染め、ぎこちない笑みを浮かべた。
「空、悪い。俺の不注意で発作が起きちまったな。……大丈夫か?」
「……うん。……朔夜くんのせいじゃないから……気にしないで……」
躊躇いがちに朔夜は「ああ、わかった」と返事をする。
日向は空に微笑みかけ、レポート用紙を受け取った。
「はい、さくちゃん。空ちゃんのレポート……さくちゃん?」
ぼうっとして、どこを見ているかよくわからない朔夜へと日向は声を掛ける。
「えっ……あ、ああ、ありがとな」
意識を取り戻した朔夜は複雑な表情を浮かべて日向からレポート用紙を受け取った。
「すごいわね! 日向くんが空ちゃんのことを抱きしめたら、あっという間に空ちゃんの具合がよくなるなんて……先生、ビックリだわ!」
突然、豊岡は日向のことを褒めちぎった。
豊岡の様子を不思議に思いながら、日向は笑みを浮かべた。
「いえ、僕は大したことはしてません――」
「いっそのこと、ふたりとも付き合っちゃえば?」
唐突な豊岡の話に朔夜と日向は面食らう。
空も顔色を曇らせ、「先生、あの……」と話しかけるが、豊生は三人の子供たちの様子に気づいていないのだろうか? 意気揚々と口を動かす。
「オメガはアルファとしか付き合っちゃいけないなんて法律もないんだよ。空ちゃんを見ていれば、日向くんを好きなのは一目瞭然! 日向くんだって、空ちゃんの
発作を止められる唯一の男の子だもの。ふたりとも、お似合いよ!」
植仲中学校だけでなく周囲の中学校の相談員もやっている豊岡は、朔夜と日向が魂の番であり、現在進行系で付き合っていることも、空が日向に告白をしてすでに振られいることも知らなかったのだ。
日向は豊岡の言葉に当惑し、朔夜と空を交互に見た。
空は一度ぎゅっと目を閉じてから、頼りなさげな笑みを浮かべる。
「先生、それはできません。だって日向くんには、心に決めた人がいるんですから」
「ええっ? 日向くん、もう誰かと付き合ってるの!? 一体誰と!」
色恋沙汰の話となって、豊岡は興奮気味に空と日向へ声を掛けた。
「朔夜くんとです」と空は、はっきり答えた。「朔夜くんと日向くんは魂の番で、幼稚園の頃から仲がよかったんです。それで小学校六年生になって朔夜くんが告白をして、以来恋人同士なんですよ」
「えっと、そ、そう……そうだったの。ぜんぜん気づかなかったわ」
「だから私の入る余地なんてどこにも、ありません。運命の赤い糸で結ばれているから相性抜群なだけじゃなく、ふたりともすごくお互いを一途に思い合って、大切にしてるから」
満足そうに空は微笑んだ。
日向は空の発言に耳まで赤くして恥ずかしそうに顔をうつむかせる。
朔夜も朔夜で首の後ろをかきながら照れた。
「まあ、空の言う通り、だよな」
朔夜に賛同を求められた日向は小さな声で「うん……」と、はにかんだ。
「あら、そうだったの? 気がつかなくてごめんなさいね。そうだ、わたし、職員室に用があるから。少し席を外すわね」と作り笑顔をした豊岡が早口に喋りながら、慌ただしく相談室を出ていった。
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