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第10章 王子様8

「どうせ、そんなことだろうと思ったよ」 「まあ、ストーブの電源を切って、鍵を職員室に持っていくだけだから楽でいいけど。じゃあなー、朔夜、碓氷。また、後でー! お互い、無理せず頑張ろうぜ」 「そうだな。じゃあ、行くか。日向」 「うん! 三人とも、またね」  日向は三人に手を振り、朔夜とともに温かい教室から冷たい廊下へと出た。  階段を下りながら日向は自身の腕を身体に巻きつけ、腕をさすった。歯をガチガチ鳴らして身震いする。 「うー……やっぱり寒いね。マフラーも手袋も禁止なの、きついなー。雪が降らなければいいんだけど……」 「ったく、相変わらず寒がりだな。日向は」  朔夜はジャージの上着のポケットに入れておいたホッカイロを出し、日向に手渡した。  日向はホッカイロと朔夜の顔を交互に見て「いいの?」と訊く。 「まあ、使いかけだけどな」と朔夜はそっぽを向いた。  そっぽを向いた朔夜の耳がほのかに赤くなっているのを見て、指先と胸の奥がじんわりと温かくなるのを日向は感じた。 「何もないよりはましだろ。と言っても気休め程度にしかならねえけど」 「ううん、そんなことないよ。ありがとう。でも、さくちゃんはいいの?」 「俺は平気だ。もとから暑がりだし、絹香が勝負を吹っかけてくるから、いやでも身体が温まる。光輝の監視もしねえといけねえしな」 「そう。絹香ちゃんと疾風くんが呼びに行ったんだよね。空ちゃんのこと」 「ああ……まったく空も、空の親御さんも何を考えているんだかな。喘息持ちで薬を飲んでるっつーのに、あいつ、マラソンの見学用紙を提出しなかったんだぜ?」 「えっ!? 大丈夫なのかな……」 「あいつが朝、登校してる姿を見かけたけど、大丈夫そうには見えなかった。顔が真っ青になってたからな。あの様子じゃドクターストップもかかってそうなのにさ」 「なんで? どうして空ちゃんは走るのを辞退しなかったんだろう?」と日向は朔夜からもらったホッカイロで両手を温めながら、朔夜に尋ねる。 「あくまで、これは俺の憶測だけど――空のやつ、あのクソ意地の悪い継母に脅されてるんじゃねえか」 「……その可能性は高そうだね」 「ああ、大会に出なきゃ飯をやらねえとか、家に入れねえとかクソてえなことを言ったんだろ。光輝のやつも、継母のご機嫌をとらねえと家でやってけねえみてえだからな」  前日からどこかピリピリとしていて始終機嫌が悪く、誰彼構わず当たり散らしていた光輝の姿を、日向は思い出した。朔夜がくれたホッカイロを胸の前で抱きしめる。 「何も起こらないで無事に終わるといいんだけど……」 「だな。一応、先輩方や先生の目もあるから、そうそう手出しはできねえはずだ。俺と絹香も光輝に目を光らせておくし、衛や穣、洋子たちに、いつも通り走ってもらって他の連中が怪しい動きをしないか、見張るように言ってある。おまえは空の様子を見てくれねえか?」 「うん、任せて」 「頼んだぞ。けど、無理だけはすんなよ? おまえ、今日、具合があんまよくねえだろ」  朔夜は日向の冷たくなり、赤みのない頬を指先で撫でる。  日向は顔を横に向け、朔夜の手から逃げるような動きをして微笑んだ。 「どうしたの? さくちゃんったら、心配しすぎ」と朔夜の前を歩いていく。  朔夜は日向の手首をしっかりと掴んだ。 「嘘だ。俺やおばさんに迷惑をかけねえように、笑ってるんじゃねえのか?」 「そんなことはないって……」 「おまえ、さっき抱きしめたときに一瞬だけど顔を歪めたし、身体を強張らせてた。どっか怪我でもしてるんじゃねえか?」  小刻みに肩を揺らした日向の様子を見て、朔夜は確信する。 「なあ、どうして何も言ってくれねえんだよ? 俺はおまえの恋人で、魂の番なんだぞ。それなのに、なんで嘘をつこうとするんだよ……?」  しかし日向は朔夜の問いかけには答えなかった。おひさまのような笑みを浮かべて振り返る。 「ねえ、急がないと遅れちゃうよ?」 「おい、日向!」 「ほら、さくちゃん。早く行こうよ」  日向は階段を駆け下りて下駄箱のほうへと走っていく。  ああなった日向には、何を言っても無駄であることを知っている朔夜は自身の髪を乱暴に掻き、日向の後を追うことしかできなかった。  すでに子供たちは学年ごとに整列していた。  担任が点呼をし、人数確認が終わるとすぐに教頭の号令で朝の挨拶をおこない、校庭で校長の講話を聞く。その後、大林と体育委員による準備体操をして、大会前の水分補給とトイレ休憩の時間になった。  その間、光輝たちは人の目があるからとおとなしくしていた。特に目立った行動は見られない。 「おし、じゃあ……おまえら準備はいいか? 歩くのはいいが、どっかの家にご厄介になって茶をしばいたり、人様んちの干し柿やら大根やらを盗んだりするなよ!? そんなことしたら、おれがおまえらをコテンパンにしばくから、覚悟しとけ!」とスタート前の大林のジョークに、どっと笑い声があがる。「位置について――」  天に向かって上げられたピストルの空砲の音がすると生徒たちは一斉に走り始めた。

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