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第10章 王子様9

 学年関係なしに運動部のエースや体育の授業が得意だったり、普段から走り慣れている人間はグラウンドをすでに一周しており、颯爽と正門から町中へと出ていった。  一方、文化部や体育の授業が苦手な人間たちはマイペースに走ったり、早歩きだったり、牛歩のごとくゆっくり歩いていたりと時間内に走り終えられるのか、すでに怪しい……。 「神様、仏様……お願いだから雪を! 大量の雪をお願いします!」 「もう鍛冶くん、諦めなって。雪は降りそうもないよ!」  走る気力が一切ない鍛冶の背中を押しながら、日向は叫んだ。  疾風とともにバドミントン部に所属しているものの走ることが苦手な鍛冶は、端から走るつもりなどなかったのである。  吹奏楽部でサックス奏者でもある心も、走る気は毛頭ないのか普段の歩く速度よりも、さらにゆっくりとした――まるでのんびり草をはんでいる牛のような速度で歩いている。が、クワッと獲物を見つけたワニのように大きく口を開ける。 「そんなことないわ、ひなちゃん! 神様は天から私たちを見守ってくれているもの。“信じる者は救われる”わ。奇跡は必ず起こるのよ!」  キリスト教信者でもない心が、熱くなっている姿を目にした日向は若干引きながら、「そうかな……?」と小さな声で答える。  日向は自分たちの後ろを歩く空へと目線をやった。朔夜が話していた通りに顔色は土気色をしていて、クマもひどい。フラフラしていて歩くのもやっとな状態だろうに、ゆっくりとしたペースで走っている。 「ねえ、空ちゃんだって、そう思うでしょ? 雪が降ったら嬉しいなって!」  心が話しかけても空は反応しない。表情ひとつ変えぬまま、まるで耳が聞こえていないみたいな様子で、心を追い越していく。  心は足を止めて、動かなくなってしまった。 「心ちゃん、どうしたの?」  振り返った日向は鍛冶の背中を押すのをやめると心のところまで走っていき、うつむいている心に話しかけた。  しょんぼりした表情をしている心が「あっ、うん……」と返事をする。「私……空ちゃんに振られちゃったみたい。なんだか、いけないことを言ったかな?」 「光ちゃんが、うざからじゃないの?」と日向の後ろをついていきた鍛冶が口を挟んだ。 「んなっ! 何よ、それ!? ちょっと鍛冶くん! 聞き捨てならないんだけど……!」と怒り心頭になった心が拳を作って、鍛冶を追いかけまわす。  ふたりはマラソンそっちのけで追いかけっこをし始めた。  そんな彼らの姿にため息をついた日向は、小学生だった頃を思い出す。  昔は空ちゃんも笑顔を見せていたし、僕や鍛冶くんと一緒に話しながら、走ったりしたんだけどな。僕がこけて膝を擦りむいたときも、すぐに駆けつけて手を差し伸べてくれたのは、空ちゃんだった。なのに、僕は――。 「ふたりとも、いい加減にやめなよ。鍛冶くんも、なんでそんなことを言うの?」 「だ、だって……ほかに理由なんてなさそうだし……」と涙声で鍛冶は答えた。 「時間内にゴールできないと放課後に校庭を走らされるんだよ? 三人で走る?」  この世の終わりみたい顔をした鍛冶と心が、示し合わせたかのように首を横にブンブン振って、それはいやだと主張する。  鍛冶のジャージャの上着を掴んでいた心は、ゼエゼエ言いながら、目を三角にして日向に話しかけた。 「ね、ねえ……どうして空ちゃんは、私を素通りしたのかしら? 私、嫌われちゃったの!?」 「嫌われてはいないと思うけど……」と日向は、頭をひねる。「雪が好きな人もいれば、嫌いな人もいるんだよ。雪が降ったら、寒いから。……薄着だとすごく冷えるんだ」  日向の言葉の意味を理解できなかった鍛冶と心は口をポカンと開けていた。  表情を明るくした心が「わかった、そういうことね」と言ってポン! と手を打つ。「だったら、ストーブに当たればいいんだわ! うちのママもこの時期になると台所でお料理を作る前は、ひっつき虫みたいにストーブに張りついているもの」 「わかる……でも、こたつもいいよね! カタツムリとか、ヤドカリみたいに、こたつで移動したいくらいだよ。なんだかぼく――みかんが欲しくなってきちゃった。早く家に帰って猫のフレアを膝に乗せたいよー」  すると心が「わあ、猫ちゃん! いいわね、モコモコのふわふわで」と鍛冶のことを羨んだ。「寒いときは、動物や人とくっついて暖を取りたくなるわよね」 「だねー。ホワイトクリスマスに、ひとつのマフラーを一緒にしているカップルを見ると、ほっこりするよね。ぼく、憧れちゃうなー……」 「いいわね! なんだかすっごく、ときめいちゃう。でも雪山で遭難した人たちがロッジや、かまくらの中で裸になって抱き合うのも王道よね!? ひなちゃんも、さあちゃんとそういうことをした? 今後のご予定は!?」  目を爛々とさせ、鼻息を荒くしている光とは対象的 に、日向は懸命に走っている空の――自分たちよりもずっと遠くにある背中を注意深く見つめていた。 「ひなちゃん?」  鍛冶に声を掛けられたにもかかわらず、日向は返答せずに突然、走り出した。

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