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第11章 無力6

「そんなことないよ」  気落ちした日向は、膝の上に置いた自身の拳を見つめながら答えた。 「さくちゃんの言ってることは間違ってない。的を得てるよ。本当はわかってる……お父さんのやってることは、おかしいって。僕や、お母さんのことを疎ましく思っている。  だけどそれを認めたら、僕は自分のことも、お母さんのことも、お父さんのことも許せなくなっちゃうんだよ。真っ黒なものに心も、体も飲み込まれて、自分が自分でいられなくなりそうなんだ……」  朔夜は、日向の小刻みに震える右手に自分の左手を重ねた。  弾かれるように日向は顔を上げ、真剣な顔つきをする朔夜の灰色の瞳を凝視する。 「そんなふうにはならねえよ。いや、そんなふうにはさせねえ。おまえがそうならねえために俺がいるんだ」 「さくちゃん……」 「もしも、おまえが真っ暗な暗闇の中に閉じ込められて、自分がどこにいるのかわからなくなっても、必ず俺が見つけ出す。おまえのことを絶対に守るって約束しただろ」  きゅっと唇を噛みしめた日向は、朔夜の肩へ額をあてる。 「ごめんなさい、心にもないことを言って。きみを傷つけるようなことをして……」 「俺も悪かった。ごめん……ごめんな、日向」  そうして日向は訳もなく涙を流した。自分の運命が悲しいのか、父親や母親に腹が立っているのか、彼には自分の気持ちがわからなかったのだ。  朔夜は何も言わずに黙っていた。ただ日向が泣き止むまで彼の頭をそっと撫で続けたのだ。  日向が泣き止むと朔夜は、日向が袖を通しただけのワイシャツを脱がせるのを手伝い、手早く折りたたんだ。学ランとセーターの上にワイシャツを置き、立ち上がる。朔夜は日向の身体の前面と背面をじっくりと観察した。  日向の変色してしまった背中へ手をやり、繊細なガラス細工にでも触れるような手つきで肌を撫でさすった。  ピクリと眉を動かした日向は顔をうつむかせる。耳は赤く染まり、首筋や肩も赤く上気していく。  だが朔夜は日向の怪我のほうに視線がいき、彼の変化に気づかなかい。 「痛むか?」 「うん、少し……」  朔夜は日向に気づかれないように小さく息をついた。  なんで、じつの息子に対して、こんなひでえことができるんだよ。おじさんが何を考えてるかマジでわかんねえ。理解に苦しむわ……と心の中で愚痴りながら日向に話しかける。 「下はどうする? 脱ぐのが難しそうなら俺が脱がすけど」 「えっと……その、」  眉を八の字にし、肉食動物を前にした草食動物のように日向は身体を震わせた。  彼の奇妙な様子に違和感を覚えた朔夜は片眉を上げ、首をかしげる。 「ここでするの?」と弱々しい声で日向は尋ねた。 「当たり前だろ。そのために薬箱を取ってきたんだから」 「先生も知ってるの?」 「じゃなきゃ貸してくれねえよ。安心しろ。『日向が空を運んでいる最中に、こけたところを看る』って言ってあるからさ」 「そう、なんだ」 「アザもやべえけど手のひらの傷もひでえもんだな」  朔夜は華奢な日向の手首をとった。自分よりも一回りは小さい、傷だらけの手を眺める。 「膝も、ひでえことになってそうだな。脱ぐの手伝おうか?」 「平気、ひとりでできるから……」 「わかった。じゃあ脱ぎ終わったら、声、掛けてくれよ」  そうして日向の手首を離すと朔夜は薬箱の中へと目線を落とす。傷の手当てに使えそうな薬品や備品を箱の中からとり出した。  日向は静かに立ち上がるとベルトを外した。上履きに靴下、ズボンを次々と脱ぎ、跳び箱の一番上の段の上に衣服を乱雑に置く。跳び箱の横に立てかけられているジャンプ台の前に下履きを置いた。息を整え、かすかに震える手で下着を脱ぎ捨てる。 「さくちゃん……脱いだよ……」 「ん、わかった」  朔夜は顔を上げると同時にマットの上から、ずり落ちた。  灰色のふたつの目は、桃のように丸い尻と細い腰に釘づけになっていた。  ためらいがちに日向が振り返る。  同じ男の身体でありながら日向の身体は、少年にも、少女にも見える危うさを秘めていた。  筋肉のついてないやわらかな胸には桃色をした乳輪の大きな乳首がポツンとついている。まるでギリシャ彫刻のような男性器は芸術的な美しさすら感じさせるもので、毛が一本も生えていない。乳首と同じ桃色をしている。  触れれば壊れてしまいそうな儚さや清廉さ、そしてアルファを誘い込む(いん)()なオメガの色香――アンバランスな魅力が、ひとりの人間の中で共存している。  幼稚園の頃、一緒に風呂に入り、日向の裸を目にしていた朔夜は衝撃を受けた。  これは、はたして自分と同じ生き物なのだろうか?   一糸纏わぬ日向の姿に朔夜は見惚れていた。  バニラアイスに似たヘリオトロープの香りが強く香ってきて朔夜の理性を溶かそうとする。  顔を真っ赤にした日向は、恥ずかしそうに目を伏せ、朔夜の名前を小さく口ずさんだ。  はっと意識をとり戻した朔夜は立ち上がり、日向に背を向けて大声でがなり散らす。 「なんで下着まで脱いでるんだよ! ケツや足のつけ根に怪我をしてねえなら脱ぐ必要は、ねえんだよ!」 「だって、さくちゃん……ここを出ていく前に言ってたでしょ? 『抱く』って」  日向の乾いた足音がする。  心臓が今にも口から飛び出しそうで朔夜は口元を押さえた。

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