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第159話
「橋詰さんは、長い間、父を殺した犯人を捕まえたかったそうです。どうして父が殺されなければならなかったのか、自分は止められなかったのか、ずっと、考えていたそうです。それで、俺が、堀口を追い詰めることができたことに、お礼を言われました。堀口の件やその後の菊池の件で、俺が退職することになったことを詫びられました。今回のことは、全部、俺が自分の両親の復讐をしたかったからなのに、橋詰さんは全てに大きな責任や後悔を感じているみたいでした」
東城は、以前、橋詰から、自分は広瀬の父親を愛していたと聞いたことがある。
広瀬は橋詰の恋情は知らないのだろう。
広瀬は言った。「納得はできないですけど、あんなに、感情的に話をされる橋詰さんは初めて見ました。だから、あの場で、橋詰さんを問い詰めることはできませんでした」
そこまで話をして広瀬は大きく息をつき、口を閉じた。
彼の復讐は不完全なままで、菊池は間もなく保釈されるのだ。さらに、自分が依拠する組織もない。
あんなに熱心に働いていたのに。なにもかも、彼の意思に反して進んでいってしまうようなのだ。
長い時間、広瀬は黙っていた。
東城は、なにか広瀬に声をかけようと思った。
なにがあっても俺がお前を守るからとか、しばらくゆっくりするといいとか。なにも心配はいらないとか。他にも、なにか、慰める言葉や冗談のような言葉。広瀬の心が晴れるような言葉はないだろうか。
そう考えながらちらっと広瀬を見る。
広瀬は目を閉じてうつらうつらしていた。
疲れているのだろう。まだ、体調も元通りではないところに、今日の橋詰の話だ。
静かに寝かせておこうと思っていたら、車が少し揺れた拍子に、広瀬は目を開けた。
彼は、こちらを向くと思い出したように言った。
「橋詰さん、東城さんのこと怒ってましたよ」急に明るい声になっている。「苦労知らずのぼんぼんだろうから、経産省に送り込んだ時も、仕事できないんじゃないかって懸念していたそうです。でも、先方に溶け込んで、ずっといてもらいたいって言われるくらいには仕事してたから、安心してたそうです」
「なんだよ、それ」
全然褒められてはいない話だ。だいたい、広瀬は率直に人の言葉を伝達しすぎる。オブラートに包むってことができないんだろうか。いや、わざとなのか。
「ところが、俺を見つけても黙っていて、竜崎さんから報告を聞くことになるとは思わなかったそうです。あんなに世話をしたのに、なぜ、自分をないがしろにするのか、それとも考えが及ばなかったのか、全く、理解に苦しむそうです」
「まあ、そう言われても、仕方ないか。あやまってくれたんだろうな」
「なんで、俺が、東城さんの代わりにあやまらなきゃいけないんですか?」広瀬は微かに笑っていた。「俺は自分が連絡しなかったことは重々あやまりました。東城さんの分は自分であやまってください。」軽い冗談を言っている口調だ。「橋詰さんから、東城さんのこと、何考えてるかわからないし、信用がおけないから、今後、同居はしないほうがいいって言われました。仕事も家も探しておくから、移動する準備をしておきなさいって」
「本当に、そんなこと言ってたのか?」
広瀬はうなずいた。面白そうに付け加える。
「俺から東城さんに伝えにくいんなら、橋詰さん、自分で東城さんと話をつけるそうです。問題なく処理できるから、後のことは心配しなくてもいいって言われました」
「真面目な話、警察庁の偉いさんに、処理とか言われたくないんだけどな。それで、お前は、なんて返事したんだよ」
「断りました。東城さんを置いてどこか行くことはできません」と広瀬はさらりと言った。
「俺には、東城さん以外考えられないから。そう言ったら、橋詰さん、渋い顔して不愉快そうにしてました」
そう言う広瀬の声は朗らかで、笑っていた。
車内に張り詰めていた重い空気は、彼の笑い声で消え去っていた。
東城は、信号が赤になった時に、手を伸ばして、広瀬の頭をなでた。彼は、気持ちよさそうにしていた。
しばらくすると、広瀬は、また、目を閉じ、助手席のシートに身体を沈め、眠り始めた。
その顔は穏やかで、心なしか幸福そうにも見えた。
不思議だ。広瀬は、落ち込んでいないのだろうか。東城に気をつかわせまいとしているのか。
どちらかさっぱりわからない。
でも、どっちでもいいか、と東城は思った。広瀬も説明をつけられなさそうだ。
とにかく、広瀬が橋詰に言った言葉は本心からのものだ。そのことの方が自分には貴重だ。
東城は、ハンドルを切った。
このまま、遠回りすることにしよう。彼が自分の隣でしばらくはゆっくりと眠ることができるように。
夜は、静かで、街灯が道路を照らしている。彼を乗せて、行けるところまで行くつもりだった。
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