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第1話

1  ふと顔を上げると、バルコニーの腰壁の上に見える小さな空に、濃い灰色が混じり始めていた。  さすがに腹が減り、俺は重い腰を持ち上げ、食糧の買い出しに向かう気になった。  俺は作家を志しながらも少しも芽が出ない、冴えないサラリーマンだ。日曜日は昼過ぎに起きて、残りの時間をテーブルに置いたパソコンに食らいつくのが習慣になっている。  俺が住むマンションの、同じ四階の突き当たりの一号室には、初老の男性と三匹の犬が住んでいる。俺が玄関から廊下へ出る気配を感じ取ると、威嚇するように吠える。  だが今日は奴らの虫の居所がいいのか、一向に騒ぎ立てる気配がない。  俺は玄関の扉に鍵を掛け、廊下を歩き出した。  今夜はやけに月の赤い夕暮れだ。たしかブラッドムーンと言っていた。僅かな時間しか観られないと言うから、今夜は運が良いのかも知れない。だがその赤い月は不吉な報せだとか、地震の前兆だという話も聞いた。  でもそれは単に赤い光だけが遠い距離を抜けて届くために、月が赤く見えるというだけのことを、昔の人は知らなかったのだ。  あれこれと考えていたせいか、俺は後ろから階段を降りてくる数人の若者に気付くのが遅れた。 「うわっ、びっくりした!」  藪から棒に言葉を投げかけられ、俺は驚くというよりその無礼さに呆れてしまった。彼らは謝るでもなく、俺を舐め回すように睨みつけながら階段を降りて行った。  すると突然、若者達は二階の踊り場から飛び降りた。それを見てさすがに驚いた俺は、手摺から身を乗り出して成り行きを見守った。いくら調子に乗っている若者であれ、怪我をしたのでは放っておくことはできない。思わず固唾を飲んで、様子を見ていた俺は再び呆れるしかなかった。  弾けるような奇声と笑い声が辺りに響き渡ったのだ。 「驚いたよな!」 「いきなりいるんだもんな!」  それは俺と出くわしたことを指しているのだろう。だがそっくりそちらにお返ししてやりたいところだ。  それにしてもこのマンションにあんな若い奴らが住んでいるとは知らなかった。それも同じ四階に。あるいは誰かが友達でも呼んだのだろうか。 (今に痛い思いをするぞ)  俺は階段を降りながら独りごちた。

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