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第1話

2018年7月20日 PM8:50。 「以上で、アーサー・ベル氏のコレクション展~時代(とき)を越えて愛される宝たち~のミュージアムツアーは終了となります」  その声は30、40代の落ち着きのある男のものだった。声こそ年相応に深みがあり、鼓膜を揺さ振るようなものだ。どこか艶があるというか、セクシーにすら感じる。  ただ、「何か、質問はありますか?」と促す声の主はパリッとしたシャツを着ているものの、やや草臥れた感じのする男だった。 「おつき合いくださりありがとうございました。本日、皆さまをご案内させていただいたのは当博物館の学芸員で、夏迫(なつさこ)でした」  夏迫惇(あつし)はふわりと笑うと、軽く会釈した。静かな館内へ拍手が沸き起こり、ミュージアムツアーに参加していた来館者は次々と館外へ出て行った。 「ふぅ、初日は何とかなったかな」  誰もいなくなり、夏迫は帰り支度を整えると、館内の明かりを消した。  先程まで夏迫がコンダクターを務めていたミュージアムツアー。  それはこの7月20日から8月31日までの金曜日の夜にだけ企画されているものだった。その日だけは通常の閉館時間である18時を過ぎても、博物館で展示を見ることができる。また普段は市民ゆかりの展示品しか並ばない少し寂しい博物館だが、今の期間は特別だった。 『アーサー・ベル氏』  彼はアメリカの富豪であり、美術品の収集家でもあったという。昨年、この博物館のあるA市とアーサー・ベル氏の生家のあるB市が姉妹都市の関係を結んだ。その為、今回は互いの収蔵品を一部交換して企画展をすることになったらしい。 「日本の方は美術品を丁寧に扱ってくれるので、少し心配ではありますが、父のアーサーが収集した作品を喜んでお貸ししましょう」  と言ったのはアーサー・ベル氏の実の息子で、ハーバード・ベル氏だった。彼もアーサー氏と同じく富豪であり、20代の頃から美術品の収集や自身の息子を始め、若手画家活動の支援を行ってきたという。  そんなハーバード氏の輝かしい経歴は今年40歳になり、独身でもある夏迫としては複雑だった。 「いや、比べる相手がそもそも違うんだけどさ」  かたや夏迫は現在、A市が運営している博物館の学芸員だった。学芸員というと、知的な専門職ということで一見、華やかで、給料面も恵まれていると思われる。  だが、実は違う。  夏迫自身は30を過ぎても臨時の学芸員として働いて、やっと37歳の時に正規の学芸員になった。  しかしながら、企画展の前は定時に帰ることはおろか、何日も満足に家に帰れない。その為、ネットカフェでシャワーを借りて、カップ麺や自動販売機で売っているフライドポテトやたこ焼きを流し込んで寝る。おまけに、休日も月曜とそれ以外は隔週でもう1日あるか、ないかだ。そうして得る給料も1人で暮らしていく分には困らないが、所帯を持つのにはやや頼りなかった。

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