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第1話 触れてはいけない
「次、各競技ごとの担当決めていきまーす。1年から順番に希望する役割のとこに組と名前書いてってくださーい。なるべく学年が固まらないように配慮してねー。んじゃ紙回しまーす」
ようやくカーディガンを脱いでシャツ一枚でいられるようになった春風の中、3年E組の教室では三度目の体育祭実行委員会が開かれていた。
(今年で最後かぁ……)
教室に集まる人の背中を適当に見渡しながら、譜久田修作はくるくるとシャーペンを回していた。
修作が体育祭実行委員をするのは、これで三度目。
一年生のときから、毎年この仕事をしている。
最初はくじで当たってしまって嫌々入った委員会だったが、元々お祭り好きな性格が合っていたのか、やってみるととても楽しかった。だから今年も自ら手を上げたのだが、クラスメイトはあからさまにほっとした顔をしていた。大きなイベントの実行委員なんて面倒そうな仕事は、誰もやりたがらないのだ。
事実、女子は立候補がする者がおらず、仕方なくジャンケンで決められていた。
「はいはい1年生!喋ってないでさっさと決めて回してー。帰り遅くなるよー」
教壇に立ち司会を務めるのは、体育祭実行委員長である3Aの倉田だ。
ほかに立候補する三年がいなかったため、異論なしで決定となった。
ここで“委員長は絶対やりたくない”と思うのが、修作らしいところだ。
なぜなら委員長は開会式で挨拶をするという大役を務めねばならないから。
全校生徒の前で喋るなんて、たとえお金をもらってもごめんだと修作は思っている。
「ねえ譜久田。どの種目が一番ラク?」
ざわざわと騒がしくなる教室の中、3Eのもう一人の体育祭実行委員である幡野理子が肘で修作を小突いた。
ジャンケンで負けたとき、「マジでイヤなんだけど!!」と叫んでいたのを聞いて、あの人とは仲良くなれないかもなと修作は思っていた。まあたしかに、毎日化粧をしてくるような女子には外で走り回る仕事など苦痛でしかないだろう。
「ん~……。放送係は?ずっとテントのとこいられるし」
「え~私マイクの前で喋るとか無理」
「じゃあ設営は?前日大変だけど当日は朝しか仕事ないし」
「はあ~?重いもん持つとか絶対イヤじゃん」
(知るかよ……)と思いながら、他にどんな係があったか思い出そうとうんうん唸っているうちに修作たちのもとに紙が回って来てしまった。
「……幡野ごめん。選ぶ余地なかった」
「げっ!てか順番的にうちら超不利じゃん!残りもんじゃん!ちょっと倉田ぁー!」
「はーい3Eの2人文句言わないでくださーい」
1-Aから順に回って、当然3-Eは最後になる。
残ったものは体育祭終了後の片付け係と、昼を挟んだ前後3種目の準備・誘導係。
「後片付けは人数が多いから適当にサボれるんじゃない?」
そう言うと、「じゃあそっち!」と幡野がその欄にざざっと名前を書き込んだ。
「余りもんには福があるんだよ」と言いながら、修作は最後の空欄を自分の名前で埋める。
「福?譜久田だけに?」
「そうそう」
「つまんね~」
言葉とは裏腹にけらけらと笑う幡野を無視して、修作は同じ太枠内にある名前を見た。
『1A 一ノ瀬七海』
『1B 川崎亮太』
『2A 西田雄一』
『3E 譜久田修作』
同じバスケ部の後輩なら気楽でいいのになと思ったが、3人とも初めて見る名前だった。
一年の2人は友達同士だろうか。2年の奴はあとで声かけておこう。
そう思って前方の席を見る。
一番前の左の席、つまり1Aの委員が座っている席。
対角線上の修作の耳にもその笑い声が聞こえるくらいの声で談笑しているA組とB組の二人を見て、喋りやすそうな奴らでよかったと修作は思った。
このとき初めて、修作は一ノ瀬七海という人間を認識した。
修作がすべての欄に名前が埋まった用紙を倉田まで持って行くと、「譜久田ごめんけどそれ人数分コピーしてきて」と仕事を言いつけられてしまった。
「え?俺がですか?」
「ここまで持って来てくれたついでにさ!それ配って今日の委員会終わりにすっから」
「は~?委員長人使い荒くないです?!」
わざと丁寧語でそう言ってやると、教室が小さな笑いに包まれる。
元クラスメイトだとこういうとき便利だな!と倉田に肩を叩かれたあとまた笑い声が起きて、結局修作は大人しく職員室までコピーをしに行ったのだった。
誰かに頼られるのは嫌いじゃないし、頼まれたことは断りたくない。
譜久田修作とはそういう人間である。
ただ、所属しているバスケ部の中でよく後輩に相談されるのは、修作に頼りがいがあるからではない。
“バスケがほどよく上手くないから”だ。
そのことは、本人も承知の上である。
◇
「あ。ケータイ忘れた」
「マジ?」
「ごめん先帰ってていーよ。お疲れ!」
「おー、お疲れ」
倉田に手を振って元来た道を小走りで戻り、階段を軽快に駆け上がる。
第二校舎3階の、手前から2つ目が3Eの教室だ。
開きっぱなしのドアに手をかけて教室に入ったとき、修作の動きが一瞬止まった。
窓際の前から3つ目、修作の席に見慣れない姿の男子が座っていたから。
頬杖をついてぼうっと外を眺めているその人物。
手に隠れて顔は見えないが、どことなく近付きがたい空気を漂わせていた。
しかしそこは自分の席で、引き出しの中に忘れた携帯を取らねばならない。
「あのー…」
申し訳なさげに声をかけると、ようやくその生徒が修作の方を向いた。
その顔を見て、つい先ほど覚えた名前が口を衝いて出る。
「あ、一ノ瀬」
「えっ」
いきなり自分の名前を呼ばれて驚いた様子を見せた七海は、視線を下げたあとガタッと立ち上がった。
「わ、ごめんなさい!3年生の教室なのに!」
修作のネクタイに入った青のラインを見て学年を察したのだろう。
慌てて席を立った七海に、修作は怒ることもなく笑って言った。
「座ってていーよ。悪いけど中の携帯取って」
「え、あ!はい、どーぞ!」
携帯を受け取り、修作が前の席に座る。一瞬ためらう素振りを見せたものの、七海もそのまま修作の席に腰を下ろした。
「ありがと。1Aの一ノ瀬だよな」
「はい、あの、名前…?」
「さっき紙回ってきた時に見た。俺3Eの譜久田修作」
「あ、同じ係の!」
よろしくお願いします!と威勢よく挨拶をした七海は、さっきまでの近付きがたい雰囲気が嘘のようだった。
「何見てたの?」
「え?」
「外。眺めてなかった?」
「あ、別に何も……。ちょっと考え事してて」
「ふーん……」
七海は伏し目がちにそう答え、また窓の外に目をやった。
長めの前髪が表情を見えにくくしていて、修作は無意識に七海の目が見える位置を探す。その栗色ストレートの髪は、触らずとも柔らかであることがその細さから見てとれた。
あまり長く伸ばしたことがない自分の髪とそれが同じ成分で出来ていることを、修作は不思議に思ったりした。
七海のネクタイに入る黄色いラインを見て、もう一度顔に視線を向ける。
それなりに身長があるからだろうか。ついこの間まで中学生だったとは思えないほど、その眼差しは大人びて見えた。
「なんかお前って……」
修作がそう言いかけて口を閉じれば、七海は不思議そうに目線を寄越す。
「?何ですか?」
「何でもない。俺もう帰るから、また委員会でな」
そう言って席を立とうとする修作を、七海は制止した。
「え~気になる!何て言おうとしたんですか?」
「何でもねーよ。ただ1年っぽくないなって思っただけ」
「え!俺老けてます?!」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味ですかー!俺まだピチピチの15歳ですよ!」
エドヴァルド・ムンクよろしくあからさまなリアクションした七海を見て、修作は笑いながらつい言ってしまった。
それが押してはいけないスイッチになるなんて、思いもよらずに。
「や、何て言うか、高一らしからぬ色気って言うかさ」
「………色気、ですか」
「あ、ごめん!別に変な意味じゃなくて」
七海のテンションがすうっと下がったのが分かって、修作は慌ててフォローを入れる。気に障るかもしれないと思ったから、言うのをやめたのに。そう小さく悔んだ。
「全然、いいですよ。セックスとか普通にしてましたし」
「えっ!」
驚きの声を上げたあと、思わず手で口をおさえた。
にっと口角を上げた七海を見て、バレバレの反応をしてしまった自分に後悔しても後の祭り。
「……先輩、したことないんだ」
「俺の話はどうでもいいだろ…。もう帰るから」
今度こそ席を立った修作を、逃がさないとばかりに七海が通せんぼする。
(さっきまでと…目が違う)
真正面から七海の顔を見た修作の背中に、ぞわりと悪寒が走った。
「……試してみる?俺の色気ってやつ」
そう言ってじりじりと距離を詰めてくる七海に、当然反抗した。
出来るだけ平静を装って、怒りをにじませた声色を作る。
「はあ?お前何言ってんの?いいからどけよ」
「ねえごめんだけど全然怖くないよ」
「……!」
薄い笑みを浮かべた七海は、あっという間に修作の目の前にいた。
突き飛ばす以外の方法を考えているうちにタイムオーバー。左腕をぐんと引っ張られて、肩を抱き寄せられる。
「先輩が悪いんだよ?俺のこと挑発するから」
「ちょっ……待てってどこ触ってんだよっ!」
「え~それ言わすの?先輩やらしー」
「お前いい加減にしろよ!!」
自分の中で最大限大きな声を出したつもりだったが、まったくもって効果はなかったらしい。
それどころか余計苛立たせてしまったようで、七海はこれ見よがしに舌打ちをして、修作を睨みつけた。
「………ちょっと、マジで黙ってくんない?」
「……っ」
さっきまで無邪気に笑っていた奴はどこへ行ったのか。
夕陽に照らされた七海の顔は、その表情と相反して眩しいほど綺麗なオレンジに染まっていた。
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