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第17話 さよならボーイ(最終話)

『試験終わり。あさってまた他んとこ受けるけど…。合格発表は2/9』 『お疲れさまでした!!俺も神頼みしといたから絶対大丈夫!!あさってのとこも!!』 『ありがとう笑』 翌日、試験が終わって帰りの電車の中でそのメールを打った。 第一志望校の試験が終わっただけで、まだ他の試験は残っている。前期日程が全滅であれば、後期も受験生を続けていかなくてはならない。できることならそれは避けたいと、修作は窓の外を流れるビルを眺めながら思った。 予備校で自己採点をした結果は、“多分大丈夫だろう”という微妙な評価だった。大体の入学者数を見込んで多めに合格を出すとは言え、受験者数が多ければその分1点2点のせめぎ合いになる。 「多分って何?!大丈夫なの?大丈夫じゃないの?!」 夕飯のときに予備校講師の言葉をそのまま報告すると、案の定三和子は大げさに反応した。 「そんなの俺が一番知りたいわ!」 「え~…。ねえ、K大ダメで明日のとこ受かってもK大の後期受けるんだっけ?」 「うん。お金捨てることになったらごめん」 「お父さんどう思う?入学金安くないんだけど」 「子どもが金の心配するなんて100年早いわ」 父のぶっきらぼうなその言い方に、修作はぽつりと「100年経ったら全員死んでんだろうが」と口応えした。 「もう!ちゃんとお礼言いなさい、働いてお金稼いでるのはお父さんだよ!」 「………アリガトーゴザイマス」 「三和子お茶!」 「はいはい。二人とも照れちゃってもお~」 「「照れてないわ!」」 親子揃って反論したのを聞いて、三和子と祖母が大笑いする。 照れくささをごまかすため、修作と父は甘酢あんがかかけられた白身魚を同時に一口で頬張った。 ◇ 「ちょっと修作、もう10時になるよ!」 「分かってるからホント静かにしてて!」 「静かになんて出来るわけないでしょ!も~おばあちゃんどうしよう~!」 「仏壇に手ぇ合わせてきたら?」 「もう結果出てんだから意味ないっつーの!母さんもばーちゃんも静かにしてって!」 インターネットでの合格発表は午前10時から。 30分前から三和子がそわそわとホームページを立ち上げていて、あとは時間が来るのを待つだけだ。 「腹痛い……」 修作が座卓のふちに額をつけ、背中を丸める。 10時までの数分が異様に長く感じて、合格でも不合格でも、とにかく早く結果を知りたかった。 「ちょっとそういうこと言わないでよ…。お母さんも痛くなってきた…」 「あんたたち弱っちいねえ。受かってれば受かってるし落ちてりゃ落ちてんだろうに」 「ばーちゃんは黙ってて……」 「何よ失礼な。あら、10時になったみたいよ」 NHKの体操番組を見ながら体を動かしていた祖母が、ニュースに切り替わった画面を見て三和子と修作に時間を告げる。 修作は震える手でページを更新し、そこに出て来た“合格者番号一覧”というリンクをクリックした。 ずらりと出て来た数字の中を、順にたどっていく。 「あんた受験番号何番なの」 「M9400852……」 「えらい長いのね…。ある…?」 「ちょっと待ってって……」 「さっきから待ってるわよ~!」 「………………」 「えっ、ちょっと!あるの?!ないの?!」 「………………………あった」 一瞬の静寂につつまれたのち、居間は三和子と祖母の歓喜の声で溢れかえった。 修作は茫然とその番号を見つめ、何度も自分の持つ受験票と照らし合わせる。 ようやく合格を噛みしめると、畳の上に倒れて「受かった……」と小さくつぶやいた。 「お父さんとおじいちゃんに報告してくる!」 米作りが休みになる冬の間、修作の家ではトマト栽培で生計を立てている。 三和子は大慌てでダウンコートを羽織り、父と祖父が作業するビニールハウスへ飛び出して行った。 「おめでとう、頑張ったね」 寝転がる修作を上からのぞき込み、祖母が労いの言葉をかける。 「ありがと……」 祖母がしわのたくさん入った手のひらを出したのを見て、修作は笑顔でぱちんと手を合わせた。 「……あ、」 「え?」 修作は急に思い出したようにがばっと起き上がり、ラインのメッセージ画面を立ち上げた。「報告しなきゃ」とひとり言のつもりでつぶやいたが、祖母がにっこりと笑ってその名前を口にした。 「七海ちゃん?」 「えっ」 「ちゃんとお礼言うんだよ。あの子、あんたを助けてくれたでしょ?」 「………うん」 頷くと、祖母はやれやれといった様子で自室へ戻って行った。 居間に一人残された修作は、もう一度パソコンの画面と受験票を交互に見たあと、七海へメールを飛ばした。 『第一志望合格!!』 携帯に表示された時刻は10時19分。 すでに二限目が始まっている時間だ。メールを読むのは次の休み時間だろうか。 そう思っていたのに、送信して数秒で既読マークがついた。 合格発表の日にちを伝えていたから、もしかしたら報告を待っていてくれたのかもしれない。 2分後に『おめでとう!!!!ございます!!!!!!!!!!!!!!』とびっくりマークが連打された返事が来て、何だか嬉しさが倍増した気分になった。 ふう、と小さく息を吐いて、丁寧に文字を打ち込む。 そのスピードは、いつもよりさらにゆっくりだ。 『ありがとう。担任に報告しに行くから、今日学校行く。放課後会える?いつものとこ』 一瞬ためらって、すぐに送信ボタンを押した。今さら迷うことなど一つもないと、その一瞬で確認しただけだ。 『もちろん!HR終わったらすぐに行く!』 また素早く返事が来たのを見て、一ノ瀬分かってんのかな……と修作は少しだけ不安に思う。 “受験が終わったら告白する” その言葉を自分で思い返して、急に心臓の音が早くなる。 そもそも、“告白するから返事を考えておいて”だなんて、もうそれだけで告白しているようなものだ。冷静に考えると、自分の格好悪さに落ち込んでしまいそうになる。 「あ~寒っ!お父さんとおじいちゃんがおめでとうって!」 また慌ただしく三和子が居間へ戻って来て、機嫌よく修作に声をかける。 「担任に報告しに行くから、午後から学校行くわ」 「そっか、そうね。じゃあ早めにお昼作っちゃうわ」 そう言って、台所へ行こうとする三和子を修作はぎこちなく引き止めた。 「あ、あのさ」 「?なに?」 「……や、何でもない」 「そう?」 首を傾げながらも、三和子はふんふんと鼻歌を歌いながら食事の用意に取りかかった。祖母や七海には躊躇いなく言えるのに、どうして母親にはなかなか素直に“ありがとう”と言えないのだろう。 修作は自分を情けなく思いながらも、諦めて顔を洗い行こくため立ち上がった。 「受かったか!おめでとう!」 「ども」 「決定か?」 「はい」 「譜久田K大…っと。うん、お疲れさん」 「ありがとうございます」 担任は名簿に小さくメモを取り、修作の腕をぽんぽんと叩いた。 自由党高になって以来久しぶりに教室に行くと、まだ試験を控えたクラスメイトが数名勉強していた。 彼らと少しだけ話をして、修作はその場をあとにした。このがらんとした教室を見ると、高校を卒業することへの寂しさが膨らむ気がする。受かるかどうか分からない頃とは違って、「地元を離れて進学すること」はもう決定事項だ。一人でやっていけるだろうか…と不安に思ったけれど、受験勉強中の友人たちにそのことを言うのはやめておいた。 15時45分。 HRの終わりを告げるチャイムを時間つぶしのために来ていた図書室で聞くと、修作は冷えた手を擦りながら“いつもの場所”へ向かった。 相変わらず埃っぽい空き教室にすでに懐かしさを感じながら、少しだけ窓を開けて外の冷たい風を吸いこみ、はあっと息を吐く。緊張からか、冷たい空気が身体に入る感覚がいつもとは違って心地よかった。 しばらくしてカラカラと静かに戸を開ける音に気付き、顔だけで振り返る。 少し気まずそうな素振りをする七海を見て、緊張が高まることに抗えない。 窓を閉めるその隙に、手の汗を制服で拭った。 「久しぶり」 そう声をかけてやると、七海は「お久しぶりです」と敬語で言いながら、鞄を下ろし修作の前にある椅子に座った。 「あ!あの、合格おめでとう、ございます」 「ありがと。お前の神頼みが効いたわ」 「でしょー!初詣でも自分のこと言わずに先輩のことばっかお願いしたもん!」 「まじかよ」 二人とも笑顔で話をするけれど、その態度はどこかぎこちない。 何を言うのか言われるのか、お互い分かっているからこその空気が、修作の鼓動をより一層早くした。 「………」 「………」 「……先輩、」 「うん、あの、ちょっと待って」 「ふふ、うん」 こんなにも心臓の音がうるさいと思ったのは初めてだ。 入試のときだって、指先が冷えるくらいの緊張なんてしなかったのに。 息を吸って、吐いて、修作はようやく七海を正面から見据えて切り出した。 「えっと……。あ、あのさ。俺、春から関西だし…、遠距離だけど……」 「うん」 「…や、待って!順番間違えた!」 慌てて言葉を止め、少しだけ伸びた髪をぐしゃぐしゃとかき回す修作の様子を見て、七海は思わず大きく笑った。 「先輩、がんばって」 七海が修作の両手を握る。 いつも同じようにあたたかいその手を、修作もぎゅうっと握り返して七海の目を見つめた。 「俺、い、一ノ瀬のこと、好き、です。春から関西で、遠距離だけど、俺がんばるから……っ。だから、俺と、……付き合って下さい………っ」 これだけは絶対と決めていた。 何があってもどれだけ恥ずかしくても、目をそらさないこと。 言葉こそ尻すぼみになってしまったものの、修作はなんとかその決まりごとを守って気持ちを伝えた。 その言葉を聞いて、七海からは笑顔が溢れる。 ずっとずっと聞きたくて、でも絶対に邪魔はしたくないからこそ、ずっとずっと待っていた言葉だった。 返事の言葉は、これで充分。 「………はい!よろしくお願いします!」 その返事を聞いて、修作は思わず椅子からくずれ落ちて床に座り込んだ。 「えっ、先輩?!」 慌てて七海もその場にしゃがみ込む。 「死ぬかと思った……」 「緊張した?」 「口から心臓出そう」 傍から見たら情けないようなそんな会話でも、愛しさが溢れて仕方なくて七海は小さい子供をあやすようにふわりと修作を抱きしめた。 「先輩、俺のこと好きになってくれてありがとう」 「…別に、こっちの台詞だし……」 ぎゅうっと一瞬腕に力を込め、七海はぱっと体を離して修作の顔を覗きこんだ。 「ねえねえ、先輩!」 外の薄い光に照らされなくても、七海のきれいな瑠璃色の目がはっきりと分かる。それほど近くの距離にいるということ。 久しぶりに見たその色を、きっとずっと忘れないだろうなと修作はぼんやり思った。 「なに?」 聞き返すと、七海は白い歯を見せにっと笑った。 「もうキス解禁?」 「え?!」 「好きな人とじゃなきゃしないって言ってたじゃん」 「あぁ…。お前が爆笑しやがったやつな」 「それはごめんって!」 「ほんとに思ってんのかよ…」 七海の手が修作の頬に優しく触れる。 それを合図に二人の顔が近付き、目を閉じると同時に唇が触れ合う。 さっきまで心臓が壊れそうなくらいドキドキしていた修作は、その瞬間すとんと落ち着きを取り戻した。 まるでこうなることが分かっていたかのように、七海との出来事すべてが腑に落ちたのだ。 唇が離れた瞬間、修作は自分から軽く触れるだけのキスをした。 顔を近づけただけで後ずさりしていた頃の修作はもういない。 もっと触れたい、もっと近くにいたいと、純粋にそう思っている。 「………ムリ。なにそれ」 「え?」 「意味分かんない!照れる!死にそう!どうしよう!!心臓でる!!」 顔を真っ赤にした七海が慌てふためいて離れようとするのを、修作は笑ってつかまえていた。 出会いはなんともおかしなものだったけれど、心から好きだと思える人が同じように自分を想ってくれる。そんな奇跡がここにある。 過去を振り返ったら、いつの自分が手を振って見送ってくれるだろうか。 これからも、知らない感情を知るそのたびに、大人の自分を見送るのだろう。 さよならボーイ。 もう戻らない、過去の自分へ。 おわり。

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