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第16話 君の声
「おはよう」
「はよ~さっむ~」
勝手口の戸を開け、修作が小走りで居間の石油スト―ブまでかけよる。
離れの一人部屋は居心地がいいが、母屋に来るのに一旦外気に触れなければいけないことが唯一の難点だ。
今日は部屋の中の温度もいつもより低いようで、ストーブの火がごおごおと音を立てて燃えている。昨晩からの雪がまだちらちらと降り続いていて、居間の窓からは辺り一面の雪景色が見えていた。
太平洋側と言えども、年に一度か二度は必ずこのあたりでも雪が積もる。
子どもの頃は大喜びで外で遊びまわっていたのに、雪を見て苦い顔をするようになってしまった自分を、修作は少し寂しく思った。
「今日は予備校やめといたら?ずっと降るみたいよ」
そう言われてデータ放送の天気予報を表示させると、雪だるまマークが時間毎に4つ並んでいた。
「そうする」
「試験の日は晴れるといいねえ。はい、どーぞ」
「いただきまーす」
ふわりと湯気が立つコンソメスープと、バターを塗った上にシナモンシュガーがかけられたトーストを頬張る。
米農家と言えども、朝食にはパンが出されることも多い。
出されるものに対して特に文句もなく、修作はもさもさとそれらを食べ進めた。
「新次郎さんほんっと良い顔~」
「背も高いよねえ」
「ね~」
母と祖母がテレビの前を陣取り、朝の連続テレビ小説を見るこの時間。
二人のこの日課を知ったのは、修作が自由登校になって家にいるようになってからだ。
「ごちそーさま」
起床時間さえ遅いが、学校へ行くときと変わりないように身支度を整える。
離れの部屋に戻って寝間着から部屋着へ着替えて、タイマーを2時間にセットする。A型で几帳面な修作の、勉強のルーティンである。
しかし今日は、簡単な数式を何問か解いたあとふと気付いて立ち上がった。
窓の外に広がる綺麗な雪面を写真に取り、メッセージを送る。
送った相手は、もちろん七海だ。
『外まっしろ』
『わ~~!!めっちゃ足跡つけたい!!』
『言うと思った笑』
『学校来るの超~~寒かった!先輩風邪引かないでね!』
数回のやり取りして、最後のメッセージには返事をせず携帯を閉じた。
あれから、七海と修作は冬休みを含め一度も会っていない。
朝待ち合わせて一緒に登校したり昼休みに一緒に昼食を取ったり、時間を作ろうと思えばいくらでも作れたけれど、修作はなぜだかそういう気にはならなかった。
そしてまた七海も、「連絡しない」と宣言していた通り一度もメールをして来なかった。
修作がたまに何でもない会話を投げて、短く終わるメールをする程度。
今日のように雪が降ったとか、空がきれいだとか新しいお菓子が美味しかったとか、他愛もないこと。
七海はそのたびにちゃんと返事をして、最後は必ず修作を気遣った。
風邪引いてない?
ちゃんとご飯食べてる?
あったかくして寝なきゃだめだよ!
……その言葉を読むたびに、修作の心はじんわりとあたたまった。
そのやり取りと、“行き詰ったらいつでも呼んで。飛んでいくから!”という七海の言葉を思うだけで、充分だった。
再び数学の参考書に目線を落とす。
浅く息を吐いて、証明問題に取り掛かった。
◇
「センターは晴れたのに明日は寒そうねえ……。ってあんた受験票ちゃんと持った?!」
「持ーったって!何回聞くの!」
「今日は出歩かずに部屋で大人しくしてるのよ!?」
「分かってるって!」
第一志望校の試験前日。
万が一に備えて、いつの間にか三和子が受験会場である予備校の目の前のホテルを予約してくれていた。家から受験会場までそう遠くないとは言え、余裕があるに越したことはない。しかも明日はまた雪予報が出ている。修作は、母に心の中で何度も感謝した。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい!頑張ってね!!」
「はーい」
「お部屋は6階の601号室になります。カードキーは外出時もご自身でお持ちください」
「ども…」
「明日は試験ですか?」
「えっ。あ、はい」
「頑張ってくださいね!何か必要なものがございましたら、遠慮なくフロントまでお尋ねください」
「はい、ありがとうございます」
きっと修作と同じような客が何人も来ているのだろう。
黒髪をポニーテールにしたフロントスタッフの女性は、明るい笑顔でそう言った。
思わぬ励ましを受けて、修作も自然と口角が上がる。
社交辞令でも何でも、励ましの言葉が素直に嬉しいと思える。
それはきっと、あの日から心が穏やかでいられるようになったから。
部屋に入ると、備え付けてあるデスクの上を片付け、持ってきた勉強道具をバサバサと積み重ねる。今さら新しく何かを覚えるつもりはないにしろ、さすがに勉強していないと落ち着かなかった。
しばらくして気分転換に飲み物を買おうと外に出ると、頬に刺すような冷たい風を感じ、首をすぼめて小走りする。コンビニには、受験生らしき学生の姿がちらほら見受けられた。修作が受ける私大は、入試会場が全国30箇所にのぼりその受験者数は全国一位を誇る。文系・理系合わせて多くの学部があるとはいえ、その中のどれだけがライバルなのだろうか。
そんな当たり前のことにぞっとして、修作はまた足早にホテルへと戻った。
20時のニュースの頃ふと窓の外を見ると、いよいよ粉雪が舞いだしていた。
備え付けの電気ケトルで沸かしたお湯を、先ほど買ったカップ味噌汁に入れてかき混ぜる。
三和子が夕食用に持たせた弁当のふたを開けて、思わずその中身を写真に撮った。普段なら絶対にしないであろう、彩りや栄養を度外視した、修作の好きなおかずばかりが詰められた弁当だったから。
こういうとき、素直に“ありがとう”と言える性格であればいいのになぁと思いながら、修作はそれをきれいに平らげた。
「……ごちそーさまでした」
なんとなく騒がしい音を耳に入れたくない気分で、修作は弁当を食べ終わるとすぐにテレビの電源を落とした。
こんな日は、七海の明るい声を聞けたらいいのに……。
そう思ったちょうどそのとき、修作の携帯が机の上で大きな振動音を出した。
ラインの通知を知らせるポップアップが出ていて、母親だろうかと画面を開けた瞬間修作の胸がドキッと高鳴る。
差出人は、七海だった。
『こっちから連絡しないって言ったのにごめんなさい!明日、試験がんばってね!!ってどうしても言いたくて!』
試験の日にちをいつか言っただろうか。
志望校を聞かれて、その時にメールに書いたかもしれない。
そのメールを読んですぐ、修作はベッドに寝転がり七海に電話をかけた。
これが何でもない日であれば、きっと発信ボタンを押すまでにいくらか時間がかかってしまうだろう。けれど今日は何も考えずそのボタンを押していて、自分自身驚いたほど。
『もしもし!』
「あー…。えーと、久しぶり」
『うん!あ…。メール、ごめんなさい』
「いーよ」
七海の顔を思い出そうと、天井を見ていた目をふわりと閉じる。
一番すぐに思い出せるのは、最後に見たあの優しい笑顔だ。
「…………」
『…修作先輩?』
「なんかしゃべって」
『え?!なんかってなに?』
「なんでもいいから」
『え?え~…?うーんと…。あっ!この前クラスの友達とスノボ行ってさ!』
スノーボードに行った話をしたあとも、七海は学校のことや友達のことをいくつも話した。自分の話にはならず他の友人の話ばかりをするのが、なんだか七海らしくてほほえましく思う。
『……先輩?寝てるの?』
「ん?寝てない。聞いてる」
『俺ばっかしゃべってるけど……』
「うん、いいじゃん。お前の声聞いてると落ち着く」
『えっ、は?!いきなり何言ってんの?!』
「照れてんの?」
『別に?!全然!』
七海のあからさまな慌てように、思わず小さい笑いがこぼれる。
一ノ瀬はよく分からない奴だと思っていたけれど、分からないと思っていたのは、ただ単に自分が七海を思う気持ちそのものだったのかもしれない。修作はふとそんなふうに思った。
「……一ノ瀬ごめんな」
『え、なにが?』
「前に…。お前に“こんなの普通じゃない”って言ったこと、ずっと謝らなきゃって思ってて…」
『え?あ~…。別に気にしてないよ?てかその通りだし』
「…俺、昔友達に“お前は普通だな”って言われてすげームカついたんだよ。まあ実際そうだから余計イヤだったんだけど…。でもそんな俺が“普通じゃない”なんて言うなんて、矛盾しすぎって思ってさ…。だから、ごめん」
ずっと胸につかえていたことをようやく言えて、修作は少しだけすっきりした。“言ってしまったことを取り消せはしないけれど、反省することならできる”修作は、そういう性格だ。
けれど七海は、修作のその言葉を聞いてあっけらかんと答えた。
『先輩、将来ハゲそう』
「は?!」
『細かいこと悩んでるとストレスたまるよってこと!』
「悪かったな」
『…先輩優しいね』
「どこが…」
ふわりと優しくなった電話口の声に思わず目を開けると、目の前にあった七海の姿が消えてしまってひどく胸が苦しくなった。“会いたい”と、ただそれだけを思ってまた目を閉じる。
『ねえ、もう10時だよ。そろそろ寝る?』
「ん~…。風呂入ろうかな」
『うん、今日は早く寝た方がいいよ。鉛筆と消しゴムと受験票忘れちゃだめだよ!』
「お前と一緒にすんなって」
『何それ!俺だって忘れないよー!』
そう言って二人で笑い合う。
友達とも家族とも違う、七海との距離感。
とても近くにいるような、でも少し緊張するような。
二人の間に漂うそんな空気が、修作はなんだかとても居心地がよかった。
無言の時間が数秒続いて、名残惜しい気持ちがふくらむ。
「……じゃあ、」
『あ!明日、がんばってください!』
「なんで敬語だよ」
そう笑ってやると、緊張しちゃった!と照れくさそうに七海も笑った。
『……明日、がんばって』
「うん、ありがとう。…おやすみ」
『おやすみなさい!』
通話終了のボタンをタップして大きく深呼吸する。
一人で泊まっているこの部屋の中では、思わずにやけてしまう顔を止める理由なんてなかった。
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