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第15話 秋風撫でる頬
「こんばんはー!」
玄関に七海の明るい声が響く。
「えっ、あ!七海ちゃん!」
「お久しぶりです!また来ちゃいましたー!」
七海はとびきりの笑顔で三和子に挨拶をしている。それがホンモノかニセモノか、もう修作には分からなくなってしまった。
「わ~!来てくれて嬉しい!も~あんたもメールしてくれればよかったのに……」
修作の方を向いた三和子は、テンションの落差がわかりやすく音に出てしまった。見るからに体調が悪そうな息子を、心配しない親などいないだろう。
「今日は食べれそう?雑炊でもしようか、すぐ出来るけど」
「いい、食べれる。……多分」
「そう…?あ、七海ちゃんには秋刀魚の塩焼きあるからね!旬だから脂のってて美味しいよ~!」
「やったー!あ、おばあちゃんは?」
「今呼んでくるね。食卓のとこ座ってて」
「はーい!先輩行こ~!」
「………」
七海はとびきりの笑顔を保ったまま、修作の腕を掴んでぐいぐい進んで行く。
ここはお前んちか、と冗談を言ってやろうと思う間もなく居間へ入り、勝手知ったるように七海は自分で座布団を取り出した。
「あれあれホントだ、七海ちゃんじゃないの!いらっしゃい~」
「おばーちゃん久しぶり!来たよ~」
七海と祖母はぺちぺちとハイタッチしていて、嬉しそうな祖母を見て修作もほっとした。いつもの場所に座った父はちらりと修作の方を見て、でも何も言わなかった。それは祖父もまたしかり。
言葉がなくとも見守ってやるということが、父と祖父の思いやりだった。
「わー!今日も美味しそう!」
一人一人に秋刀魚の塩焼きと大根おろしの小さな山が載った長皿、ほうれん草のお浸しが入った小鉢、そして鳥団子入りの吸い物が置かれる。座卓の中心には、手羽元の煮込み、蓮根と蒟蒻のきんぴら、豆腐とトマトのサラダ、そして祖母が“上出来”と言っていた、真っ白でぴかぴかの新米をよそった茶碗が並べられた。
いただきます!と七海の勢いある声につられ、修作も手を合わせる。
夕飯の時間に修作がここに座るのは家族にとっても久しいことで、みな一様にその様子を伺っていた。
「………」
吸い物を一口すすって、ほのかな甘みが身体に染み渡っていく。
はあ、と小さく息を吐いて、白飯を頬張る。
秋刀魚の身をほぐして、持ち上げたところからふわりと湯気が立つ。
皮の香ばしい香りと、脂ののった柔らかい身が塩気で引き立ち、それはまさしく秋の味だった。
修作がひとくちひとくち食べていくのを、七海は隣で静かに見守っていた。
その視線に気付かないまま箸を動かしていた修作の心の中は、様々な感情が嵐のように渦巻いていた。
恋愛と呼んでいいのかすら分からない片想いでこんなにも自分が弱くなることや、受験という不安要素にこんなにも追いつめられるなんてこと、自分でまったく想像していなかった。
心配してくれる家族と友人と、そして七海の優しさを知ることができたけど、それでもやっぱり自分の態度に後悔が付きまとって、情けなさにまた涙が溢れてしまう。
「先輩、ごはんおいしーね?」
「………っ」
修作は言葉が出ない代わりに、何度も頷いた。
家族の前なのに。そう思えば思う分だけ涙は止まらなくなる。
また優しく背中をさする七海のあたたかい手の温度に、修作はただ心を寄せた。
「……も、もお~!やあねえこの子ったら…。高三にもなって何泣いてんだか…!ごめんねえ七海ちゃん、頼りない先輩で」
うっすら涙を浮かべた三和子が、七海に声をかける。
三和子もまた、七海に救われた一人だった。
「ほら冷めちゃうから、七海ちゃんも食べて食べて!」
二回目のいただきますを言いながら、七海も自分の目元を拭って白飯をかきこむ。
「ねえ先輩、手羽おいしーよ手羽!あ!野菜もね!」
七海がどんどん修作の取り皿におかずを盛り、あっという間に皿いっぱいになる。
「七海ちゃんも野菜食べなあかんよ~?」
「わ!バレてた!?」
七海と祖母のやり取りに、修作の家族はみな大きく笑った。
「一ノ瀬送ってくるから」
「はーい、気をつけてよ。七海ちゃんまた来てね!」
「はい!また来まーす!おばあちゃんもバイバイ!」
祖母と母が並んで玄関まで見送って、手を振り合う。
先を歩いていた修作に七海がかけ寄り、いつかのようにまた並んで駅までの道を歩いた。
「…ありがとな、色々」
「え、なにが?俺の方こそいっぱいごちそう食べたし、ありがとうだよ!」
「……一ノ瀬、何であそこにいたの?」
言葉足らずなその質問も、意味が通じないわけはなくて、七海は少しだけ答えにとまどった。
「え?うん、えーっと…。その…、たまたま?通りかかって……」
「そっか…」
「…や、ううん!違うホントは…。先輩が……」
「……?」
今日は風がない。
鈴虫の奏でる音色とは裏腹に、秋の風はとても静かだ。
七海の言葉が、誰にもさらわれないですむ。
「先輩が、いたらいいなって…。分かんないけど、いてくれてるような気がして…だから……」
「俺が、いたらいいなって…思ったの?」
修作のその質問に七海は無言で頷き、言葉を続ける。
歩くスピードは、いつの間にかとてもゆっくりになっていた。
「そしたら先輩倒れてて…。焦ったけど、でも!行ってよかった!あんなとこで倒れてたって、誰も見つけてくれないよ……」
茶色い髪のすそを、ごまかすように触る。
その仕草の示す先がホンモノかどうか、修作はやっぱり分からなかった。
それはきっと、七海を好きだと気付いたときにわずかに欠けた客観性のせい。
けれど、“自分がどう思っているか”という部分だけは、確信を持てる。
「一ノ瀬、あのさ」
「うん?」
「俺、お前のこと……」
「……うん」
言いかけて、修作は自分の髪をかきまぜた。
「…受験、終わったら」
「?うん?」
言い出した言葉を変えて、足を止める。
駅まであと少しの距離。シャッターが閉まったクリーニング店の前で、二人は向き合った。
「受験終わったらさ。お前にちゃんと…告白、するから……」
「……」
「だから…。か、考えといて……」
顔を見て言わなければと思ったから足を止めたのに、結局最後は俯いてしまった。修作が顔を上げたのは、七海がふわりとした声で「修作先輩」と呼びかけてくれたから。
「……ありがとう。俺、待ってるね」
七海が目に涙を溜めると、青い目がまるでガラス玉のようにきらきらと光る。
その美しさに一瞬見惚れてしまうせいで、修作は七海が泣きそうだと気付くのがいつもほんの少し遅れてしまう。
(もしかして一ノ瀬も同じ気持ちなのかも)
七海の愛おしさに溢れたその笑顔を見て、修作は初めてそう思った。
それだけ自分に自信がなかった。
ただ純粋に、今この場で振られなかったことに安心もした。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「受験が終わるまで、俺メールしない。邪魔になりたくないし…。けど、もし行き詰ったりとか、ストレスたまったりとかしたら、そん時はいつでも呼んで。俺そっこーで先輩んとこ飛んで行く!……だから、着拒とブロックは、解除しといてほしいな」
「……うん、分かった。ごめんな…。ほんとに、ごめん……」
「もういいよ。忘れてた」
そう言って七海の手が修作の頭を優しく撫でる。
聞き覚えのある台詞と仕草に、してやったりという顔で笑う七海につられて、修作も頬が緩んだ。
「あ…。やっと笑ってくれた」
「え?」
聞き返しても、七海は笑顔のまま首を振るだけだった。
「ここでいいよ!もう駅だし!送ってくれてありがとう!と、ごちそうさまでした!先輩、勉強がんばってね!あっ、でも無理はダメだよ!ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝るんだよ!分かった?!俺もちゃんと待ってるし、めちゃくちゃ応援してるから!!」
七海は両手で修作の右手を包んで、おおげさに握手をした。
「お前至近距離で声がでかいんだよ!」
注意しながらも堪え切れず笑う修作に七海も何倍も笑顔になって、「じゃあバイバイ!おやすみなさい!」と手を振って駅の方へと走って行った。
子どものようでもあれば、大人びた顔もする。無邪気なだけかと思えば、深い思いも持っている。
一ノ瀬七海という人間はやっぱりよく分からないと修作は思う。
でもその一方で、確かに分かること。
国語の試験によくあるような、作者の気持ちを示すはっきりとした文章での解答は出来ないけれど、でも、一番端的にあらわすことができる言葉を知っている。
それは曖昧であやふやで、でもとてもあたたかくて、幸せな気持ちにさせてくれる言葉。
「俺、お前のこと、………好きだよ」
もう見えなくなった背中を想って、修作はその言葉を言ってみる。
ふわふわと浮かぶその音たちは、まるで修作の心を軽くしてくれるかのように、秋の夜空へ吸い込まれていった。
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