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第1話

 どこまでも澄み切った空。青々と茂る草花に、あちらこちらから聞こえてくるセミの鳴き声。ようしゃなく照りつける日差しとじりじりと熱を放出するアスファルトの地面。  ヘビのようにくねった坂道を上りながら夏樹(なつき)藤夜(とうや)は滝のように流れる汗をかいていた。夏樹はノロノロと自転車を押す。彼は額からあご先へと伝ってくる雫を腕で拭った。 「藤夜、今年は異常な暑さだよな。この後プールか海にでも行かねえ?」  藤夜はスーパーで買ったラムネを飲み干して、背後の夏樹を一瞥(いちべつ)した。 「夏樹、そんな遊んでるひまはないだろ。大学受験を控えてるんだから」  夏樹は唇をすぼめ、ふてくされたように「だって」とつぶやいた。 「お前東京の大学受かっても、受からなくても向こうに住むんだろ。俺は母親から地元の大学に行けって言われてる。一緒にいられるのも今年で最後になるかもしれねえ。だったら今のうちに、いっぱい思い出を作っておきてえんだよ」  藤夜は歩を進めるのを一旦止め(きびす)を返し、夏樹を見下ろした。 「今生の別れじゃあるまいし、向こうへ行っても長期の休みに帰ってくる。そんな必要ないだろ」 「――お前、最近俺のこと()けてねえ?」  水色の硝子瓶の中に入っているビー玉が転がり、カランと涼し気な音をたてる。 「なに言ってるんだよ。朝一緒に登校して今だって――」 「あいさつしたらすぐ俺を置いてく。体育の柔軟や化学の実験の時は他のやつに声かけて、昼飯は一人で自習室で食ってる。去年まではお互いの家行き来してゲームや勉強やってたけど、今年になってからはそれも一度もない」 「それは」  藤夜は苦し気な様子で眉を(しか)め口をつぐんだ。彼が気まずそうに視線をそらすのを見て、夏樹の胸は締め付けられるように痛んだ。 「チャリでニケツするのも拒否るし。なあ、俺なんか気に障るようなことした? 小学校ん時からダチやってるけど……お前がなに考えてるのか全然わかんねえよ。俺のことが嫌になったから距離置こうとしてんの?」  瞬間、大きな影が夏樹を覆った。  目の前には目をつむり額に汗をにじませた藤夜の顔があった。ラムネ瓶を持っていない方の手でワイシャツが肌に張り付いた肩を痛いぐらい強い力でつかまれ、抱き寄せられる。ふいにそよ風が吹いてきて、二人の前髪を揺らした。  藤夜は夏樹の唇を優しく奪った。彼らは一度唇を離し、口内にためていた息をそっと吐いた。 (藤夜の息、熱い。ラムネの甘い匂いがする)  藤夜は再度夏樹に口付け、今度はカプカプと甘噛みをするように唇を()んだ。夏樹は藤夜のキスに陶酔し、ゆっくり目を閉じたのだが藤夜はあっという間に離れてしまう。  夏樹は名残惜し気に上目遣いで見上げる。無意識に赤い舌を出して唇をひと舐めする彼の姿に藤夜は赤面した。 「嫌うわけがないだろ。何度も言ってるのに、俺の気持ちはちっとも伝わらないんだな」  藤夜は夏樹の肩から手を離し、彼の汗ばんだ頬を手の甲で撫でた。 「好きだよ夏樹。誰よりも、なによりもお前を大切にしたいんだ」 「俺も、藤夜が好きだよ。これからも友達として一緒にいたい」  藤夜は夏輝の言葉を聞いてフッと自嘲気味に笑う。 「やっぱり俺とお前の好きは違うんだな。いつまでたっても、お前の恋人になれないから離れようとしたのに」 「なんで離れようとすんだよ。恋人じゃなくても俺が藤夜を好きで、藤夜も俺を好きなら、それでいいじゃねえか。キスだって全然嫌じゃねえよ!」  夏樹は自転車のスタンドを立てると彼の胸倉を両手でつかみ、責め立てた。藤夜は苦悶の色を浮かべ顔を背ける。 「俺も男だ。告白して好きって返事もらって、何度もキスしあってる状態で我慢できるかよ。触れたい、触れられたい。お前を抱き締めて、俺だけのものにしたくて堪らなくなる。頼むからそれぐらい分かってくれよ」 「いいぜ。藤夜が離れていかないなら俺、エッチだって……」 「いいかげんにしろ! そんな言葉は聞きたくもない!!」  藤夜は声を荒げ夏樹の手を乱暴に引き剥がした。夏樹は藤夜の行動に目と口を大きく開いて、体を凍りつかせる。 「夏樹、一旦離れよう。これ以上一緒にいてもお互い傷付けあうだけだ。俺は過ちを犯してこれから先一生後悔するのも、死ぬまでお前と顔を合わせられなくなるのも嫌だ。お前をちゃんと友達として見られるようになるまで、待っててくれないか」  藤夜はくしゃりと泣きそうな顔に(いびつ)な笑みを貼り付け、そのまま一人坂を駆け上る。その背中は徐々に小さくなり、瞬きをしたらどこにも見当たらなくなってしまった。  その間、夏樹は呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。炎天下にもかかわらず顔色は真っ青で、背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。

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