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第2話

※  その後夏樹は自転車も漕がずに歩いて家に帰った。 「ただいま」  扉を開ければ充満していた熱気がむわりと襲い掛かってくる。鉛のように重たい体を引きずって階段を上り、自室の扉を開けるとひんやりと心地よい冷風が当たる。  床はお菓子の袋やペットボトル、漫画本、雑誌が散乱し足の踏み場などなくキャミソールにショートパンツ姿の女が空色の棒アイスをかじっている。部屋の主が帰ってきたことを気にも留めず一昔前のテレビゲームに夢中だ。 「姉ちゃん、勝手に人の部屋荒らすなよ」 「あら、おかえり。遅かったのね」 「んなことより仕事は? 藤代(ふじしろ)さんとのデートは?」  夏樹の姉・夏実(なつみ)は親公認で藤夜の兄・藤代と付き合っている。彼が任されているプロジェクトが成功し、ひと段落ついた暁に二人は式を挙げる予定だったりする。  夏実は画面に釘付けのまま返事をする。 「そんなの藤代がブラックな会社に招集されたおかげで、なしよ。せっかく今日は休みだったのに! このボス固いのよ、さっさとくたばれ!!」  画面にYour Loseの文字が表示されると彼女はコントローラーをベッドの上へと放り投げた。夏樹の方へと顔を向けてギョッとする。 「ちょっと、どうしたの!」  夏樹は姉に優しく背中をさすられながらボロボロと涙をこぼし、ことの顛末(てんまつ)を語った。 「――それはあんたが悪い。藤夜くんがかわいそうよ」  夏樹は夏美にキッチンへ連れていかれると、シロクマ型のひんやり抱き枕を渡された。夏実が氷を2つの透明なグラスに入れ、瓶カルピスと水をマドラーでかき混ぜるのを眺めて鼻をすする。 「怖いんだ」 「なにが?」  グラスの片方を夏樹に手渡しながら彼女は尋ねる。 「恋人になって藤夜がやっぱり女がいいってなったら、俺、あいつの幸せも考えずに独占欲むき出しで別れたくないって泣いてすがるよ。そんなの絶対引かれるに決まってる。それでケンカ別れして、ダチにも戻れなくなるんだ」  そう言ってまた泣き始める弟を前に夏実は口をポカンと開けた。 「ちょっと待って。それが理由で、藤夜くんの告白を保留してたなんて言わないわよね」  夏実は夏樹がこくりと首を縦に振るのを見て、頬を引き()らせるしかなかった。 「てっきり私は恋人であることがバレたら世間の目が怖いとか、どうやって付き合えばいいのかわからなくて不安だからだと思ったのに。信じられない! こんなに馬鹿だとは夢にも思わなかったわ」 「なんで馬鹿って言われなきゃなんねぇんだよ!?」  夏実はカルピスを一口飲んでから夏樹の事を鋭い目つきで睨んだ。 「だって愚かだもの。たられば並べて未来を嘆く暇があるなら、藤夜くんの恋人になって彼の心を捕まえておく努力でもしなさいよ!」 「姉ちゃんは強いからそんな風に言えるんだ! 俺はあんたみたいに強くねぇんだよ!!」  夏樹は夏実の言葉に逆上し勢いよく立ち上がった。そのせいで椅子が酷い音をたててひっくり返る。  それでも夏実は真っ直ぐ見据えてくるので、気まずさと居心地の悪さを感じて夏樹は抱き枕を机の上へ置き、足早に玄関へと向かった。 「ねえ、五年前にパパが死んだの覚えてる?」  夏樹は夏実の発した突拍子もない言葉に怪訝な顔をして足を止める。   「あっという間だった。会社に向かう途中で倒れて救急車で運ばれてるって連絡があったから、急いで病院に向かったのに死んでた。あんた、おばあちゃんやおじいちゃん、猫のポンタのこと忘れた?」 「忘れるわけないだろ!」  夏樹は心外だと言わんばかりに声高に訴えた。 「――私ね、大切な人たちがいなくなる前にもっといっぱい話したかった。やりたいこと、やってあげたいこと、してほしかったことが沢山あったわ。それをもっと前にしておけばよかったって今でも後悔してる」  夏実もまた椅子から腰を上げ夏樹の前まで歩いて行き、その顔を見上げた。 「後悔のまったくない人生を送るなんて不可能よ。でも人間いつ何時死ぬかわからないし、寿命が尽きるより先に予期せぬ出来事で命を落とすかもしれない。今この瞬間、誰かが命を落としてもおかしくないの」  彼女は不安げな眼差しで自分を見下ろす弟を安心させるように、汗ばんだ頭を撫でてやる。 「だから悔いが少しでも残らないように生きなきゃ。藤夜くんがあんた以外を選ぼうとしたら、みっともなく泣いてすがったっていいじゃない! ケンカして意見をぶつけあう方が、全部一人で抱え込んで悩むよりもずっとマシだわ。自分が本当にやりたいことをしなきゃ。夏樹、あなたは今何がしたい?」 「……藤夜に謝りたい。俺だって本当は恋人になりたいし、おっさんになっても、じいちゃんになってもずっと隣にいたいって伝えたい」 「そう。なんだ、藤夜くんとの未来ちゃんと描けてるんじゃない」   夏実はニッと歯を出して笑い、力を込めて夏樹の肩をひっぱたいた。 「まったくあんた達は! ガキの時から見てるけど、本当手が掛かるわね」 「いってえな姉ちゃん! でも……藤夜はきっと俺と会ってくれねえよ」

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