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第3話

「そこは私が何とかしてみせるわ。任せて」  彼女はウィンクをするとテーブルの片隅に置いてあったスマホを左手で取った。 「丁度いい! 今夜花火大会があるわ。あんたたちお祭りデートでもしながら腹を割って話なさいよ」 「で、デート!? 急過ぎでしょ! ていうか、いきなり腹割って話すとか無理、マジ無理!」  夏実は眉間をピクリとさせると笑顔のまま夏樹の頬に平手打ちをした。 「いちいちマイナスな言葉を口にして……いい? こういうのはタイミングとノリが重要なの。チャンスの女神は後ろ髪がないんだから! わかった!?」  彼は両手で頬を抑え、首振り人形のようにひたすら首を縦に振った。夏実はフンと鼻を鳴らし踏ん反りがえり「よろしい。そこで待ってなさい」とだけ言って椅子に座り直した。  時たまカルピスを口に含んでスマホを忙しなく打ち続ける彼女の真剣な横顔を見ながら、夏樹もそろそろと起き上がり席に着くのだった。  グラスの中身が跡形もなくなり窓の外の世界が橙色に赤らんできた頃、夏美はスマホを机の上に置き大きく伸びをした。  「もう、藤夜くんも頑固だからいやになっちゃうわ。――夏樹、藤夜くんあんたとお祭り行くって。ほら」  姉のスマホを覗き込めば、夏樹と藤夜の家族がメンバーとして登録されたグループトーク上に「今日は夏樹と花火を見た後、夏樹の家へ泊まります」という藤夜のメッセージがあった。 「詳しい情報はあの子から届くはずよ。ていうか、今更だけどあんた汗臭っ! 出掛ける前にシャワーでも浴びなさいよ」  姉に椅子の背もたれにあったタオルを投げつけられ、机の下でゲシゲシと足を蹴られる。 タオルを手に取り渋々椅子から立ち上がる。  すると夏美が、ねえと声をかけた。 「ママやお養父さま、お養母さまがあんたたちは間違ってるって反対しても、周りの人間が後ろ指をさして笑いものにしても、私も藤代も絶対味方だから。そこ忘れないでよ。――なにこっち見てんの? さっさと行きなさい。出てきたら浴衣の着付けしてあげるから」  夏樹は紺に白のかすれ縞の入った浴衣を山吹色の帯で締めてもらい、去年の夏祭り以来靴箱の奥底に眠っていた黒い鼻緒の桐下駄を履く。 「持ち物は全部この信玄袋に入れて。うん、我ながら上出来!」 「……姉ちゃん。その、ありがとう」  夏樹は右に左へと視線をきょろきょろさせながら礼をした。夏実は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてから口元を緩めた。 「当然でしょ。可愛い弟の勝負どころを手伝わないわけにいかないじゃない。さてと、私も出掛ける準備をしないとね」  夏樹は頭にクエスチョンマークを浮かべ、何でと問うた。夏実はニヤリと擬音でもつきそうなぐらいに人の悪い笑みを浮かべ、口元に手を当てた。 「あら……を外で経験したいの? 随分大胆なのね。藤夜くんのお家は家族()がいるのよ。私がいたら、あんた達できないでしょ。邪魔者はとっとと退散するわ。ママを明日の朝まで足止めしておくから感謝してよ」 「なっ!? なに、下ネタ言ってんだよ! しねえよ!!」 「はいはい、そういうことにしておいてあげる。バニラとイチゴ、それから抹茶のアイスでチャラね。ちゃんと冷凍庫に入れるの忘れないでよ?」  夏樹は首から耳まで赤く染め、玄関の扉を乱暴に閉めた。    いつの間にか空は緋色と群青色を混ぜたようなグラデーションを描いていた。  もうすぐ夜の(とばり)が下りる。  ――藤夜から「19時に公園で待っている」とメッセージがあった。  公園は一つしかないので間違えたりはしないが、今夜は人でいっぱいだ。  親子連れ、友だちや仲間同士で来ている者、仕事帰りに寄ってみたのかスーツ姿の者、中学生ぐらいの初々しいカップルや腰も折れ曲がった熟年夫婦が談笑したり、買ったものを飲み食いしたり、花火が打ち上がるのを今か今かと待っている。  夏樹は藤夜の姿を探すがなかなか見つからず、仕方なくスマホを取り出して連絡を取ろうとした。 「夏樹?」 「っ、藤夜!?」  振り向くと、白のコットンシャツに黒のスラックス、サンダルという出で立ちの藤夜が立っていた。 「お前その頬――どうした?」   藤夜は夏樹の湿布が張られている左頬を指さした。 「姉ちゃんにお前との件で説教された結果ですよ」 「やっぱり夏実さんか。俺も兄さんから電話があったよ。仕事がクソ忙しい時に痴話喧嘩して関係を(こじ)らせるなって、こっぴどく叱られた。……少し歩くか」  藤夜が少しよそよそしい態度ながらも無視してこないこと、浴衣に下駄と慣れない恰好をしている自分に合わせて隣を歩いてくれていることに、夏樹の心は少しほっとした。

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