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千暁は仕事が終わるとランニングに出る。
走る理由は趣味でも体型維持でもなく“何も考えたくないから"だ。
脳が酸欠になるほど、走って、走って、走り抜く。
そして泥のように眠る。
余計なことは、考えない。
「こんなに暑いのに、今夜も走っているんだね」
人気の無い、夜の川沿いの道。
まっすぐで長いその道に差し掛かると、決まってBMWのセダンが並走して、中の男が話し掛けてくる。
車の色はルマンブルー。
15年以上前の型で、フロントはみっともなく凹んでいた。
運転手は30代後半から40歳くらいの渋い男前で、
ブリオーニのスーツが筋肉質な体によく似合っている。
手首には品の良いパテック・フィリップのカラトラバ。
乗っている車とは違い身なりは良い。
「こんばんは、慎司さん。今日もストーカーご苦労様」
千暁はそっけない態度だが、男は心底楽しそうだ。
「千暁くん、今夜こそおじさんとドライブしない?」
「いやですよ、そんなボロっちい車。その腕時計を買う金があるなら、新車に買い換えればいいのに」
「この車はね、思い出の詰まった大切な車なんだ。若い千暁くんにはこのロマン分かんないだろうなぁ」
「わかんないのはアンタの方ですよ。アンタ、毎晩毎晩本当にしつこいし、何者なのかも分からないし」
「何度も言っているだろう?俺は“社長”だって」
「だから、どこの何て会社の社長なんだって話。僕のことからかって楽しんでますよね?」
「ふふふ、そんな事どうでもいいじゃない。おっと、ここまでだね。気をつけて行くんだよ」
直線の道を走り終え、車が遠ざかっていく。
慎司は去り際に熱中症対策用の塩分タブレットを投げてよこした。
そのさり気ない優しさに、千暁は顔を綻ばせた。
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