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第39話

その瞬間──全身から力が抜け落ちる。 膝から崩れ、尻餅をつき、動こうにも……身体が、動いてくれない。 ……もう、だめ…… 絶望の淵へと追いやる恐怖。 ぐにゃりと視界が歪み、軽い眩暈に襲われる。 はぁ、はぁ、はぁ…… ジリジリと痺れる脳内。自分を俯瞰しているような、非現実感。 このまま捕まってしまうだろう結末を、妙に受け入れてしまっている自分がいる。 ……やっぱり、僕は…… このまま泥の中に沈んでいく、運命……なん── 「──さくらっ、!」 ビクンッ、 厳つい男を羽交い締めにするハルオが、大声で叫ぶ。 その刹那、全ての感覚が身体に宿る。 驚いたもう一人の男が振り返り、床にヘタれる僕と目が合った。 「逃げろ、早く──っ!」 その声に、トンッと背中を押される。 「……」 恐怖で震える手。 もう一度ノブに掛け、ありったけの力を籠めて立ち上がり── ドアを開けると地面を蹴った。 ……はぁ、はぁ、はぁ…… 廊下に飛び出して直ぐ、エレベーターのボタンを何度も押す。 だけど、開かなくて。 「……」 辺りを見回し、薄暗い階段を見つけて必死に駆け下りる。 ……どうして…… 胸の奥が、キュッと締め付けられる。 最後に映ったハルオは、その厳つい男に振り払われ、胸倉を掴まれていた。 束縛し、レイプし、監禁までしたハルオから逃れた僕の前に、ヒーローの如く現れた時は──恐怖と寒気しかしなかった。 一緒に帰ろうと、泣いて縋りつくハルオを軽蔑し、冷たく突き放したのに。 そんなハルオが、まさか……危険を顧みず、僕を逃がそうとするなんて。 「……!」 涙が、溢れる。 歪んだ視界の中に、これまで優しく接してくれたハルオの笑顔が、次々と浮かんでは消えていく。 「……」 なのに僕は、……許せないでいる。 助けて貰ったのに。過去に受けた仕打ちの数々に根を持ち、その優しささえも受け入れられずに突っぱねようとしている。 ……本当に僕は、性悪だ。 はぁ、はぁ、はぁ…… 一階に辿り着き、エレベーター上部の階数表示板を見れば、1の数字で止まり、チャイムが鳴ってドアが開こうとしていた。 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…… 眩暈がする。 身体に力が入らないし、膝が笑って……上手く走れそうにない。 ──でも、逃げなくちゃ。 袖口で涙を拭い、唇をキュッと引き締めると、膝に力を入れ地面を蹴り出す。 何処までも続く闇夜。 その暗闇の中を、僕はただ只管に走り抜けるしかなかった。

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