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1 気になるあの子
九月、始業式の朝、志柿竜生 は一人きりの自宅で、身支度を整えていた。
忙しくしている中、スマートフォンが着信を告げる。現在、ロンドン在住の母親からだった。軽く溜息を吐いてから電話に出る。
「おはよう…って、そっちは夜なんでしょ。…うん、大丈夫だよ。ちゃんと準備出来たから。さっきは耀司 さんから電話あったんだよ。…うん、そう…。そんなに責任感じなくてもいいのにね。じゃあ、もう、学校行くから。電話有難う。おやすみ…。」
電話を切ると、竜生は再び溜息を吐いた。
今年の春、家族より一足先にロンドンより帰国した竜生は、帰国子女の受け入れに特化した賀茂泉 高等学校に進学した。
学校の徒歩十分圏内に住む、母の弟の耀司が竜生の面倒をみる事を提案してくれたので、竜生は彼のアパートに世話になる事になった。
そこ迄は順調だったのだが、夏休みの終盤に差し掛かった頃、一生涯独身かも知れないと心配されていた耀司から、三十八歳にして相手の女性を孕ませてしまい、急遽、結婚する事になったと報告された。それにより竜生は、実家に一人暮らしをする事を余儀なくされてしまったのであった。
時刻は七時四十分に差し掛かろうとしている。
――通学にバスで三十分か…。
竜生は玄関を出て、戸締りをした。住宅街を八分程歩いてバス停へ向かう。
今まで徒歩で通学していたので、バスに乗るという事に少し緊張を覚えてしまい、何気にICカードをチェックした。
バス停に着くと、数人の違う学校の女子高生と、スーツ姿の会社員達がバスを待っていた。その列のやや後方に佇んだ竜生は、自分と同じ制服の男子が一人いる事に気が付いた。
――男の子…?
横顔しか確認出来ないが、綺麗な造形で、一瞬、性別を疑った。しかし、白のポロシャツにグレーのズボンのそれは、自分と同じ賀茂泉高等学校の男子の制服で間違いない。
――男の子なのに綺麗な顔してるな…。いやいや、一瞬だけ美形に見える子は沢山いるからね。よく見ると、そうでもないやっていう…。
竜生は彼の顔を正面から見たくて、さり気なく場所を移動した。調度、彼が向かって来ているバスを確認しようとした仕草で、その顔をはっきりと確認する事が出来た。
その瞬間、竜生は心臓が高鳴ったのを感じた。
――ちゃんと綺麗な子じゃないか!
透明感を感じさせる肌に、均整のとれた目鼻立ちは派手過ぎず、清楚な美少女といった感じの顔だった。竜生は思わず魅入ってしまい、思わず息を呑んだ。
バスが到着して、その場に居た全員が乗り込む。既に空席のなかったバスの中は、満員状態となった。
これが毎朝続くのかと、うんざりした竜生だったが、斜め前に見える同じ制服の少年の顔に、不快さを緩和される。
竜生は自分の事を、改めてバイセクシャルなのだと自覚し直した。
ロンドンで学生生活を送る中で、彼は十四歳の時に異性と、そして十五歳の時には同性とも性的な体験をした。その経験で、どちらも愛せる体質なのだと漠然と思っていたのだが、実際に同性を見て、ときめくという体験は初めての事だった。
何気に少年を気にし続けた結果、ふと、竜生は彼の顔色に異変を感じた。
今まで無表情だった彼の顔が、苦悶の表情に変わっている。気分が悪いのかと心配したが、背後の会社員とみられる男性が気になった。嫌な感じに彼に密着しているようだ。
――まさか、痴漢?
バスが停車して、降りる人の流れに乗って、竜生は少年の真横に辿り着いた。そして友人を装い、自分より少し低い位置にある耳元に声を掛ける。
「おはよう。…どこか、具合悪いんじゃない?大丈夫?」
「え?…あの、…うん、大丈夫。」
彼はびくりとして一瞬だけ竜生を見上げ、それから再び目を伏せた。
「本当に?」
「うん…。」
小声で返す彼の声は、予想より遥かに低かった。ちゃんと男の子なんだと思いつつも、彼の恥じらっているような表情に、竜生は思わずキュンとしてしまう。
痴漢だと怪しんだ会社員風の男性は、次のバス停で降りるつもりなのか、前に移動していた。
それから十五分、二人に会話は生まれず、賀茂泉高等学校前のバス停に到着した。
――折角、話し掛けられたのに、気まずい感じになっちゃったな…。
竜生が意気消沈しながらバスを降りると、先に降りてしまった彼が待っていてくれた。
「あのさ、…助けてくれて有難う。」
いきなり光明が差したようだった。言葉のニュアンスから、先程のあれは、やはり痴漢だったのだと竜生は確信する。
「やっぱり痴漢だった?…疑わしいの、サラリーマンなオジサンだったよね?特定すればよかったかな?」
彼は口元に人差し指を立て、声のトーンを落とすように示唆した。
そして少しだけ上り坂になっている校門までの道を歩き出した。竜生も肩を並べて歩き出す。
「俺は特定するつもりないよ。…いつもは我慢してるんだ。」
竜生は耳を疑った。
「いつも?触られっぱなしなの?」
「いや、毎日じゃないけど!…俺が痴漢 ら引き受けてたら、女の人は助かるだろ?」
「まさか犠牲になってるつもり?…それ、なんか間違ってる気がするけど。だって、100パーセント、君狙いの可能性だってあるだろう?」
「100パーは無いって!…多分。」
彼は肩を竦めてみせた。そして、ちょっとだけ歩調を緩めると、少し明るめのトーンに切り替えた声で言葉を続ける。
「君とは初対面だけど、この事、内緒にしてくれると助かる。…一部でネタにされて喜ばれるから。」
「何?その一部?」
竜生は怪訝な顔をしてみせた。
「俺の幼馴染の梨尾数輝 っていうのが、腐ってる男子なんだよね。」
彼の半分、独り言のような答えに、竜生は意味が分からずに首を傾げた。
――腐ってる…?
竜生はどういう事か訊きたかったが、校門を過ぎてしまったので、掘り下げて問うのは止めにした。
「言わないよ。…って言うか、俺は特別クラスだから、君の知り合いとは交流ないと思うし、安心していいよ。あ、俺、志柿竜生。今日から、あのバス停利用してるんだ。」
賀茂泉校の特別クラスは、イコール帰国子女クラスなので、そこに在籍している生徒は一般の生徒に多少、特別視される。
「へぇ、そうなんだ。だから見た事なかったのか。…イケメン、見落としてたと思ったよ。編入生?それとも夏休み中に引越しでもした?」
イケメンという自覚のある竜生だったが、気になる子に言われて、少しだけ赤面してしまった。
「後者だよ。…君、名前は?一年だよね?何組?」
玄関付近に着いて、竜生は怒涛のように質問を彼に浴びせた。
「次、また会えたら教えるよ。じゃあね!」
全てをはぐらかすように彼は、綺麗な笑みを浮かべると、竜生の前から走り去ってしまった。
「あ、ちょっと…!」
――えぇ!?名乗ってくれないの?
質問攻めにしたのが悪かったのだろうか、と反省しつつ、竜生は彼を見送った。
――唯一の手掛かりは、幼馴染のナシオカズキ…?
同じバス停を利用しているという事で、自宅付近でも偶然会う機会もあるだろうと思う反面、彼の素性を直ぐにでも知りたいと望む竜生であった。
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