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第3話
薫さんは
駅の改札で待っていてくれた。
白い無地のTシャツにデニムのパンツ
白いスニーカー。
初めて見る私服にドキドキする。
コンビニでアイスを買って、
薫さんの家へ向かう。
彼の家は坂の上にあった。
思ったよりも大きい。
家へ入ると、
いきなり後ろから抱きしめられた。
(ま、待って、今ケース置くから)
バイオリンケースを玄関に置いてから
僕たちは向かい合った。
僕のおでこのあたりに
薫さんの顎が見えた、と思ったら
軽く額にキスをされて、
僕は優しく抱きしめられた。
(うわー)
どうしたらいいかわからず
僕は手をだらんと下げたまま、
薫さんに体を預けた。
僕だって、薫さんに会いたかったんだ
あの合宿の日から毎晩毎晩自分でも
アタマがおかしいんじゃないかと
思うくらい白鳥ばかり聴いていた。
チェロの甘く熱い旋律は
僕のカラダの中を駆け巡り、
反射して砕けた破片が
僕のココロに細かなキズをつけた。
全身のキズが疼く。
もうダメだ、この音じゃない
こんな音じゃイけない
薫さんの熱いしなやかな弦の響きに
絡みつかれて
彼の中へ引き摺り込まれたい。
早く、はやく彼に抱きしめられたい。
あの指で僕に触って欲しい。
そんな状態だったから、
ついに昨日はほとんど眠れず
今日は寝不足。
妙なテンションだから、
何があっても受け止めちゃう
とか思っていたのに。
薫さんはそんな僕の予想を
軽く上回ることをやってのけた。
(類、麦茶を飲んだら
防音室へ行こう。ウチのはスゴイよ)
冷たい麦茶を飲むのもそこそこに、
僕は地下の部屋へ連れていかれた。
そこは音楽室のような壁の厚い部屋で
深夜でも音を出せるという、
音楽家専用の『防音室』だった。
でも僕が驚いたのそこじゃなくて
(おふとん、、、、、、、
壁一面の書棚とオーディオセット。
反対側にはグランドピアノ
その脇にチェロと椅子2脚。
そして、
部屋の真ん中におふとん。
枕元にティッシュボックスも、も?)
びっくりして薫さんを見ると
彼は意地悪くニヤリとした。
(びっくりした?
これなら夜も音楽が聴けるでしょ)
(あ、あぁそうだね、あはは)
僕らは早速何を弾くか相談をした。
最初は僕の希望で
ヴィバルディ『調和の幻想』から第1番
僕のヴァイオリンの音色が
天上へと向かう出だしから、
薫さんのチェロが追いかけてくる。
二つの旋律は交わり離れては触れ合い
高く空へ向かい
弧を描いて空に舞った。
寝不足でいつもより敏感なせいか
僕は直ぐにとんでしまった。
(はあーっっキモチイイーッ)
駆け抜けた第1楽章を終えて
薫さんの方を向くと、
彼は笑っていなかった。
僕はその場に固まってしまった。
なに、どうしたの?
薫さんは
そっとチェロを椅子にもたせかせると
壁際にあるプレーヤーのスイッチを
入れ、布団に腰を下ろした。
(類、ヴァイオリンを置いて
こっちに来て。
出来ればケースに入れた方がいい)
言われるまま、僕は楽器を片付けた。
そしてお布団の上に座った。
部屋の両側にあるスピーカーから
流れて来たのは、
エルガーの『愛の挨拶』
熱い塊がきゅうっと引きのばされ
頂点で震えたかと思うとぱっと弾け
羽のようにフワフワと舞い落ちてきた
そしてまたぐいっと持ち上がる
フワフワ、フワフワ、
その間を滑る艶やかな音色
(心地よい優しい音)
薫さんの音だ。
なんて美しいんだろう。
うっとりしていたら、
背中に熱を感じた。
薫さんが僕を引き寄せて抱きしめた。
僕は彼にもたれながら目をつぶった。
『野ばら』
『シューベルトの子守唄』
『歌の翼に』
『バッハグノーのアヴェマリア』
全てが薫さんの音色だった。
柔らかくて心地良い
頰をそっとなでられるような
あたたかい響き
いつのまにか僕の意識は
白くかすんでいった。
目がさめると薫さんはいなかった。
階段を上がってリベングへ行くと
美味しそうな匂いがする。
カウンターの向こうで、
エプロンをした薫さんが
料理をお皿に盛り付けている。
(おはよう)
彼がにこりと微笑んだ。
笑うと小さなかたえくぼが浮かんだ。
僕はそんな薫さんが可愛いと
思ってしまい、
ちょっと照れくさかった。
あれ。気がつくと外は夕焼けだった。
(わっごめんなさい!
僕すっかり眠りこけてしまった)
(いいよ、夜通し楽しもう)
(うん)
僕は笑顔で返した。
けど「夜通し」ってなんだ?
その答えを
僕は寝る時間になって知った。
防音室の布団の上で、
僕は薫さんに抱かれた。
スピーカーからは薫さんのチェロ。
ラフマニノフの『ヴォガリーズ』
グイグイと強く惹かれる弓に
僕の意識も
グイグイと深くひきづりこまれていく。
小節の合間の息継ぎなのか、
それともキスの合間の吐息なのか
弦のように細かく震える今の僕には
もうわからない。
僕は耳からも肌からも
彼に攻められている。
甘い吐息とつぶやき、
しなやかな弦の響きが
ビリビリと僕の指先に腕に背中に
絶え間なく快感を与えている。
フォーレの『エレジー』がかかった時
僕のカラダは
まるで熱く熟れた果実だった。
グシャグシャと崩れて
快感のシロップに浸かっていた。
ネットリと絡みつくような
弦の旋律を追いかけるように
背中を這い回る薫さんの熱い舌が
ピリピリと僕のカラダを弾く。
サン=サーンス『動物の謝肉祭』より『白鳥』
僕はこの音に抱かれるのを
ずっと願っていた。
飛びそうな意識をつかんでは引き戻す
流れるような旋律と愛撫の波は
僕のカラダをむず痒くさせた。
苦しくて体を反転させると、
反り返った背中とシーツの隙間に
薫さんの腕が差し込まれる。
逞しくしなやかな右腕。
普段はこの腕が 弓を握り
あの濃密な音を奏でるんだ。
考えるだけで胸がキュッとなる。
荒く息をする僕の胸に
彼は軽く噛みついた。
僕は我慢できずに
小さく左右に頭を振った。
(ふふっ、シンクロしてる)
(なにが?)
(るいのアタマとナニが)
(ばか、、、っあああっ)
ココロとカラダを繋いでいた糸が
ぷつっと切れた
(イっちゃった)
グッタリした僕の髪に
ふわりと彼がキスをした。
知っている
僕はまだ足りない
彼もまだ足りない
物憂げな旋律に目を伏せた
僕の顎を優しく持ち上げ
彼が唇を重ねてきた。
薫さんのネットリと這い回る舌が
僕自身の 先っぽにポッと火を灯した。
僕が薫さんの目を見返した時、
彼の深い瞳の奥でこちらを見る
僕がいた。
困ったような
潤んだいやらしい眼差し
そんな自分は見たくなくて
僕は彼の肩に顔を当てた。
(るい、恥ずかしいの?)
(うん)
(じゃあもっと
うんとはずかしくしてあげる)
薫さんは
僕の腰の後ろに枕を差し込んで
僕の腰をさらに浮かせた。
僕の腰と僕自身は
薫さんの顔の目の前に
ゆらゆらと鎌首を持ち上げた。
(やっだ、イヤだよぉ)
あまりの恥ずかしさに声がかすれて
変な風にひっくり返った。
薫さんは
起き上がろうとした僕を軽く抑え
僕の先っぽを口に含んだ。
あたたかく濡れて密着した感触に
思わず腰が引けたが
枕のせいで身動きが取れない。
僕の先っぽは、彼の舌で押され、
割れ目に沿って舌を差し込まれた。
(ひっ)
思わず声が出る。
あの日と同じ、甲高い声。
ジンジンする先っぽとは別に、
今度は後ろに違和感を感じた。
目を開くと、
薫さんが僕をしゃぶりながら
後ろに手を回していた。
(や、それ気持ち悪い)
のばした僕の右手を彼が握った。
それだけなのに
僕はもう抵抗ができない。
低く高くしなやかに弦がうなる。
焼け付くような切なさが
頭からつま先へ
つま先から僕の中心へとながれ込む。
強いうねりと彼のビブラートが
僕のカラダの中で混じり共鳴する。
(ひぃ)
そうだ
僕は薫さんに奏でられているんだ。
細く長くあがる声は
もう自分のものとは思えない。
うごめく指に時々声が跳ねる。
薫さんは声が跳ね上がった場所を
見逃すことなくしつこく攻めてくる。
僕は快感に抗えず
彼の指をくぅっと締め付ける。
締め付けては声を上げ、
割れ目を舌でなぞられ雫をすすられては
カラダをそらして鳴いた。
何回イッてしまったんだろう?
僕は恥ずかしいくらいにイきまくった
だってそれは
僕がずっと望んでいたことだから。
何度目かにイったあと、
脱力した僕のカラダに
薫さんが入ってきた。
僕の後ろは緩んでいたけれど
それでも本来入るべきではないものが
押し入ってきた違和感は否めない
痛みにくっとそらした僕の首すじに
薫さんが吸いつく。そして
僕の耳に顔を寄せてつぶやいた
(いたい?ねえ、るい、いたい?
これが僕だよ。感じて、僕を)
彼の舌が僕の耳に侵入すると
僕のカラダの芯から強烈な快感が
渦になって巻き上がった。
(あ、あ、あ、)
僕はガクガクと震えて声が出ない
片耳は熱い舌でチロチロと犯され
もう片方の耳はしなやかな弦に震えた
長い夜だったのかもしれない
でも今となっては、
一生のうちでほんの瞬くくらいの
儚くも短い時間だったとも思う。
翌日の僕は、
立てないくらいに疲れてしまって
僕たち2人は
防音室に篭りっきりだった
好きな曲を弾いては盛り上がり
ココロとカラダを交わらせた
別れ際、改札を挟んで見た薫さんが
なぜだかとても遠くに感じた
(なんでそんな
淋しそうな顔で笑うの?)
僕は聞けなかった。
薫さんは2学期になると
部活しか来なくなった。
授業は欠席。
クラスや部活では、
様々な憶測が飛び交った。
僕は部活の帰りに薫さんと話した。
(どうして授業に出ないの?)
(ごめん今は答えられない。
僕にもよく分からないから)
薫さんは無表情のまま、
遠くを見ている。
僕らは気まずいまま電車に揺られた。
その日以降、
その話題は怖くて出来なくなった。
音楽も聴かなくなった。
薫さんが彼の家で言っていた事だけど
音の渦に巻き込まれた時の僕は
すごくエロい顔をしているらしい。
だから周りにそんな顔を
見せないで欲しい
と言われてしまったのだ。
だからもう音楽も聴かない。
気まずい、切ない、苦しい。
僕はある日、我慢の限界が来て
彼の前で泣き出してしまった。
それでも彼は僕を透かして
遠くを見続けている。
もうダメだ。何も分かち合えない。
でも、行かないで。
僕は薫さんの右腕を左手でつかんだ。
彼は無表情なまま
僕に顔を近づけたかと思うと
右耳を軽く噛んだ。
(アッ)
僕が震えた隙に
薫さんはするりと僕の腕を抜け
振り向きもせず電車を降りた。
電車の中なのに、僕は恥を忘れて
泣きじゃくった。
学祭の公演が終わると、
薫さんは部活にも来なくなった。
僕らは時々、電話で話した。
彼はぽつりぽつりと
言葉を削り出すように語った。
(中学の時、
僕は2年間休学をしていた。
1年目は肉体的な療養生活。
もう1年は、ね、精神的な療養生活。
どうしてなんだろう、
夏に類と過ごしてからまた
何もかもか分からなくなってしまった。
ただ強く君を求めるあまり、
僕はもう自分の形を保つ自信がない。
弓になって類を奏でたいだけなのに)
薫さんは、サヨナラと呟くと
一方的に電話が切れた。
春になり進級したクラス分け名簿に
薫さんの名前はなかった。
学校を卒業してから16年が経った。
薫さんのいないオーケストラ部を
一度はやめてしまおうかと悩んだが
部活は基本高2で引退だったから
勿体無くて続けた。
というか、部長に推薦されたから
辞めるわけにはいかなかった。
ちなみに最後の年も
第2ヴァイオリンだった。
コンサートマスター
(第1ヴァイオリンパートのトップ)は
僕よりずっとセンスのある悪役が
席を占めていたからのも理由の一つ。
僕のエロい顔を
誰にもなるべく見せたくなかったのも
理由。
僕は学校を卒業してから
大学生に入り卒業し地方へ就職した。
数年前に結婚もした。
まだ子供はいない。
薫さんから貰った音源は
実家に置いてきてしまった。
薫さんと別れてから
幾度となくあの音源で抜いた。
悲しくて寂しくて泣いた。
だけど年月は優しく残酷だ。
辛かった記憶はうすれ、
夢のようなあの夏の日だけが
僕のココロに刻まれている。
あれが無くても、僕はいつでも
薫さんの音を感じる事が出来る。
環境や生き方が変わっても
僕のココロは
一瞬であの夏に帰ることが出来る。
薫さんの奏でる『白鳥』が
静かに羽を休める暗い穏やかな夜に。
(おわり)
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