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第56話

想定外の台詞に、大きく持ち上がっていく瞼。 視線を外したまま軽い溜め息をつくアゲハが、それまで秘めていた胸の内を吐露し始める。 「──俺が、中学に上がったばかりの頃だ」 柔らかく温かな春の陽射しが傾き、時折吹く風に肌寒さを感じ始めた頃。友人と別れ、自宅へと続く廃れた細い路地裏を歩いている時だった。 『工藤アゲハくんね?』 此方に向かって歩いてくる人物──肩より長いストレートヘア。タイトなスーツに身を包み、女性用らしきハイヒールを履いた中性的な男性に、突然声を掛けられた。 『……』 コツ、コツ、コツ…… 緩やかな風が吹き、サラサラと靡く長い髪。悪戯に乱されたその横髪を片手で押さえながら、立ち止まったアゲハに近付く。 『……少し、お話いいかしら』 形の良い二つの瞳が緩み、柔やかに微笑む男性。 春の風にのって流れてくる匂いが、アゲハの鼻腔を擽った瞬間──さくらを抱き寄せた時に感じた、首元から微かに匂い立つ甘い香りに似ているのに気付く。 「……その時、さくらが産まれた経緯を聞かされた。母がさくらに冷たく当たる本当の理由を、初めて知ったんだよ」 ……え…… そんな前から、アゲハは知ってたんだ…… そう思った瞬間──孤独の波に飲まれ、精神ごと深い闇の中へと堕とされていく。 ……僕だけが、何にも知らなかった。 僕が、殺人鬼の子供だから。……だから、アゲハは僕から一線を引いたんだ。 『さくらのせいじゃない。……そういう、運命だったんだ』──そう言って、僕を宥めてくれたおばあちゃんも…… 「……」 心の奥に仕舞っていた、大切な思い出までもが……嘘で塗り固められていたもののように感じてしまう。 『……罪は償ったわ。 さくらを迎え入れる準備もできてるの』 カチャ、 小さな音を立て、ソーサーにティーカップが戻される。 アンティーク雑貨に囲まれた小さな喫茶店。その窓際に相向かいで座る若葉が、伏し目がちに口角を緩く持ち上げる。 『……ちょっと、待ってください!』 突然の話についていけず、眉間に皺を寄せたアゲハが突っぱねる。 『突然そんな事言われて、「はい、そうですか」って……さくらを簡単に差し出す筈ないじゃないですか』 『………ええ。そうね』 強い返しに、伏せていた視線を持ち上げた若葉がアゲハを射抜く。 まるで、獲物を狙う捕食者のように。 『それじゃ、僕の条件を飲んでもらうしかないわね』

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