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第66話
「ふふ、いい子だから……こっちへおいで」
優しくも不穏な声。
静かに僕を見下ろす若葉の口元が、妖しげに微笑む。
「……」
いま、捕まる訳にはいかない。
外に出て、助けを呼ばなくちゃ……
平常心を保つ為の呼吸を繰り返し、本能的に立ち上がって床を蹴る。
──はぁ、はぁ、
裸足のまま玄関の叩きに降り、ドアノブと鍵に手を伸ばす。
ガチ、ガチガチッ……
早く開けたいのに。焦りと恐怖から指が震えて、上手く抓みを回せない。
はぁ、はぁ……
……ガチガチッ、
「──それとも。このままアゲハを見殺しにしたい?」
耳元で囁かれる、若葉の低声。
その瞬間──息が止まる。
──トン、
強張った肩を掴む、柔らかな手。鼻腔に纏わり付く、甘っとろい色香。視界の直ぐ下に映る──不気味に光るナイフの刃先。
殺される──
そう直感し、背筋が凍り付く。
このドア一枚隔てた向こうには、明るい未来が待ち構えているというのに……
「……」
昔から、そうだ。
ヒステリックな母の前では、いつも僕は無力だった。幼い頃に植え付けられた恐怖は相当なもので。身を守る為の反抗心さえも、容赦なく削り取られてしまう。
……ずっと、足枷だった。
必要以上の恐怖が襲い、簡単に臆病にさせる。
だけど……諦めたくない。
こんな僕を、アゲハは命がけで助けようとしてくれたんだから───!
──ガチャンッ
抓みが、動く。
まるで希望の音が鳴り響いたかのよう──解錠したドアに体当たりし、必死で押し開け、素足のまま外に飛び出す。
「……おぉっ、と」
大きく開いたドア向こう──そこに立つ人影に飛び込む。
誰だっていい──全裸だという羞恥すらも脱ぎ捨て、迫りくる恐怖から逃れようとしがみ付く。
「……さくら、くん?」
聞き覚えのある声に驚き、怖ず怖ずと顔を上げれば……そこにいたのは、制服姿の岩瀬巡査。
「えっ、姫──?!」
その陰からひょいと姿を現したのは、春用のロングコートを羽織ったモル。
「ど、どうしたんッスかっ。ていうか、何で裸ッスか?!」
慌てふためくその様子に、何故か酷くホッとする。
岩瀬から離れ、導かれる様にふらっとモルに近付くと、倒れるようにして身体を預ける。
「……って、姫?!」
気を失いそうになるのを堪え、抱えてくれたモルの腕にしがみ付く。
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