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第10話
アーカム家の屋敷に、白塗りの馬車が蹄の音を高らかに響かせ、乗り入れてくる。
貴族が個人的に所有しているものではないが、富裕層に向けて貸し出しされている馬車は、とても細やかな意匠がなされていた。
「ロナード様。わざわざ、ご足労いただきありがとうございます」
馬車から降りたエヴァンを出迎えたのは、アーカム家の当主、デニス・アーカムだった。元軍人の男は、髪を白くさせても体格は隆々として立派だ。
「友人の娘が、婚約を決めたと噂に聞いてね。訪れないわけにもゆかぬだろう」
現役時代からデニスを知っているエヴァンは、衰えない友人の壮健さを喜び、差し出される手を強く握った。
「エリスのお相手は、あのオスカー家の末弟ときいたが?」
「ええ。幼い頃より、エリスだけでなくニルフの遊び相手をつとめていただきました。良縁でございましょう」
オスカー家と親しい交流はなかったが、代々、軍人を輩出している家柄で、二人の息子は重要な地位にいると聞いている。
同じ軍人であったデニスにしてみれば、満足いく縁談話だったろう。
「ご結婚は、いつ頃になりそうかい?」
直接、祝福を送ることはできないだろうが、今後のつきあいもある。ささやかな品ぐらいは、送らねばなるまい。
アーカム家は帝都でも有数の商人で、エヴァンが所有する金の取引に一役買って出てもらっていた。
「なにぶん、二人とも今の今まで浮いた話がろくに出なかったものどうしですからね。のらりくらりとしておりまして、はっきりしないのです。しばらくは、掛かりましょう。まだまだ、安心できませんな」
デニスの苦笑いに付き合って、エヴァンも「困ったものですな」と笑いかえした。
娘の結婚をあきらめていたデニスは、態度こそ素っ気なくあるが、内心は地に足がつかないほど喜んでいるに違いない。
娘かわいさ、というよりは結婚によって広がるつてで、どう商売を広げていこうかという打算でいっぱいなのだろう。
「街で、エーギル・バロウズという商人と知り合ってね」
デニスに案内されるまま、エヴァンは落ち着いた色合いで統一された客間に入った。
見るからに高そうな、えんじ色に染められた革張りのソファに腰掛ける。
「半年前から、貴族を相手に宝飾品を売り歩いている商人ですね」
「とんでもない商売敵が出てきたもんだと、嘆いている宝石商の話も聞いている。俺にも声をかけてきてね」
メイドが運んできた紅茶の香りに、エヴァンは話を止めて手を伸ばした。ダイヤのような角砂糖を二つカップに落とし、銀のスプーンでかき混ぜる。
香り立つ匂いを楽しみながら一口すすれば、異国情緒を感じ、心が和む。
「たいへん、良い茶葉だ」
「エリスの見立てにてございます。お気に召しましたならば、おわけいたしましょう」
「ありがたい。遠慮なく、お願いしよう。一緒に飲みたい相手ができてね」
デニスは退出しようとしていたメイドを呼び止め、茶葉をエヴァンのために包むように命じ、腰を下ろした。
「エーギル・バロウズ。めざとい男ですが、いささか怖い物知らずとも思えます。ご旅行中のエヴァン様に商談を持ちかけるとは……宝石商としては、年数が浅いのやもしれませんな」
淡いピンク色の花が焼き付けられたカップを窮屈そうに摘まんで、デニスは一口で飲みきってしまった。
味のわからぬ男、というよりは、単に緊張しているからだろう。
エヴァンが所有する黄金はとにかく膨大で、尽きるところを知らない。財力だけで言えば、貴族ではなく国主といっても過言ではないだろう。
そのエヴァンが趣味の一環としている宝飾品集めは、莫大な財を投入してくるために市場を大いに混乱させる。
今の今まで無名作家だったメルビスが、その道の通の品物となったいったんは、エヴァンにある。
メルビスの作品に、金を惜しまず投資する成金がいる。金商人エヴァンのお眼鏡にかなえば、一攫千金も夢ではない。
権力と地位と財力を兼ね備えたエヴァンに媚びへつらう商人や貴族は、後を絶たない。
「まあ、いいさ。私用での旅行といえど、今更、一般人を気取れるとはおもってはいないよ。……で、そのバロウズ氏がアーカム家にもメルビスの作品を卸したと言っていてね。是非ともこの目で拝見させていただきたく思ったので、連絡させていただいた」
「ええ、いらっしゃるとは思っておりました。準備はできております。……ニルフ、ロナード様にティアラをお持ちしなさい」
扉のそばで控えていた青年が頷き、革張りの箱を両手に抱え歩み寄ってきた。
「ティアラ……というと、ご息女の婚礼のために用意なされたのかな」
「ええ、とはいえ。結婚式が済めば美術品、お話次第ではお譲りいたすことも可能でありますよ」
「なるほど」
打算が見え見えのデニスに、エヴァンは腹の底で笑った。
(この俺から、搾り取る算段か?)
メルビスの作品には、目がない。言い値で購入してしまうのを、秘書によく咎められている。
エヴァンにしては金を積めば簡単に黙らせられるのだから手っ取り早い方法なのだが、散財はするなと、何度も何度も秘書にはきつく据えられていた。
今も、たいへん嫌そうな表情を見せてくれている。
「商談は、その時になってからゆっくりしよう」
「ええ、ええ。それはもう!」
デニスの強欲さに、実子のニルフもあきれているようだった。
「ニルフ、ぐずぐずしていないで、早くロナード様にティアラをお見せしなさい」
「はい、わかりました」
ニルフはデニスのように感情をすぐには表情に表さず、淡々と己のなすべき仕事に就いている。
エヴァンをちらっと一瞥し、革張りの箱を差し出した。
深いえんじ色の革。年代を感じさせる痛みが、味となって刻まれている。箱は、もっと古い時代の別の作家によるものだろう。
エヴァンは箱を受け取り、蓋を開けた。
「これは、美しい」
「エヴァン様のお眼鏡にかないますかな? なにぶんメルビスの作品は数がすくなく、鑑定眼を養うのも困難。ロナード様がため息をつかれるものであるのなら、間違いなく本物でありましょう。安心いたしました」
大げさな口ぶりだが、安心したとの言葉は本心から出たものだろう。かなりの金額を、このティアラに投資したに違いない。
名の知れぬ宝石商相手に、ずいぶんな博打を仕掛けたものだ。
「間違いなく、メルビスの作品だろう。いい品だ。ご息女の結婚式に使うものでなければ、今すぐにでも商談に移らせてもらっていたところだろう」
「是非とも、その日をお待ちしております」
ティアラの番犬か、直立したまま動こうとしないニルフに、エヴァンは「冗談だよ」とささやき、箱の蓋を閉めた。
◇◆◇◆
「まったく、ひやひやしました。エヴァン様がどうしてもと仰っていたら、父さんはあの場でティアラを売り渡していたでしょう」
「飾り物なんて、どれでも良いわ。なんなら、小さい頃に買ってもらった硝子の髪飾りでも、じゅうぶんよ」
言葉の通り、興味なさそうに本のページをめくるエリスに、ニルフは言い聞かせるよう大きく息をついてみせた。
「子供用のティアラを結婚式でつけていたら、末代まで笑われますよ」
エリスはぱたん、と本を閉じてテーブルに置き、代わりにカップを摘まんだ。
いつもと、何一つ代わらないのんびりとした姉の午後に、ニルフはやきもきしていた。
(どうして、レオンさんは来ないんだ?)
戦場から帰還したばかりのレオンハルトを引っ張って姉に会わせてから、どれくらい経ったろう。
一度たりと、レオンハルトから姉を訪ねてこない。エリスもレオンハルトを訪ねたりはせず、部屋に引きこもっている。
手紙のやりとりはしているようだが、帝都にいるのだから、将来の伴侶として、直接会うべきだろう。
遅々として進まないレオンハルトとエリスの関係を、アーカム家で心配して胃を痛めているのは、ニルフだけだった。
父のデニスは結婚後、オスカー家とのつきあいに思いをはせていて肝心の姉はひとごとだ。
もし、破談にでもなれば次はないだろう。相手が幼なじみとは言え、もっと真剣になるべきだとニルフはいらいらと歯がみしていた。
もどかしい。
エリスとレオンハルト。
幼少の頃から二人を見ていたニルフにとって、夢に見るほどの理想の組み合わせだった。
なのに、浮かれているのはどうやら自分一人だけらしいことに気づき、落胆した。
「あわてても、仕方のないことでしょうに。あの、朴念仁のレオンハルトよ。普通の男女のようにことが進むなんて思っていないわ」
ニルフの胸中を見透かしたかのようなエリスに、怒りさえ感じる。
「わかっているならば、行動すべきでは?」
「無駄よ。誰かが何を言ったところで、彼は自分を曲げないでしょうね。誠実だからじゃないわよ、貴方はまんまとだまされているようだけれど、レオンの本性はもっとずっと、ずるいんだから」
「姉さんが何を言っているのか、理解できませんね。レオンさんはとてもいい人ですよ。格好良くて、責任感もあって……まさに清廉潔白なお人です」
くってかかりたいのは山々だが、喧嘩は避けたい。いや、ニルフがひとりでいきりたつだけなので、実際には喧嘩にもならないが。
「もっと、ちゃんと自分らしく生きてください」
「女の幸せってやつかしら? そうね、まあ……一応、頭にいれているわよ」
紅茶をすする姉に嘆息を零し、ニルフは足早に部屋を出て行く。
近いうち、自分がレオンハルトに会いにゆかねばならないだろう。
エリスとレオンハルトの婚約を成功させるためには、自分がうごかねばなるまい。そう、心に誓った。
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