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第11話

 夢心地な気分だった。  レオンハルトに誘われ、一人では行かないような洒落たカフェで食事をし、珈琲を飲んだ。  ビーシュのとりとめのない話のどこが気に入ったのか、レオンハルトは終始、興味深げに耳を傾け穏やかに相づちを打ってくれた。  とてもおいしい昼食だったように思える。食堂の列からはみ出たときは、どうしたものかと途方に暮れたが、逆に運が良かったとさえ思える。  久しぶりに、楽しいと心の底から思えた。  エヴァンとの密会は取引であるのが前提で、食事の楽しさも、すぐに続く夜の情事で全部塗りつぶされてしまう。  行きずりの男と寝るよりも、エヴァンは優しく、朝も一緒に過ごしてくれる。いい人だ。  いい人以上の関係には、どうしても踏み込めない。  エヴァンはやがて、帝都を去る人だ。いつまでも、後をついて歩くわけにはゆかない。  近すぎず、遠すぎず。距離を取るのが常であるのに、どうしてかレオンハルトにはずっと前から知り合いだったかのような、妙な距離の近さを感じていた。  もとより警戒心は薄いほうではあったが、レオンハルトの前ではビーシュ自身驚くほど素のままの状態でいられる。緊張はするが、どこか心地のよいものだった。  迷惑をかけていないだろうか、気を遣わせているのではないか、そんな心配をする間もないほどに楽しかった。 「すごいね、いろんなものがある」  だからか、気持ちがふわふわと浮ついていて、気付けば二人きりで工房にいた。 「ここが、ビーシュの職場? まさに、職人って感じの部屋だね」  周囲をきょろきょろと見回しているレオンハルトの声に、ビーシュはそわそわと行ったり来たりを繰り返しながら、「そうだよ」と返した。  殺風景な工房を見て回ってなにが面白いのか、一年の大半をここで過ごすビーシュには理解できなかったが、レオンハルトは満足そうにうろうろ歩き回ってる。 (たのしいなら、いいのかな?)  カフェでゆるりと食事をし、公園で腹ごなしをしたあと、見たい絵があると言うレオンハルトに連れられ、ビーシュは初めて美術館に入った。  宝石を集めているので、宝飾には興味があるが、絵画はさっぱりで、初めて目にする緻密な芸術に思っていた以上に胸を打たれた。とても、素晴らしかった。  工房にレオンハルトを誘ったのは、ビーシュからだったように思う。  共にいる時間が終わるのが嫌で、装具技師の仕事をしりたいと言うレオンハルトを工房に誘っていたのだ。 「もう、夜遅いけど、軍部に戻らなくていいの? お家には?」  レオンハルトへ向き直ると、しっかりと視線を合わせてくるサファイアの目に、ビーシュはカッと火照る頬を押さえて視線を外した。  客がいたカフェと違って、工房に人はいない。フィンは研修に行っているので、まだ帰ってはこない。  軍病院の地下へ一般人が入ることは基本的に禁止されているうえ、ビーシュの工房を訪れるような職員はさほどいない。おまけに、時刻は深夜に近い。 (あぁ、どうしよう。どうして、連れてきちゃったんだろう)  レオンハルトの吐息を感じるようで、ビーシュは己の衝動を抑えるように、ぎゅっと白衣の裾を握った。 「問題ないよ、年頃の女の子でもないしね。……ねえ、ビーシュ。君の義眼を見せてほしいな」  カフェで仕事の話をした後、ペリドットの義眼に話題が移った。  すっかり、というよりは一方的にレオンハルトに気を許していたビーシュは、趣味で義眼を作っていると告白した。  ペリドットのほかにも作品があると言えば、当然の流れで見せる話になったわけだが、今更ながらにビーシュは戸惑っていた。 (みせるだけ、みせるだけだから)  ふうっと、大きく息をつき、ビーシュはなんともない顔を作って――うまくいっていると信じて、レオンハルトに頷いた。 「まっていて、いま持ってくるね」 「うん。楽しみだな」  宝石義眼は、長いこと助手をしてくれているフィンにも秘密にしている。趣味の悪い戯れであると自覚はしていたので、他の誰かに披露する日が来るなんて、思いもよらなかった。  むしろ、気色悪いと拒否をしてこないレオンハルトの反応が、ビーシュにとっては不思議だったかもしれない。  工房の奥に入り、ビーシュは寝台の横に置いてある棚から、宝石義眼を入れた箱を引っ張り出す。  箱の中には、いままでビーシュと関係のあった人々の目をもした義眼がぎっちりと詰め込まれている。  さすがのレオンハルトも、これを見たら気持ち悪がるかもしれない。迷うビーシュに「どうしたの?」と声が掛かった。  工房の作業場で待っていると思っていたレオンハルトが、背後に立っていた。 「どうもしないよ、いま、見せるね」  振り返ろうとして、ビーシュはレオンハルトに背後から抱きかかえられ、びくっと体を震わせた。 「それが、ビーシュの作った義眼?」  耳元をくすぐる吐息の暖かさに、心臓がばくばくと飛び跳ねた。  胸に抱き込むようにして、ぴったりと寄り添って立つレオンハルトに、ビーシュはとっさに声が出せず、こくこくと頷くしかなかった。 「見ていいかい?」  頷くと、にゅっと背後からレオンハルトの両腕が伸びてきて、箱を持つビーシュの手に手が重なった。  驚いて顔を上げると「落としてしまいそうだから」とレオンハルトが微笑んだ。  間近で輝くサファイアブルーに、ビーシュは「ありがとう」と、自分でもよくわからない言葉を口走っていた。 「ビーシュはどうして、義眼をつくるの?」  箱に詰められた宝石義眼を眺め、レオンハルトは当然な質問をした。  医療目的でもない。  趣味で義眼を作っているなんて、常人では理解できないと顔をしかめるだろう。  こわごわと見やったレオンハルトの横顔は、好奇心できらきらと輝いている。案外、変わり者なのかもしれない。  そうおもうと、多少、緊張も抜ける。  ビーシュはレオンハルトに体重を預けるよう背中を寄せて、ルビーで作った宝石義眼を取り上げた。 「これは、ぼくにとって思い出の代わりなんだ。できるだけ忘れないように、その人の一番、印象にのこるものをって考えたら、宝石で目をつくることだった。……変だよねぇ」 「変わった趣味ではあるね。でも、とても綺麗だよ」  お世辞でもなく、ごまかしでもなく。宝石義眼を見つめるレオンハルトの視線は真摯だった。  ビーシュは無条件に肯定されているような気分になって、再び口を開いた。声にはもう、震えは残っていない。 「これは、帝国の英雄のティアニー少佐の義眼を作ったときに取り寄せたルビーでつくったんだ」  帝国の花形の右目に埋まるものだからと、腰を抜かすほどの予算をもらったのを覚えている。  素材を吟味するために、ルビーをいくつか取り寄せ、最上の石をを英雄につかい、残りをくすねた。  ばれたら当然、免職ものだが、幸いにも、今の今まで誰かに気付かれてはいない。  ビーシュが所有する宝石のなかで、ルビーの義眼が一番高いものだろう。 「ほかの目は、誰なんだい?」  箱を再び棚に戻し、ビーシュは少し間を置いてから「友達とか、お世話になった人……かな」と口ごもりながら答える。  嘘ではないが、本当でもない。  まさか、夜をともにした男たちもまじっているとは言えない。  軍病院の外から来たレオンハルトは、ビーシュの夜遊びを知らないはずだ。ならば、わざわざ言う必要はないだろう。普通の友人でいられそうならば、友人として接するべきだ。  一歩、踏み出して関係を崩してしまう愚行は、もう痛いほど若い頃に経験していた。悲しい思いをするくらいなら、知らないほうがずっといい。 「……本当に?」  小首をかしげるレオンハルトに、ビーシュはぽかんと口を開けた。 「ほんとう、だよ」  震え出す声に、ビーシュはぎゅっと拳を握る。  知っているのだろうか? ゆっくいと近づいてくるサファイアの双眼は、何を考えているのかちっともわからない。 「ねえ、ビーシュ。ビーシュはどうして義眼をつくるんだい? 思い出が欲しいから? 記念に残したいから?」  どうして?   問うてくるレオンハルトに、何をどう言えば良いのだろうか。  その通りだと、ごまかしてしまえば良いだけだ。なのに、どうしても声が出ない。 「……見て、ほしいから。ぼくを見ていてほしい、から」  何を言っているのだろう。  好意を抱いているとはいえ、レオンハルトは今日、初めて出会ったようなものだ。  馬鹿正直に答える必要なんてないのに、サファイアの瞳にあらがえない。  我も忘れて、すがりたくなる。 「僕の目も、作りたい?」  試作ではあるものの、すでに作り始めていた。  ポケットの中には、サファイアが入っている。   それすら見透かされているようで、ビーシュは結局、うまくごまかせずに頷いた。 「そう。ビーシュは僕の目をよく見ているものね」 「だめ、かな? うん、駄目だよね。気持ち悪いよね」 「いいよ」  レオンハルトは当然とばかりに答えた。びっくりして顔を上げれば、微笑すら浮かべている。 「変わっているね、レオンくんは」 「そうかな? よく言われるけれど、自覚はないんだ」  サファイアの色をした眼球に、ビーシュの顔がいっぱいに映り込んでいる。 (……綺麗だな)  誘蛾灯に引き寄せられるように、ビーシュはレオンハルトに向き直り、青い瞳を見上げる。  もっと、もっと近くで見たい。  レオンハルトのほうが高いので、自然とつま先立ちになる。 「自覚がないのは、ビーシュも一緒だね」 「……えっ?」  唐突に視界が暗転して、驚いたビーシュは、レオンハルトにしがみついた。 「ん、あっ」  唇が熱い。  くちづけをされている。  どうしてだろう?   苦しくなる息に喘げば、ぬるりと舌が入り込んできた。 「ん、んんっ」  レオンハルトの背中に手を回し、厚手の軍服に爪を立てる勢いでしがみつく。  熱い吐息が絡み、唾液があふれて顎を伝った。戯れではない、深い性的な口づけに、がくがくと、膝が震える。  腰が抜けそうになって、ビーシュはか細く鳴いた。 「はふっ、んぁ……れ、れお……く」  がくっと落ちる腰を支えるよう差し込まれた膝に、びくんと背中が震える。 「……らめ、まっへ、んぅ」  ビーシュの懇願が聞こえていないわけでもないだろうに、レオンハルトは何も言わない。  温和な物腰を裏切るような激しさに、ビーシュは何一つ抵抗できずに唇をむさぼられる。 「んうっ、れ、レオンくん?」  口の中に溜まる唾液が自分のものなのか、それともレオンハルトのものなのか。わからなくなるほどにぐちゃぐちゃに掻き回されたものを、嚥下する。  じわっと、腹が熱くなった。密着した下肢は、どうしようもない衝動を感じて痛いほどにじれている。 「ごめんね。あまりにもビーシュがかわいくて、我慢できなかった」  口の端から、飲みきれずに零れた唾液を人差し指でぬぐい、レオンハルトは先ほどと何ら変わらないすがすがしい表情で悪びれる様子もなく笑った。  男、しかも一回りほど年を取った相手に、ねっとりとしたキスを落としたとはとても思えない顔だ。 「かわ……かわいい? ぼく、が?」  言われ慣れていない単語に、ビーシュは目を白黒させる。  小さい頃ですら、かわいいなんて言われたことはない。大きくなってからは、むしろむさ苦しいとさえ言われていた。 「うん。かわいいよ」  嬉しがって良いのか、怒って良いのか。  あまりの恥ずかしさに耐えきれず、今すぐ消えてなくなりたい衝動に駆られるも、しっかりと抱きすくめられていては身動きすらままならない。 「ビーシュは、嫌だったかな?」  抵抗できないのを良いことに、レオンハルトは白衣の襟をめくって顔を埋めてきた。首筋の、柔らかい皮膚を思いっきり吸われ、ビーシュは目が眩むほどの快感を覚え、声を漏らした。 「嫌じゃなさそうだね」 「駄目だよ、レオンくん。駄目だよ」  嫌なわけがない。  相手を選ぶ余裕がないほど、体は男に飢えている。なけなしの矜持で、理性的なふりをしているだけに過ぎない。 「駄目なの? どうして? ここが、職場だからかな? それとも、僕だから?」  ビーシュはぎゅっと目を閉じて、首を横に振った。  どれも違う。  どれも、ビーシュにとっては、なんら問題ではない。  職場でしたことなんて、幾度もある。  レオンハルトには特別な好意を抱いている。嫌いな相手ではない。  駄目なのは、自分だ。  この目に抱かれたら、きっと年甲斐もなくおぼれてしまうだろう。  遊びとして割り切れるかどうか、わからない。悲しい思いをするとわかっていて手を出せるほど、もう若くない。 「……おかね」  ようやっとの体で絞り出した声に、レオンハルトは首をかしげた。 「お金が欲しいの?」  違う。ビーシュは首を振る。 「ぼく、いまはお金をもってないから。駄目」  レオンハルトはまぶたを瞬いて、初めて驚いた顔を見せた。 「いらないよ」  ビーシュは「それじゃあ、駄目」と首を振る。下肢を快感に腫らしている状態で、何を言っているのだろうと自分でも思うが、すぐには譲れない。 「お金を間に挟まないと、ビーシュは安心できないの?」  こくん、と頷く。  熟れた体のすぼまりをじりじりと刺激している太ももの動きにびくびくと震えながら、ビーシュは熱くくぐもった吐息を零す。 「怖いのかな?」 「んっ……ふぁっ」  こくこくと、小刻みに頷き返す。  与えられる快感から逃げようとつま先立ちになるが、すぐに追いかけてきた足に強くこすられ、さらに強い刺激を覚えたビーシュは、背中を大きくのけぞらせ、喘いだ。 「す、好きに、なっちゃうからっ……んっ」  サファイアブルーの瞳に覗き込まれながら、深く舌を埋められる。  体の奥に入ってくる他人の暖かさに、どうしても抵抗できない。心ではなく、体が無条件で受け入れてしまっていた。 「好きになってくれても、いいんだよ」  ちゅく、ちゅくと子供をあやすように優しく唇を啄むレオンハルトに、ビーシュは目尻からぽろりと涙をこぼした。 「ビーシュがお金をはさむことで安心するというなら、受け取っても良いけれど。できれば、このまま繋がりたいな」  明らかな意思をもって動く足に、ビーシュは堅く膨らんでゆく股間に痛みを覚えていた。  くるしい。  はやく、欲しい。  飢える体の欲求をなんとか押しとどめ、ビーシュはレオンハルトを見上げた。 「どうして、レオンくん」  エヴァンのように夜遊びに興じているようには、とても思えない。  勝手な偏見かもしれないが、性衝動には無縁そうな、一種、潔癖さを感じるところもある。  どうして、自分なのだろう。  本気であろうと遊びであろうと、もっとふさわしい相手は別にいるだろうに。 「どうしてだろうね。ビーシュと出会ってからずっと、忘れられないんだ。毎晩、夢で君を抱いているくらいには」  何を言えば、良いのだろう。  ビーシュはがくりと、膝からくずおれる。レオンハルトが支えていなかったら、床にひっくり返っていただろう。 「男性とするのは……じつのところ、初めてなんだけど。上手くやるから、ね?」  力尽くでそばにあったベッドに寝かされ、ビーシュは大きく喘いだ。  逃げる間もなくすぐに覆い被さってきたレオンハルトが、「ビーシュはどうなの?」と耳元に唇を寄せて囁いた。  ビーシュはぞくぞくと背中に走る快感をやり過ごそうと、ぎゅっと、目をつぶった。 「ぼくは、初めてじゃないから」 「そう? なら、大丈夫かな?」  面白そうに笑ったレオンハルトに、ビーシュは顔を赤くした。  恥ずかしい。  恥ずかしくて、死んでしまいそうだ。  何を言っているのだろう。  もう、なにがしたいのかどうすればいいのか、さっぱりわからない。 「い、いや、そうじゃなくて」  白衣を脱がされ、シャツのボタンをひとつひとつ外されてゆく。  レオンハルトの指は、軍人にしてはあまりごつくなく、長くて綺麗だ。剣を振るうよりも、楽器を叩いている方がよほど似合うだろう。 「僕と寝るのは嫌かい?」  嫌だと言えば、レオンハルトはあっさりと離れてゆくだろう。  本心を言うならば、このまま抱いて欲しい。体はもう、レオンハルトの雄を想像して出来上がっていた。  とはいえ、このまま進んではいけないと、なけなしの理性が迷わせていた。  レオンハルトは、エヴァンや夜の店にたむろする男たちとは違う。まして、貴族だ。  詳しくはわからないが、オスカーという名には聞き覚えがある。名のある貴族に違いない。  男遊びに興じて良い身分ではないだろう。 「嫌なの? ビーシュ」  シャツの隙間から差し込まれた手が、戸惑いなく胸をさすってくる。ビーシュが拒否できないのを知っているように、手の動きは大胆で、淫らだ。 「ひんっ、れお、く……んっ」  綺麗に切りそろえられている爪が、胸の粒をかりっとはじく。女の胸をまさぐるように薄い胸を愛撫される。  びくびくと震えながら浮き上がるビーシュの腰に、レオンハルトの目の色が濃くなる。 「嫌じゃ、ないんでしょ?」  ビーシュは目尻に溜まった涙をこぼし、こくこくと頷いた。 「やじゃない……けど、駄目だよ……ぉ」  年代物のベッドは、レオンハルトが動くたびにぎしぎしと悲鳴を上げて、ここが、いつもの職場であるのだと教えている。  相手は夜の街で買った男でも、宝石のために取引をした男でもない。  本来ならば会うこともなく、すれ違いすらしなかっただろう相手だ。  今ならば、なかったことにできる。  度の過ぎた悪戯として、片付けてしまえる。 「駄目じゃないって、ビーシュのここは言っているよ」  股間を服の上から撫でられ、嬌声があがる。 「んあっ、れおくん。ほんとに……する、の?」  膝を割られ、下履きを下着ごと取り払われてしまった。  男に組み拉かれ、全裸にされる背徳感に、ビーシュは頬を染めて感じていた。 「したいな」  ちゅく、っと唇が重なる。  触れるだけのキス。  離れる唇を追うように舌が伸び、レオンハルトが「ほら、したいんでしょう?」と笑う。 「お金でごまかす必要なんてないよ、ビーシュ。僕はきっと、君に夢中になってしまうからね」  ぎゅっと、力強く抱きしめられる。ふれあう下肢はすでに、二人とも堅く張り詰めていた。

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