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第12話
レオンハルトの休日は、いつまでなのだろう。
遠征から帰ってきた軍人は、長い休暇を取るのが一般的だが、レオンハルトはすぐに軍部へと戻ってしまった。
仕事熱心なのはいいが、人生の伴侶となる女性を放置したままなのはいただけない。
「姉さんも姉さんだ。自分の一生がかかっているだろうに、どうしてレオンさんに強く言わないのか。黙っていても、婚儀の話は進むとはいえ、だ」
寝所に入ってもなかなか寝付けないでいるのは、おもいどおりにまったく事が運んでいないからだろう。
いらだちに、ニルフの青い瞳は爛々と冴えていた。
窓辺にカウチを引っ張って月明かりのしたで本を読む気分でもなく、ニルフはランプを片手に、夜警のまねごとをすることにした。
屋敷には正規に雇った警備の者がいるので歩き回る必要などまったくないのだが、ふつふつとわき出てくる感情は、酒を煽ったところで消えるような気がしない。
「さっさと、結婚してしまえばいいのに」
うっかり声が大きくなって、ニルフは慌てて口をつぐんで周囲を見回した。
誰もいない。確認してから、ほっと息をついて足早に廊下を歩いて行く。
結婚式に着るべきドレスなら、もうすでに用意してある。
エリスが二十代半ばの頃、結婚を決めていた男がいた。
決めていた、といってもエリスがつれてきた男は移民出身の軍人で、見目も頭も良かったが、身分が障って下士官どまり。貴族の娘が選ぶには、まったくふさわしくない相手だった。
ニルフはいまだにあの男を認めてはいなかったが、破天荒な姉は、強引に両親を説き伏せ結婚を決めて純白のドレスを作った。
結局は、着ることなくエリスの結婚は流れた。
遠征先の戦場で、男は戦死した。
あっけない終わりだった。家族の反対を押し切り説得に奮闘したエリスも、さすがに運命の悪戯はどうにもできなかった。
「……まだ、忘れられないんですか?」
立ち止まり、ニルフはエリスの寝所の方へ顔を向けた。
規則正しく日々を送るエリスの部屋は、真っ暗だ。今頃は、安らかな寝息を立てているだろう。
男が死んでから、随分と経つ。
毎朝両目を泣きはらしていたエリスも、今は普通に笑うようになり、かつての男の話はかけらも口に出さなくなった。
いつもどおり。
ふだんと、同じ。
全身全霊で愛した男がいたなんて思えないほど、なにも変わらない。
両親はつよい娘だと褒め称えるが、ニルフには違って見えた。
いつもどおりに見えて、以前とは違い。
普段どおりにみえるが、エリスはいついかなる時も喪に服している。
「なにもかもが、心許ない」
試しに深く息をついてみるが、いらだちは消えるどころか余計にくすぶり、じりじりと胸を焼く。 幼い頃からエリスとレオンハルトを見てきたニルフは、肩を並べて話す二人の姿に焦がれていた。いわば、理想だった。
レオンハルトに言えば「夢をみすぎだよ」と一蹴されたが、ニルフのなかでは揺るがない。
このまま、誰の邪魔もはいらなければ二人は婚姻を交わすだろう。
愛があろうと、なかろうと。エリスが幸せになる道は、もうこれしかないのだ。
ニルフは自室を通り過ぎ、階段を降りた。
一階を警邏中の警備員に軽く挨拶をして、そのまま地下の宝物庫に向かう。
宝物庫といっても、今は物置になっている。
父が商談で扱うような貴重な品は、離れに作られた頑丈な保管庫にしまってあり、ニルフでは近づけても中に入ることはできない。
ベルトに結びつけていた鍵束を取り出して、年代物の錠を開ける。
ネズミよけのハーブの香りを浴びながら、ニルフは宝物庫の奥に向かった。
埃で汚れないようにと、布でくるまれてつるされている、エリスが着るはずのドレスだ。
ニルフは布をはぎ取り、ランプの明かりを照らす。
「これは、これは。なかなか良い意匠のドレスだ。君のお姉さんのものかな?」
気配もなく、声だけが唐突に響いて、ニルフは悲鳴を上げて振り返る。
警備の人間か? だとしたら、失礼な輩だ。ニルフはランプを目の位置にまで持ち上げ、声の主を探した。
物置同然とはいえ、宝物庫は私的な場所だ。それを許しもなく立ち入り、覗くなんてありえない。雇い主を馬鹿にしすぎている。
断固として、抗議してやらなければならない。
いらだちの大部分は、上手くいかない状況への八つ当たりではあったが、ニルフは適当に理由をつけて正当化させ、次期当主の威厳をだすべく視線を鋭くさせた。
「そう、警戒しないでくれ給え……と言ったところで無駄だろうね。危害を加えるつもりはないが、だからとて、怪しい人物であることには違いあるまい」
重々しい台詞だが、若々しい声音。
凜とした張りがあり、歌うような声は物騒な物言いなのに、劇場で物語を歌う俳優の美しさを感じさせた。
知らない声だ。
知っていたならばすぐに気がつく、そんな特徴のある声だった。
「欲深い男と思っていたが、アーカム氏も宝飾品を見る目はお有りらしい」
こつん、と靴音が響いた。
ここにいるぞと、わざと知らせている音。
わずかばかり悩んだが、ニルフは誘いに乗ることにした。とっくみあいは苦手だが、いざというときのために身構えると、軽快な笑い声がかけられた。
「聞いていなかったのかな? 乱暴を働くつもりはないよ。君が、じっとしていたらの話だけれどね」
「信じられないだけだ」
背後のドレスを守るようにして立つニルフは、ランプの乏しい明かりの中に、すっと入りこんできた人影に、こめかみを脂汗で湿らせた。
フードのついた深い臙脂色のコート。少しでも目を離せば、再び闇の中に消えてしまいそうな出で立ちの、おそらくは男。年齢は、顔をすべて覆い隠す仮面によって隠され、わからない。
明らかに、不審者だ。
物取りだろうか。
(警備の連中は、いったいなにをしているんだ)
ニルフはぎりぎりと唇を噛む。警備員ごっこではなく、本気で帯刀して出歩けば良かったと今更ながらに後悔する。
「こんな夜更けに、如何様ですか」
仮面の男がおどけて言う。ニルフは「こちらの台詞だ」と言い返し、一歩、詰め寄る。
「なに、夜更けにふらふらと歩き回るあなた様を見つけまして、せっかくなのでご挨拶をしておかねばと思い立ちまして。このまま、姿を消すのも面白くないかと」
「挨拶?」
いぶかしむニルフは、男が指さし出してきた革張りの箱を見て、ランプを手から滑り落としそうになる。
「こちらの品は、我らが手にするはずだったもの。お返し願いますよ」
男は馬鹿丁寧にお辞儀をし、マントを翻し闇に消えた。
「まて、かえせ!」
すぐさま追いかけるが、血相を変えて階段を駆け上がってきたニルフに驚く警備員がいるだけで、仮面の男の形跡はまったく、どこにもない。
「どうしたんだ、ニルフ。こんな夜更けに騒いで」
「父さん、ティアラが。ねえさんのティアラが、盗み出されました!」
しんと寝静まったアーカム邸が、ニルフの一言でにわかに騒がしくなった。
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