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第29話

 外見は廃墟にしかみえなかった建物は、もとは美術館ではなく劇場だったようだ。  かつては歌手が華々しく歌っていた舞台には黒服の男が立っていて、綺麗に飾られた少年を競りにかけている。  エーギルの案内した部屋は、人身売買が公然と繰り広げられている競売場が見渡せる、二階のボックス席の一つだった。  新調されたのか、真新しいベルベットのソファにビーシュはエヴァンと並んで座り、向かいにエーギルが腰をかけた。  背後には、サティとレスティが立つ。  エーギルの背後にも、屈強な体つきをした男が二人立っていた。  逃げられぬまま、取引の壇上に引っ張られてきたが、今すぐにでも逃げ出したい気持ちは相変わらずで、ビーシュはそわそわと視線を泳がせていた。  きっちりと身なりを整えていようと、場違いであるのには変わりはなく、ちらちらと向けられるエーギルの視線も不快だ。  高額で競り落とされてゆく少年たちに投げ付けられる歓声も、耳障りだった。  エヴァンに頼めば、あの傲慢な取引を終わらせることができるだろうか。  どうしても、一階席を覗き込んでしまうビーシュは、背後から回される腕にのけぞった。  シャツを引っ張り出し、隙間から入り込んでくるエヴァンの手に、ビーシュは眉をひそめて睨んだ。 「同情しているのかね、ビーシュ。あの子らを哀れに思うのはやめたまえ、不毛だ。競り落とされずにここを出ても、行き場など何処にもない。野垂れ死ぬのが良いか、可愛がられるのが良いか二つに一つの人生だ」  エーギルが部下に命じ、カーテンの向こうから大きな鞄を持った黒服が出てくる。 「君も、同じようなものだったのではないか?」  耳元に吹き込まれる声に、ビーシュのできる抵抗は、涙を流さずにじっと、エヴァンと対峙することだった。  肯定も否定もできない。  けれど、折れはしないとエヴァンを見やる。  今までと違う何かを感じ取ったのか、エヴァンは背中を撫でていた手を止め、やれやれ、と肩をすくめてエーギルに向き直った。 「これが、私どもが所有しているメルビス作の宝飾品です」  柔らかい布が敷かれた硝子製の机に、星が墜ちたかのような煌めきが広がる。  エーギルの太い指で並べられてゆく宝飾品は、全部で五つ。美しいカッティングで光をうちに閉じ込めた宝石に、金、銀の細工が美しい代物だ。  首飾り、腕輪、髪留めに耳飾り。  なかでも、エーギルは銀細工の土台にはめ込まれた指輪をつまんだ。 「ご覧ください。珍しいでしょう?」  机に並べられた宝飾品を厳しい表情で眺めるエヴァンの気を惹こうとしてか、エーギルは声を少し高くした。 「指輪か。メルビスの作品に指輪があったとは、初耳だ」 「そうでしょうとも。ご紹介するのは、ロナード様が初です。どうぞ、お手元でご覧ください」  エヴァンは、手渡された指輪を慣れた手つきで鑑定する。 「なるほど、メルビスらしい意匠だ」  評価を聞いて、エーギルの顔がにんまりと緩んだ。 「ときに、バロウズ君。君は帝都にいつまで滞在を予定しているのかね。急な呼び出しだったから、ほかに重要な商談でも入ったのかな?」 「ええ……実は、明日、明後日には帝都を離れようかと思っておりまして」  肉厚の瞼から覗く目が、ぎらっと光る。 「ならば、返答を急がねばならないな。この指輪を見てくれないか?」  返事をするまもなく指輪を目の前に突き出され、ビーシュはおそるおそる手を出した。  掌に乗る指輪は細身で、女性用に作られたものだろう。小指になら無理矢理押し込めばはめられそうではあるが。  華やかで丸みを帯びた雰囲気は、とてもかわいらしく、素敵だ。  ……だが。 「同じです。宿で見せていただいたものと。指輪だけではなく、ほかのものも。あぁ、でも……この指輪は、とても良い。偽物よりも、ずっと、ずっと素敵だなぁ」  エーギルが、怪訝そうな表情を作る。  ビーシュを、エヴァンの愛人と思っていたのだろう。  すっかり眼中になかったビーシュの発言にエーギルは驚き、敵意をむき出しにしてくる。 「同じとは、いったい?」 「バロウズ君、この指輪はともかく。俺はここに並べられている宝飾品を見たことがあってね」  ソファに背中を預け、ゆったりと座るエヴァンにエーギルは目を見開いて顔色を青くさせた。 「どうしてか。思い当たる節はあるのではないかな?」  がた、っと。椅子の脚を鳴らして立ちあがったのはエーギルだった。背後に控えていた黒服たちが、腰を低くして身構える。 「裏競売場には、ときに盗品も舞台にあがることもあるそうだが……盗品の複製品を売りつけるのは、さすがに前代未聞なのではないかな? なんて、強欲な男なのだろうね」 「ま、まさかそのような」  じりじりと後退するエーギルと入れ替わるようにして前に出てくる黒服に、エヴァンは少しも動じず、逃げ腰になるビーシュの肩を抱いたまま笑った。 「まったくもって、してやられた。父が健在であったならば、なんて言われていただろうか。輸送中の宝飾品を盗まれたあげくに、贋作を喜んで買い上げたなんて、恥にもほどがある」  立ちあがったエヴァンは、硝子の机を蹴り上げた。  派手な音がして宝飾品が散らばり、一階の客たちが何事かと視線を向けてくる。 「泳がせておかないで、最初っからさくっとやっておけば良かったんですよ。ロナード様も、趣味が悪い」  エヴァンをかばうよう、レスティとサティが前に出る。 「愛する作品を、汚されたのです。あまつさえ、ご自身をも侮辱された。本物を取り返すだけで、ことはすまされません」  一回り、二回りも体格の大きい黒服たちに全く臆せず、立ちはだかる二人の手には刃物がある。  身体検査とは名ばかりで、競売場の警備員は武器の所有をわざと見逃していたようだ。 「盗品の出店は黙認されるが、偽物は大いに問題だ。裏競売場のルールを破ればどうなるか、わかっていたのかね?」  いつの間にか、ボックス席の四方に男が立っていた。エーギルの部下と同じような格好をしているが、おそらくは裏競売場の関係者だろう。エヴァンとエーギルをにらむ目が鋭い。 「に、偽物とは言いがかりも甚だしい。私の扱う品は、どれも本物だ! どこのものともしれない男の言い分を、信じられるものか!」 「彼は、ビーシュ・スフォンフィールはメルビスの孫だ。この場にいる誰よりも、本物か偽物かを選別できる目があり資格がある。おいで、ビーシュ」  差し出される手に、ビーシュは迷いながらも手を取った。不穏な雰囲気の漂う空気の中で、どう立ち回れば最善なのかわからない。  にらみ合う時間が長くなるほど、嫌な予感がまして行くようだ。 「偽物は、メルビスの宝飾品だけではないのではないかね? この俺の目を、ごまかせるほどの贋作師。商売に利用しないわけがない」  動向を静観していた裏競売場の職員たちの視線が険しくなる。  エヴァンの言い分が真実ならば、裏競売場としても、ますます黙ってはいられない。違法な取引の場であろうと、面子というものがある。  偽物を競売に出していたとなれば信用問題になるうえ、この裏競売場を利用している人間はそんじょそこらの道楽人ではない。  制裁は、正規の罰よりもずっと重いものになるだろう。 「バロウズ様、お話をお聞かせ願えますか?」  掛かる声に、エーギルの表情が変わった。 「そう簡単に、捕まってたまるかよ。予定していた儲けよりはだいぶ少ないが、しかたねぇ」  青ざめていた肌は逆に気色ばみ、猫なで声は消えて威圧的なものになる。 「ずらかるぞ、てめぇら! めぼしいお宝を持ち出すのは忘れんなよ」  劇場を飾るシャンデリアが揺れた。  鼓膜が破れそうなほどの破裂音とともに硝子が割れ、きらきらと乱反射しながら一階客席へと落下してゆく。 「なんてことを!」  響く悲鳴に、ビーシュはエーギルの手を振り払って手すりから身を乗り出した。  振ってきたガラス片で怪我をして泣き叫ぶ声と、客に混じり、暴れる機会を待っていたエーギルの部下たちが、入り乱れるようにして暴れている。 「男娼風情で、余計なまねをしてくれたな! メルビスの孫がどうかはしらねぇが、おまえのせいでおじゃんになった分、たっぷりと払ってもらうぞ」  骨が折れそうなほどに強い力で掴まれ、引きずり倒される。エーギルだった。 「ロナード様。愛しの先生が連れて行かれちゃいそうですよ」  カーテンの裏から飛び出してくる手下をサティと共にいなしながら、レスティが視線を投げてくる。薄暗い室内の中で、黒曜石の瞳が好戦的に輝いていた。 「レスティ、おまえの主は誰だ?」 「もちろん、ロナード様ですよ」  エヴァン自身もナイフを片手に、五十代とは思えない身のこなしで黒服を退けている。圧倒的に人数の上では不利であるのに、余裕の表情は少しも崩れない。 「なんてひどい男だ。あんたはどうやら、用済みらしいな。まあ、落ち込むなよ。俺がたっぷりと使ってやる」  黒服たちを盾にしながら、エーギルはビーシュを引きずり、後退してゆく。  逃げられないかと暴れてみるも、争いごとに縁がなさ過ぎて易々と動きを封じられてしまっては、どうにもできない。無駄に体力を消耗するだけだった。 (あぁ、どうしよう)  助けを求めようにも、エヴァンの名を呼ぶのは嫌だった。  つまらない意地を、エヴァンは笑うだろうか。 「エーギルさん、あなたは商人なんですか?」 「ビーシュっていったか。きいただろう、隣でよぉ」  長い袖でわかりにくいが、エーギルもたくさんの死地をくぐり抜けてきた戦士の体をしていた。 「エヴァン・ロナードの言ったとおりだ。街道を走る馬車を襲撃し、手に入れたお宝を複製して売りつける。小汚い商売だが、おもしろいほど金が入ってくるって寸法だ」  力尽くで立たされ、ロープの代わりに引き下ろされた背広で後ろ手に拘束される。エヴァンは助ける気があるのかないのか、視線すらビーシュに向けてこない。 「欲をだしすぎちまったな。最初の取引で上手い思いをしすぎてこのざまか。オリヴァー、お前がこいつを担げ。戦いが下手でも、遊ばせやしないからな」  そばに控えていた男に命じ駆けだしたエーギルは、行く手を塞ぐ裏競売場の職員をナイフ一本で蹴散らしてゆく。 「どうして、偽物とわかるようにつくられていたんだろう。あんなに、良い腕をしているのに」  あっという間に裏口にたどり着き、休む間もなく、廃墟に向かって、ビーシュをつれたエーギル一味は駆け出した。  けが人への対応に追われているのか、競売場に残るエーギルの手下に苦戦させられているのか。追っ手は見える範囲の中にはいない。   逃げ切れると確信したエーギルが、高笑いを上げている。  見捨てられたのか。  ビーシュは堅い男の肩の上で、廃墟の中に埋もれてゆく競売場を見ていた。

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