「いったい、なにがあったんだ？」 「まるで、戦場にいるようです」 　あまりの惨状に驚いてエフレムが口から落とした煙草を拾い、手渡しながらレオンハルトは血の臭いに満ちた廃墟に顔をしかめた。 　視界に広がるのは、いびつな光景だった。 　様々な身なりの、しかしほとんどがそれなりの地位を感じさせる男女が、怒りと痛みを訴えている。 「やあ、そこをいく君。ずいぶんと物騒な事態になっているな」 　砂に汚れた煙草を携帯灰皿に突っ込んで、エフレムはそばを通りかかった医師らしき男をつかまえた。 　めだつからと、軍服を脱いで普段着でいたのがよかったようだ。医師はレオンハルトとエフレムを野次馬か手伝いかのどちらかと思ったか、素直に足を止めてくれた。 「物騒な区画だが、今回ばかりは驚いたね」 　疲れた顔で、医師はぼやいた。散々たる光景ではあるが、幸運にも死者や重傷者いないようだ。 「呼ばれて来ただけだから、詳しくはわからないが、どうやらたちの悪い盗賊が裏競売場に紛れ込んでいたようでね」 　患者から解放され、ほっとひと息をついた医師はエフレムに右手を差し出した。 「不健康な医者だ」エフレムは茶化しながら、懐から銀色のシガレットケースを取り出し、新しい煙草を一本、医師に渡した。 「エヴァン・ロナードをしっているか？　もしくは、エーギル・バロウズを探しているんだが」 「名前だけはね。どうやら、騒ぎの発端がその二人がつかっていたボックス席からのようだ」 　裏競売場の職員と違い、秘密厳守ではない医師は、質の良い煙草をふかし、満足そうに息を吐いて再び歩き出した。 　レオンハルトはエフレムと目配せし、医師の後ろをついて歩く。 「人を探しています。ビーシュ・スフォンフィールという……その、眼鏡をかけた、かわいらしい人なのですが？」 「はぁ？　いや、それだけじゃあどうにも見当がつかないね」 　煙草をくわえたまま、医師は乱れた髪をがりがりと掻きむしった。いちおう、頭の中で心当たりを探ってくれているようだが、手がかりにはなりそうになかった。 「かわいいって、おまえなぁ。一回り年上の男をつかまえて、さすがに可愛いはないだろう」 「でも、可愛いでしょう？」 　エフレムは「はいはい」と気のない返事をして、負傷者へ視線を向けた。ビーシュを探してくれているのかもしれない。レオンハルトは医師に「エヴァン・ロナードはどちらに？」と尋ねる。 「さてね。俺は見ていないよ。もっぱら、一階にいたけが人の手当に走り回っている。この中にいるかもしれないし、いないのかもしれない。ボックス席を使うぐらいのお偉いさんだと、裏競売場の職員が相手をしているかもしれないね」 　つまりは、わからないという返答だ。 　医師は「煙草をありがとう」と言い残し、助けを待つ患者の元へと戻っていった。 「ここの関係者にツテがないわけじゃあない。とりあえず、中に入ってみるか」 「ええ、外で手当を受けている人たちの中に、ビーシュはいないでしょう」 　ざっと怪我人を見渡し、レオンハルトは競売場へつま先を向けた。 「わかるのか？　随分と目が良いな」 「いえ、そうでもないですよ。書物を読むときは、眼鏡を掛けますし」 　振り返るエフレムに、レオンハルトは口の端を持ち上げた。 「でも。いたら、わかりますよ」 　断言すると、エフレムはあきれ顔で煙草噛んで「ついてこい」と背中を向けて歩き出した。 「人のことをとやかく言える立場じゃないが、ビーシュも男運の悪い奴だよなぁ」 　ふぅ、と紫煙を吐き出して、エフレムはずんずんと競売場に踏み込んでゆく。 　貴族としての立場か、軍人としての立場か。ツテがあるというエフレムの言葉は冗談ではなく、本当だった。 　刃物による傷を受けた職員たちは、エフレムの顔を見るだけで、止めようとはせず、放置している。 「大佐、いったい何者なんですか？」 　聞かずにはいられなかった。携帯灰皿に煙草をつっこんで火を消し、エフレムは迷うそぶりもなく階段を上ってゆく。 「何者でも良いだろう？　利用できそうなところは、遠慮せずに使うといい」 　二階に上がったとたん、駆け寄ってきた男にエフレムは金貨を握らせ、レオンハルトにも聞こえない小声でやりとりをした後に「あの部屋だ」と、とある一室にレオンハルトを案内した。 「エヴァンとエーギルはこの部屋で取引をしたようだ」 　血の跡が生々しく残っている扉を開けると、朴念仁となじられるレオンハルトでもさすがに表情を曇らせた。 「相当、争ったようですね。しかも、ビーシュはここにいた」 　ベルベット生地が無残に裂けたソファの側、かがみ込んだレオンハルトが拾い上げたのは、サファイアの義眼だ。 　エフレムは床に散らばる戦闘の痕跡をたどるよう歩き、カーテンを開け放つ。 「もう一つの出入り口、ってわけだ」 　新しくたばこを取り出し、火をつける。　 「争いの現場に居合わせた警備員の生き残りがした話によると、取引の品でもめた両者は刃傷沙汰にもつれこんだらしい。原則、裏競売場は武器の携帯は禁止されている。目的はわからないが、競売場もなにかしら噛んでいるようだが……まあ、驚くようなもんでもない。そもそもが、まっとうな場所じゃあないからな」 「ビーシュは、どこに？」 　外の怪我人の群れの中に、ビーシュはいない。 　エーギルかエヴァンか、どちらかと一緒に行動をしている可能性が高いと考えていいだろう。とはいえ、そのどちらも行方はわからないが。 「この際だ、運命の赤い糸を信じてみてもいいかもしれないな」 「ずいぶんと、投げやりですね」 　拾った宝石義眼を胸ポケットに放り込み、立ちあがったレオンハルトはエフレムの隣に立つ。 「適当な男と思われるのは心外だな。ロマンチストって言ってくれ」 「嫌いではありませんよ。ビーシュと見えない糸でつながっている、そう考えると不安もなくなります」 　下り階段が続く先、分厚い絨毯に残る大勢の足跡を追うよう、レオンハルトは駆け下りてゆく。 　背広で拘束されたまま、ビーシュは堅いマットレスが敷かれただけのベッドの上に座らされていた。 　窓に板が打ち付けられている寝室は、隔離するにはもってこいの閉鎖空間だろう。唯一の出入り口であるドアをふさがれると、もう、どうにもならない。両手が自由であっても、ビーシュには脱出できない。　　 　どうしようと溜息をつき、ビーシュは部屋の隅でうずくまる影に顔を向けた。 「ごめんね、巻き込んでしまったみたいで」 「言わないでください、情けなくなるだけです」 　縄で縛られ、床に座っているのは、ニルフ・アーカム。レオンハルトの義弟になるはずだった青年だ。 　ビーシュが寝室に放り込まれてすぐ、外で争う声がして、ニルフが放り込まれてきた。 　エーギル一味の隠れ家付近をうろついていたところを見つかり、捕らえられたらしい。 「あの男、エーギルに不用意に近づいた俺がいけなかったんです。まさか、盗賊のたぐいだったとは。父さんも、見る目がなさ過ぎる」 　悔しがるニルフを煽るように、扉の向こうからエーギルの笑い声が響いてくる。 　漏れ聞こえてくる会話から察するに、ニルフを人質にして、帝都からの脱出の算段を考えているようだ。 「安心して、って言うわけではないけれど。ぼくはともかく、ニルフくんは彼らに逆らいさえしなれば、とりあえず殺されることはないよ」 「あなたは、だまって体を差し出している限りは安泰……ですか？」 　辛辣な返しに、ビーシュは面食らって「ごめんね」と苦笑した。率直な青年のかんに障る発言だったようだ。 「このまま、連れて行かれてしまうんだろうか」 　おとなしくしてさえいれば、危害は加えられないのはたしかだが、ぐずぐずしていれば取り返しのつかない場所に連れて行かれるかもしれない。 （……れおくん） 　ポケットにいれたはずの義眼は、争いのなかで落としてしまったようだ。心のよりどころがそばにないと、不安に負けそうになる。 「会いたいよ、れおくん」 　知らず言葉にでた思いに、ニルフは複雑に顔をゆがめたものの、なにも言わずに扉を睨んでいた。