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第38話

「ええっと、夕飯の買い物と洗濯と掃除とメシか……。」 相葉を見送り、初日からサボるわけにもいかず、メモを頼りに慣れない家事を始める。 しかし、苦手意識が強すぎるせいかどうも出来る気がしない。 まともに作れるおかずなんてまったく思い浮かばず、最後に作ったのは高校の調理実習だっただろうか? しかも1人で作ったわけではなく、同じグループの女子が仕切ってくれたおかげで、野菜と食器を洗うくらいのことしかしてなかった気がする。 ――俺がメシ作るとか、超無理だし……。 何度もため息をつきながらとりあえずスーパーに向かったが、何を買えばいいのか分からずに店内をうろつくこと15分。 見てれば何か食いたくなるだろうと適当に手に取ってはみたが、自分で作るということがハードルを上げてしまい、何もかごに入れることが出来ない。 それから2周店内を回ったところで、惣菜をかごに入れては見たが…… 相葉の顔が頭に浮かび、大人しく棚に戻す。 ため息をつきながら空っぽのかごを片手にさらに10分程うろついたところで、ようやく覚悟を決めた。 焼くだけで済むだろうと鮭の切り身を、味噌汁の具に豆腐とネギとわかめを選び、副菜を作るのは早々に諦め、サラダ用のレタスとトマトときゅうりをかごに入れてみる。 何が安いのか高いのかも分からず、どうやって選ぶのが正しいのかも分からず、他の買い物客のかごを見ても何を作るのか見当もつかない。 自分の歯ブラシもついでに買ってスーパーを出ると、家から5分の距離にあるのにも関わらず、出掛けてから1時間以上経過していた。 「やばい、やばい。時間ないじゃん!」 思った以上に時間を使ってしまい、小走りで家に帰って、メモ通りに洗濯を始める。 つもりだったが、洗濯機の使い方がまず分からない。 近くに説明書もなく、とりあえずスタートボタンを押せば始まる気がするが…… 洗剤の種類が多くてどれを使えばいいのか。 ――まあ、多めに入れときゃ問題ねえよな? とりあえず洗濯物の入ったかごを逆さまにして洗濯機の中にぶち込み、粉洗剤を山盛り3杯程入れてスタートボタンを押すと…… ぐるぐると洗濯物が回り始めた。 「おお!俺にも出来るじゃん。」 それを見届けてから次は掃除だ。 これは俺でも出来るだろうと掃除機を片手に適当にかけていると、スマホがぶるぶる鳴り始めた。 ディスプレイを覗くと、相葉からのメール。 件名に「業務連絡」と記載されていて、恐る恐るメールを開く。 「言い忘れたが、惣菜や冷凍ものは禁止。」 それだけ書かれていて、買わなくてよかったと心底ほっとしていると…… よそ見をしていたせいでガツンと思い切り本棚に掃除機があたり、中に綺麗に陳列されていた本が雪崩のように落ちてくる。 「あわわわわ……!!」 それを拾い上げていると、分厚い本の隙間に薄いアルバムが1冊だけあるのに気が付いた。 なんとなくページを捲ると、中学時代の写真が並んでいる。 「あ!砂羽だ。」 今よりも大分幼い砂羽を見つけて相好を崩すと、その隣にちんまい俺が照れたような顔で立っている。 10年以上も前の写真を懐かしく思いながら捲っていくと、相葉自身が載っていないことに気が付いた。 「あれ……?」 砂羽に見惚れて見過ごしたかと見返してみても、やはりそこに相葉の姿はない。 ――何のためにこんな写真持ってんだろ……? 若干疑問に感じながらも、バレないように本棚に戻す。 本棚には小難しいタイトルが並んでいて、小説や趣味などの類は一切ない。 エロ本の一冊くらいあるだろうと探ってみたが、それ系の本も一冊もない。 ――あいつ、大丈夫か……? 別の意味で心配になりながら、大人しく掃除を再開する。 2部屋だけだからそんなに時間がかかることもなく、アルバムを見ていた時間を含めても15分程で済んでしまった。 「なんだ……楽勝じゃん?」 少しだけ気持ちに余裕ができ、鼻歌を交えながら米をといでいると…… 浴室で軽やかな音楽が流れる。 何事かと見に行くと、洗濯機が止まっていた。 恐る恐る扉を開けると、脱水まで仕上がっているのを見てほっと息をつく。 しかし、広げてみると…… なぜか、ところどころに固まった白い粉が付着している。 「え?なんで……?」 まぁいいか……と汚れを軽く払い落とし、ハンガーにかけていく。 それを終えると、途中になっていた調理に戻った。 米をがしがしと力強くといで、汚れた水を流していくと……米粒まで一緒に排水溝に流れていく。 「あー……。」 最初に比べて大分少なくなった米を見て、排水溝に溜まった大量の米粒を見る。 しかし、全て見なかったことにして3のラインまで水を入れて炊飯器にセットし、スタートボタンを押す。 相葉が帰ってくるまで残り1時間弱。 なんだかんだ時間通りに進んでいることに満足しながら、味噌汁の具材を切っていく。 包丁を握ったのなんて小学生以来かもしれないが、たっぷり時間をかければなんとかそれらしいものに仕上がる。 ついでにサラダ用のトマトときゅうりを刻んでいると、サボさんが仕込みをしている時のことを思い出した。 サボさんの真似をして音楽を流しながら作業していると、憂鬱な時間も少しだけ気が紛れる。 鍋に湯を沸かし、味噌を溶かし入れ、ネギとわかめをぶち込む。 割といい匂いがリビングにたちこめたところで、鮭を焼くのを忘れていたことを思い出した。 フライパンに油を引いて、鮭を転がす。 どこまで焼けば火が通るのか分からず、フライ返しでちょこちょこ弄りながら様子を見ていると…… 突然鍋が噴きこぼれた。 とりあえず鍋をどかしてみると、見事な黒い焦げが出来ている。 「これは、まずいよな……。」 バレないように布巾で一生懸命磨いていると、焦げ臭い匂いが鼻についた。 慌てて鮭をひっくり返すと、見事な黒焦げ。 食べれるのか食べれないのか微妙だったが、元々食い物なら食えないことはないはず……。 そう自分に何度も言い聞かせて、黒焦げが下に隠れるよう皿にのせる。 噴きこぼれて水位が減った味噌汁も椀によそい、手でちぎったレタスの上にトマトときゅうりをのせようと冷蔵庫を開けると…… 豆腐を入れ忘れてたことに気が付いた。 仕方なく豆腐は冷ややっこ用に切り分けていると、炊飯器が鳴る。 期待を込めてジャーを開けると、ほかほかの湯気の中になぜかお粥が出来上がっていた。 「まあ、お粥なら食えるもんな……うん。」 何度もそう頷きながら、どろどろのおかゆをお玉で茶碗によそっていると…… 玄関が開く音が聞こえてきた。 「あ!おかえり。」 「ああ。」 キッチンから顔を出すと、相葉が微妙な顔をしながら部屋に入ってきた。 「これ、何の匂いだ……?」 「え?」 「なんか、焦がした?」 「あはは。でも、食えないわけではないと思う。」 俺の言葉にため息を返し、テーブルに並べられたものを見て愕然としている。 「あ、相葉?」 「……。」 「怒ってる?」 テーブルにずらりと並んだ失敗作の数々に、相葉の顔がいつも以上に強張っている。 最初から出来ないとは言ったが、ここまでだとは思わなかったのか…… 引き攣った顔で俺を睨む。 「お前も食えよ。」 「え?あー……うん。」 相葉と向かい合わせに座ってから、いつも通り手を合わせる。 「いただきます。」 「……いただきます。」 相葉は茶碗を手に取り、まず匂いを嗅いでから箸で掴もうとしたが、柔らかすぎるそれは箸からするりとこぼれ落ちる。 「……粥にしたのか?」 「なんか、米洗ってたら流れちゃって……。」 俺がそう言い訳すると、相葉は無言で粥を口にする。 無反応で粥を咀嚼し、味噌汁に口をつけて固まった。 「大堀……これ出汁は?」 「だしって何?」 意味が分からず質問を返すと、相葉は再びため息をつく。 「……なんでもない。明日は味噌汁のレシピ見ながら作れよ。」 落胆の色を隠さず、しかし黙々と箸をすすめる相葉の顔色を見て、最初から気になっていたことを口にする。 「なあ……美味い?」 「くそまずい。」 はっきりとそう口にしたのに、箸を止める気はないようだ。 「そこまで言わなくてもいのに……。」 少ししょんぼりしながら、俺も粥を口にする。 病気の時以外にこんな柔らかいものを食いたいと思うわけはなく、なんかもそもそしていて普通のお粥とも違う気がする。 首を傾げながら味わっていると、相葉がぽつりと口にした。 「鮭、焦げてる。」 「え?」 目ざとく裏返されたせいで、黒焦げがばっちりバレてしまった。 「へへ……ちょっとこんがり焼きすぎちゃったな。」 「サラダと冷ややっこは……一応、食えるな。」 「それは自信作だし!」 相葉の言葉に威張りながら味噌汁を啜ると、あまりのしょっぱさにサラダをかきこむ。 「うっわ、しょっぱ!ってゆーか、味がない?」 しょっぱいのに味に深みがないというか、味噌汁くらいなら作れると思ったのに、かなり衝撃的な出来栄えだった。 鮭も焦げた匂いが気になって、味がよく分からない。 相葉の言う通り、サラダと冷ややっこ以外は口にする食べ物とは思えずに、俺の箸はほとんど進まない。 「なあ、捨てる?」 恐る恐る尋ねると、相葉は黙々と平らげながらも首を振る。 「いい。」 「でも、くそまずいだろ?」 「ああ。」 深く頷きながらしょっぱいのに味がしない味噌汁を無言で啜る。 自分で作っておきながら、こんなものを人に食わせていいとは到底思えない。 こんなことなら多少怒られてでも、冷凍とか惣菜とかの方がよっぽど美味いものが出せた気がする。 「明日はもうちょいましなもん作れ。」 「えー……明日も作んの?相葉の方が上手いんだろ?なら相葉が……。」 そこまで言ったところで、机に先ほどの領収書をすっと出される。 「9万2456円。」 「……分かったよ。でも、冷凍とか惣菜の方が美味いんじゃね?よっぽどましなもん出せると思うんだけど……。」 「お前が上達すればいいだけだろ?」 「……。」 その本人が上達する見込みがないと言っているのに、こんなくそまずいものを出されてまで、手料理にこだわる相葉の心情が分からない。 「洗濯と掃除は出来たのか?」 「え?ああ。なんか白い粉ついちゃったけど……。」 「白い粉?お前、洗剤どれくらい入れたんだ?」 「えーっと、3杯くらいだけど……。」 俺の言葉に顔を引き攣らせ、そのままベランダを見て、ため息をつく。 「洗濯のマニュアルも書いてやるから、明日からきっちりその通りやれ。」 なんかひどく疲れた様子の相葉が席に着き、空になった食器を流しに運ぶ。 「俺、何もやんないほうがよくね?」 俺がやればやっただけ相葉の手間が増える気がしてそう提案すると、相葉がテーブルに先ほどの領収書を置く。 「9万2456円。」 「分かったつーの!やればいいんだろ?やれば!明日は美味いもの作ってやるから!!」 お粥をかきこみ、味噌汁で流し込みながらサラダと冷ややっこで口直しをしつつ、今までで最悪の夕食を終えた。

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