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第37話

心地よい眠りからゆっくりと目を開けると、目と鼻の先に相葉がいた。 「んー……え、ぎゃあっ!!」 悲鳴をあげながら後ずさると、口を大きな手のひらで覆われる。 「うるせえ!隣から苦情くんだろーが。」 「な、なんで?」 「なんでって、ここは俺の家。また寝ぼけてんのか?」 そう言われて、昨日相葉に連れ込まれたことを思い出した。 「あー……。」 ――そういえば……透さん、あのラブホに1人で泊まったのかな? そんなことを考えながら布団に包まると、その布団を問答無用で剥ぎ取られる。 「いつまで寝る気だよ。」 「……今、何時?」 「9時3分。」 「なんだ。まだ早いじゃん……。」 今日はバイトもないしゆっくりしようと思ってごろんと横になると、相葉が俺を見下ろしながらため息をつく。 「今日の予定は?」 「バイト休みだし、特にないけど……?」 「なら、さっさと顔洗って来い。」 「えー?まだ眠いんだけど。」 俺が寝転がりながら相葉を見上げると、いつもよりも身長差があるせいか…… 目つきがいつも以上に鋭く見える。 無言で腕を組んだまま見下ろされ、その視線に耐える心臓を持ち合わせていない俺は、すごすごと大人しくベッドを出た。 「分かったよ。洗えばいいんだろ?洗えば!」 顔色を窺うのが怖いから、1人でぶーぶ―言いながら洗面所へと向かう。 ばしゃばしゃと顔を洗って、タオルを探して手を彷徨わせていると、相葉がタオルを手渡してくれた。 それを軽く会釈しながら受け取り、手ぐしで髪を整えていると、鏡越しに相葉と視線が合う。 ――すげえ、気まずい。 早くしろと無言で圧をかけてくる相葉の横で、俺はせっせと着替えを始める。 「で、どこ行くの?」 そんなに急いでるってことは何か予定があるのかと思って聞いてみると、相葉は俺の着替えをじっと見つめながら尋ねてきた。 「腹は?」 「少し、すいてる……かも?」 前に相葉は朝飯はコーヒーだけと言っていたから図々しいかと思ったが、特に気にした様子もない。 「じゃ、先に飯か。好き嫌いは?」 「ピーマン……苦手。」 俺がおずおずとそう言うと、鼻で軽く笑われる。 「……なんだよ?」 「別に。ガキっぽいなんて思ってねえから。」 「それ、絶対思ってんじゃん!」 「朝からぎゃあぎゃあうるせえな……。」 喧嘩を売っておきながら軽く流され、頭をぽんぽんとおざなりに撫でられた。 まるで幼い子供を宥めるようなその手つきにイラつきながらも、相葉に急かされるまま地下へと向かう。 この前のハーレーに乗れると思い、うきうきしながら付いていくと、バイク置き場を通り過ぎてしまう。 「え、ハーレーは?」 「荷物増えるから今日は車。」 「お前……車も持ってんの?」 ハーレーも高そうだったのに、車まで持ってるとは…… 同じ大学生とは益々思えない。 「別に、俺の金じゃないし。」 「またパパ?いや、むしろママ?」 「どっちでもいいだろ?」 なんだか不機嫌そうな相葉に促され、黒色のスバル車に乗り込む。 車には詳しくないが、しっかりと手入れされているボディは美しく、シートも真新しく思える。 ――やっぱ、高そう……。 俺がバイトをいくら頑張ったところで、卒業するまでに買えるような代物ではない。 自分ちの車以外に乗ったことがないせいか新鮮で、助手席に座っているだけで気分が上がる。 シートに深く腰をかけながらシートベルトを締めると、滑らかなハンドルさばきでゆっくりと動きだす。 親父の車が古いため、物珍しいスイッチがたくさんあるコクピットをじろじろ覗いていると、鼻で笑われて大人しく座りなおした。 「今日って、他にどっか行くの?」 「しばらく家にいるんだろ?」 「え?」 一日だけ泊まるつもりだったから、相葉の言葉に頭を傾げる。 「帰るのか?」 「いや、うーん……帰りたくはないけど。」 でも正直、相葉の家に長居するのも落ち着かないし……と思いながら相葉を見つめると、ちらりと俺を見てからすぐに前を向いてしまう。 「じゃあ、服とかいろいろ必要だろ?」 「……うーん。」 相葉の言葉に頷きながらも、あんま金もないのに洋服代や生活雑貨に費やすのは勿体なく思える。 どこを走っているのか分からないまま窓を眺めていると、30分程で目的の場所である新宿に到着した。 馴染みの新宿ではあっても、こんなメイン通りを歩くことはほとんどない。 伊勢丹の地下に車を止め、ここからは徒歩でということで相葉と並んで街を歩く。 午前中ということもあり、リーマンやOLっぽい人が多くいて、俺たちみたいな学生らしき姿はほとんどない。 いつも裏通りばかり歩いているせいか、こういうメイン通りを歩くだけでなんだか気後れしてしまう。 相葉に連れられて訪れたのは、高島屋の地下にあるこじんまりとしたベーカリーショップだった。 美味そうなパンの香りを思い切り吸い込むと、それだけで幸せな気持ちになる。 こんがりといい焼き色のパンはもちろん、ジャムやオリーブオイルまでずらりと並んでいる。 どれにしようかと店内をうろうろしていると、相葉も後ろから黙ってついてくる。 「相葉も食うの?」 「いや、いらない。」 相葉は否定したが、俺の背中をずっと変わらずについてくる。 邪魔ではないが、若干鬱陶しい。 そう思いながらもメロンパンとサンドイッチを片手にレジに向かい、会計をしようとしたところで相葉が隣から金を出してきた。 「え……奢ってくれんの?」 「どうせ金欠なんだろ。」 最近金遣いも大分ましにはなったが、給料日前でそんなに余裕はない。 1000円を超すリッチな朝食を相葉が支払い、2人カウンター席に並ぶと…… 早速でっかいパンに齧りついた。 「うっま!!」 レタスとハムが挟んであるごくごく普通のパンでありながら、もっちりとしていて小麦の香りがしっかりと残っている。 間髪入れずにカップケーキのような見た目のメロンパンに齧りつくと、もっちりふんわりと優しい味が口いっぱいに広がっていく。 俺ががつがつ食っている横で、相葉は大して美味そうもない薄いコーヒーを啜っている。 「ここでよかったのか?」 「なんで?」 「だって、煙草も吸えないし……。」 煙草も吸えそうにないし、コーヒーを味わうならもっと適した店がありそうなものだが……。 そう思って相葉を見ていると、俺に向かって手を伸ばしてきた。 「がっつきすぎ。」 唇を掠める指の感触に相葉を見ると、指先にパンの欠片がくっついている。 「……ガキじゃないから。」 言われる前にそう言うと、目元を細めるだけで笑われる。 同い年なのにこうも妙な色気を醸し出されると、ガキ扱いされても仕方がないようにも思えてくる。 ――俺がガキなんじゃなくて、こいつが落ち着きすぎてるんだ。 相葉に見つめられながら無言の食事を終え、腹も膨れたところで先ほど車を止めた伊勢丹に戻る。 「で、次は?」 「ここ。」 「ここ?」 相葉の背中を追って伊勢丹のメンズ館に入ると、俺が買うような服とは0がひとつ違う服がずらりと並んでいる。 「相葉、ここは無理……桁が違う。」 まったく場違いなシックな雰囲気にたじろぎながら、相葉の裾を掴んで出ようと促しても、相葉はまったく聞く耳を持たない。 俺の財布事情なんてまったく考慮しない相葉にため息をつきながらも、無言の相葉に俺も俯きがちに背中を追う。 広々としたスペースに行儀よく並んだ洋服を横目で見つめていると、相葉がすっと店内に入っていく。 その背中を追って店内に入ると、上品な店員が俺たちを笑顔で迎え入れてくれた。 隙のないスーツ姿の店員に気圧され、俺は相葉の背中を追うだけで洋服を手にすることすら出来ない。 いつもはもっとごたごたしたところで買い物をしているせいか、こうも静かで落ち着いたところは性に合わない。 俺にシャツを合わせながら、スーパーで買い物するような素早い手つきで洋服を選んでいく相葉を静かに追う。 俺の趣味などまったく気にしない様子で、値札も見ることなくぱぱっと手にとる相葉を見つめながら大きなため息をついた。 「じゃあ、これで。」 「は?」 この中から選ぶんだろうと勝手に思っていたが、相葉は両手にシャツやズボンなどを抱えたままレジに向かう。 「ありがとうございます。9万2456円でございます。」 軽く眩暈を覚えるような途方もない金額に何度も瞬きを繰り返していると、相葉がさっさとカードを取り出す。 「……買ってくれんの?」 まさかそこまで払わすのもと思いながらも、俺の今月の給料よりも高い金額に払うとは到底言えない。 しかもカードすら持ち合わせてない俺には、払う手段すらないのだから……。 「必要だから。」 一括で支払うという相葉の言葉にさらに驚き、店員からきっちりと頭を下げて見送られて、ようやく一息つけたのは車のシートについてからだった。 ――なんか、疲れた……。 特に何をしたわけでもないのに、妙な緊張感のせいかどっと疲れて額から汗まで流れる。 「なんか、悪いな。こんなに買ってもらって……。」 後部座席にどんと居座る紙袋の山を見つめて、申し訳ないやら嬉しいやら…… 複雑な気分で相葉を見る。 「これ。」 「……何、これ?」 相葉に手渡された紙を受け取ると、そこには何やらぎっしりと書き込まれている。 「週間スケジュール。」 「スケジュール?」 「無料で泊めるなんて言ってねえし。」 「そりゃそうだけど……。俺、メシも洗濯も出来ねえよ?」 家事やメシの支度まで事細かに書かれているそのメモを見つめながら相葉を見ると、ちらりと俺を見つめてから淡々と話す。 「俺は出来る出来ないの話はしてない。やれって言ってる。」 「……。」 「今日は午後から出るから、帰るまでにちゃんとやっておけよ。やらなかったら罰ゲームな。」 「……まじかよ。」 せっかくバイトも休みでゆっくり出来ると思ったのに、相葉の家で家事をしないといけないなんて……。 やったこともない家事業に憂鬱な気持ちに浸りながら、シートに深々と身体を預ける。 「これ。」 「何、これ?」 「領収書。9万2456円分きっちり肉体労働で返してもらうから。」 「うげ。」 思いっきり顔をしかめる俺を横目で楽しそうに見つめる相葉を見つつ、頭の中で思いっきり文句を並べながら家へと向かった。

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