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第36話

大きな背中にしがみついているのはなぜか安心して、酒のせいで火照った頬を気持ちのいい風が撫でていく。 砂羽とのことを考えていると頭痛がしてきて、今は何も考えたくない。 相葉の背中に耳をつけると、ゆっくりとしたリズムの心音が聞こえてきて目を閉じた。 何も考えたくないときは、目と耳を閉じているのが一番楽だ。 ――このまま何も考えず、何も感じず、時が止まってくれたらいいのに……。 少し先の未来を想像すると、そこは真っ暗な闇が待っている。 そんなことには気が付いていて、むしろ最初から分かっていたことなのに…… 降りることが許されない片道切符を片手に、俺はもう乗り込んでしまっている。 どんなに降ろしてほしいと叫んだって、どんなに泣いたって、状況は少しも変わらない。 頼りになる大人のアドバイスなんて聞けるわけもなく、俺はただその時が来るのを静かに待つしかない。 ――俺、やっぱすっげえ馬鹿かも……。 サボさんに馬鹿だ馬鹿だと散々罵られてきたけれど、今日ほど自分のことを馬鹿だと認識した日は他にない。 ため息をつく俺を乗せて、既に見慣れたマンションに辿り着いた。 「なあ……なんであそこに来たんだよ?」 部屋に着くなりその質問をすると、相葉はちらりと俺を見下ろしてぽつりと話す。 「あいつに呼ばれた。」 「あいつって……もしかしなくても、透さん?」 応援を呼ぶって言ってたから、てっきりサボさんだとばかり思っていたのに…… その相手は相葉だったのか? 「え、でも……なんで?」 そういえば相葉と透さんの関係は結局聞けずじまいで、2人の繋がりが見当たらない。 俺のその問いには答えずに、相葉が俺のシャツをいきなりぺろっと捲った。 「え、急に……何?」 意味が分からず慌ててシャツを直すと、俺を見下ろしながら独り言のように呟いた。 「ベルト、外れてる。」 「え?」 その言葉に慌てて見下ろすと、そういえば透さんに外されたままだったと思い出し、急いでバックルにはめ直した。 探るような鋭い目つきで見つめていた相葉が、俺の首筋に顔を埋める。 「ちょ、やめろって!」 首筋にかかる吐息がくすぐったくて胸を押すと、相葉は呆気ないほど簡単に俺から離れる。 意味が分からず相葉を見上げると、鼻を指で押さえながら睨まれた。 「……臭え。」 「は?失礼じゃね?」 人の匂いを嗅いでおいて臭いって、それはあんまりだろうと相葉を睨むと、髪をかきあげながら脱衣所を顎で指した。 「香水臭いから、さっさと風呂。」 「え?香水なんてつけて……。」 そう言おうと思ったところで、透さんの匂いを思い出した。 自分で襟首をつかんで鼻につけると、ほのかに甘いシベットの香り。 そんなにきつい香水ではないが、なんだかんだくっついていたせいで、ジャスミン系のオリエンタルな匂いが俺にもうつってしまったようだ。 そのことに気が付いて顔を上げると、相葉が冷たい眼で俺を見下ろし、再び顎で浴室を指す。 その無言の圧力に逆らえるわけもなく、俺は言われた通り浴室に向かった。 もう勝手知ったるその場所で、さっさと服を脱いで浴室に入り、シャワーを頭から浴びていると…… なぜか背後で扉が開いた。 「な、何?」 慌てながら振り返ると、先ほどと同じ格好の相葉が腕を組んで突っ立っている。 俺のことを上から下まで品定めするような目つきで確認してから、驚きすぎて固まっていた俺の手からスポンジを奪い取る。 「洗ってやる。」 「は?いいって!自分で洗えるし……。」 俺の意見は軽くスルーして、シャンプーを手の平に取ると…… 慣れた手つきで俺の髪を丁寧に洗い上げていく。 「前に酒飲んで風呂入ってぶっ倒れた奴が何言ってんだよ。また気絶して迷惑かける気か?」 「この前ほど飲んでねえから平気だし……。」 俺がぶつくさ文句を言っていると、肩を掴んで無理やり椅子に座らされた。 ドライヤーをかけてくれた時にも思ったけれど、相葉の指先は手慣れているせいかとても気持ちがよくて、なんだか眠くなってしまう。 彼女にでもやってあげてるんだろうかと想像していると、急に熱いシャワーが降ってきた。 「あっつ!」 俺のでかいリアクションに相葉は口端だけで軽く笑うと、今度は俺に向かって手を伸ばしてきた。 「腕、出せ。」 「え?」 言われるがまま右腕を差し出すと、俺の手首を優しく握って、上腕から指先に向けてスポンジが優しく撫でていく。 指の狭間をなぞる感触に思わず背中がびくりと跳ねても、相葉は無反応で隅々まで丹念に洗い上げる。 ――なんだ、コレ……? まったく理解できない相葉の行動に、俺の頭には?がたくさん浮かんでいる。 中学時代は殴られることはなかったものの、ひどい言葉を告げられることはあっても、こんなに大切に扱われた経験はない。 最初は相葉の指先を見つめていたが、俺の身体を優しく触れる手つきに徐々に顔が茹だっていく。 やらしいことはされていないのに、一方的に奉仕されるような経験は今まで一度もなく、どんな顔をしていいのか分からない。 指先はなるべく見ないように視線を散らすと、相葉のシャツが濡れて張り付き、うっすらと透けているのに気が付いた。 透けたシャツから綺麗に割れた腹筋がうっすら見えているのはやらしく思えて、もうどこを見ていいのかも分からない。 「ぬ、濡れない?」 「ああ。そうだな。」 濡れるから出てけと言いたかったのに、相葉は何を勘違いしたのかその場でシャツを脱ぎ去ってしまった。 先ほどうっすら透けていたものがはっきりと輪郭を表し、濡れているせいで妙に色っぽい。 「ぬ、脱げ……とか、言ってない。」 俺が慌てて訂正をいれても、相葉はズボンと一緒にパンツまで脱いでしまい、俺はおろおろと狼狽えながら自分の背中を丸くした。 自分と同じモノなはずなのに、それがあまりにも強烈なサイズのせいか…… 違う生き物のように思える。 ――今まで見た中で、やっぱ一番でけえかも……。 反応する前からこのサイズとなると、勃起時は一体どうなってしまうんだろうと想像して、さらに顔が火照る。 パンツ越しにちらりと見たことはあったが、目の当たりにするとあまりのインパクトに、視線が分かりやすく泳いでしまう。 「なに照れてんだよ。男の裸なんて見慣れてんだろ?」 「……シャワーが熱いんだよ。」 全て湯気のせいにしてそっぽを向くと、右腕を洗い終えた相葉が左腕、首筋へと流れるように移っていく。 鎖骨の窪みを抉るように撫でられて、背中にぞわりと鳥肌がたつ。 くすぐったさとは異なる甘い疼きが背中に響き、さらに腰の奥へと呼応していく。 ――やばい、まずい……。 頭の中でいくら数式を並べても、視線を逸らしても、頭が熱で侵されて集中できない。 焦りが快感に直結し、快感が脳を痺れさせる。 目をぎゅっと瞑って奥歯を噛んでいると、脇腹を撫でるように滑らせていたスポンジが、熱の中心を捉えた。 「勃ってる。」 分かりきったことをはっきりと指摘され、羞恥で赤くなった頬を相葉の指がそっと撫でる。 「んな、べたべた触る……から。」 「触ってねえよ。綺麗に洗ってやってんだろ?」 「あ、ん……んんっ!」 その言葉の通り敏感な先や裏側までスポンジで泡だらけにされ、ガチガチに張った俺の割れ目からはだらしなく愛液がこぼれ落ちる。 それを指で掬って丸く剥けた割れ目に沿うように擦り付けて、硬度の増したソレを今度は手で軽く扱かれた。 「ひっ!」 びくびくと反応するソレを楽しそうに手の平で遊びながら、今度はぬるりと光る胸の突起を舐められる。 大きくしなる腰を相葉の腕に抱かれ、背中を撫でる指先がじれったくて仕方ない。 するなら早くしてくれと濡れた瞳で促しても、相葉は俺を見つめながら軽く笑うだけ。 「……感じてんじゃん。」 ぬるぬると滑る突起を何度も撫でられ、首筋や腰は触るのに、肝心の場所にはなかなか触れてはくれない。 「そこばっか、ヤだ……。」 「じゃあ、どこ触って欲しい?」 「……。」 俺が無言で相葉の指を自分の尻に導くと、何度か尻の狭間を撫でてから…… 内股に指を移動していく。 ――絶対、わざとだ。 そのまま太ももをゆっくり撫でて、足の指先まで丹念に触れると、再び熱めのシャワーを上から乱暴にかけられた。 「お、終わり……?」 「全部洗ってやっただろ?」 「……。」 ――これ、どーすんだよ……。 先ほどの刺激でビンビンになってるソレを隠しながら睨むと、相葉はさっさと湯船に浸かってしまう。 「ほら。」 「な、なに……?」 「風呂、入るだろ?」 相葉に腕を取られ、一人用の狭いバスタブに男2人対面で肩まで浸かる。 「せ、狭くね?」 「こっち向けば平気だろ。」 腰に腕を回されて、相葉の膝の間に身体を沈められる。 背中に感じる相葉の胸板に、くっついていいのか分からずに少し身体を浮かせると、腹を掴まれて背中から抱きしめられた。 「うあ……っ。」 ――思いっきり、当たってるんですけど……。 少し離れようと身体を浮かせると、風邪を引くからと肩を押されて戻される。 相葉のモノは少しも反応しておらず、俺だけこんな気分になっているのが妙に悔しい。 「ってゆーか、なんであそこいたのかまだ教えてもらってないんだけど?」 「ああ、言ってないからな。」 「透さんと相葉って、ホントになんなの?セフレとか元カレじゃないんだろ?」 「……なんでいちいちそんなこと聞く?」 首筋にかかる吐息が妙に甘く聞こえて、刺々しい低音が別人のように思える。 「内緒にされると、気になるじゃん。」 俺のその答えが気に入らなかったのか、相葉は一息ついてから違う質問を俺にぶつけてきた。 「じゃあ、片岡とどうなった?」 「え?」 何を言われているのか分からずに振り返ると、意外なほど近い距離に相葉の顔があって 先ほどの光景を思い出してしまい急いで前を向く。 「これ、片岡だろ?」 そう言いながら、俺の胸元を指先で撫でる。 2日と空けずに砂羽としているせいか、紅い痕跡は消えるどころか日に日に増えていく。 薄いものから濃いものまでグラデーション豊かな俺の胸を見て、相葉は深いため息をつきながら俺の肩に顎をのせた。 「はは。何言って……。砂羽がそんなことするわけねえじゃん?」 「しつこそうな痕。執着な性格がバレバレだな?」 小馬鹿にするように笑われ、相葉の髪を掴んで視線を合わせる。 「うっさい!砂羽の悪口言うな!」 「やっぱ、片岡じゃん。」 俺の肩から顎をどけると、いきなり立ち上がったせいで俺のバランスが大きく崩れる。 「……俺のことはいいんだよ。全然連絡してこなかったくせに、なんで急に来たんだよ?」 頭からシャワーを軽く浴びている相葉の背筋を見つめながら、浴槽の壁に肘をついて質問をぶつけると…… 濡れた髪をかきあげながら相葉が見下ろす。 「片岡にバレてんなら、別にうちに来る必要もねえだろ?」 ――砂羽へ脅す内容がなくなったから、もう俺に会う必要すらないってことか……。 なんだか、肩透かしをくらった気分。 結局こいつも、俺で遊んでただけってことか……。 「……そうかよ。」 相葉を無視して湯船を出ると、バスタオルで身体を拭うのもそこそこにリビングに向かう。 「何、怒ってんだよ?」 髪を拭きながら俺の後を追うようにリビングに現れた相葉が、眉間に縦線を刻みながらミネラルウォーターを口にする。 「……別に、怒ってねえし。」 「そんな口尖らせてよく言う。」 尖らせた唇を摘ままれ、その手を振りほどくと軽く笑われる。 ――馬鹿にしやがって……。 相葉の手からミネラルウォーターを奪い、ごくごくと飲んでやると…… 煙草を銜えた相葉が俺の胸にそっと触れる。 「片岡に泣かされてんじゃないかと思って……。」 「え?」 何を言っているのか分からず、無表情な相葉の心情は全く見えてこない。 ――心配……してくれたのだろうか? あの時急いでタクシーで駆けつけてくれた時と同じように、心配してきてくれたのだろうか? 言葉の先が気になって相葉をじっと見上げると、ふわりと笑いながら頬を両手で包まれた。 「その泣き顔、見てやろうと思った。」 「……。」 意地悪く微笑むその顔は、中学時代に俺にだけ見せていた顔と同じ。 やっぱり、相葉は相葉だ。 相葉の手を振りほどいて、がしがしと乱暴に髪を乾かしていると…… 「ほら。」 「え?」 相葉に腕を取られ、ソファに背中をつけて座らせられる。 何すんだと思いながら見上げると、相葉の手にはドライヤーが握られていた。 「……。」 「……。」 されるがまま相葉に髪を乾かされ、俺はこの前と同じように前を向く。 男臭さとは無縁のこの部屋は、しっかりと掃除が行き届いて、きちんと整理整頓されている。 もともと物が多くないせいか、スペースの問題のせいか、俺の部屋とは比べ物にならないほどきれいに見える。 「ここって、1人で住んでんの?」 「ああ。」 「実家は?」 「最寄りの駅から4駅先。」 「へえ、近いじゃん。1人暮らしなんてする必要ある?」 「1人の方が気が楽だから。」 口うるさい親がいない生活が気楽なのは分かる気がするけれど、この環境を維持する手間を考えたら…… どう考えたって実家暮らしの方が気楽な気がする。 母親が忙しなく家事をしている姿を想像しても、それが相葉には重ならない。 「寂しくねえの?」 「あ?」 意味が分からないと言った雰囲気の相葉の声のトーンに、なぜか自分が恥ずかしくなる。 「……なんでもない。」 こんなところで毎日1人で起きて、寝て……を繰り返す。 その生活が俺には少しもピンと来ない。 1人で過ごす時間も嫌いではないけれど、少し時間があけばすぐにサボカフェやら盛り場に顔を出す俺には想像できない。 1週間好きな人に会えないというだけで…… 俺はこんなにも寂しくて、泣きそうなくらい哀しくて、居た堪れない気持ちになるのに。 1人でいるのが怖いなんて、相葉には絶対伝わりっこない。 「考えたことねえな。」 「……飯とか掃除とか面倒じゃね?」 「そうでもない。」 「なんか、どこでも生きていけそうでいいなぁ……。」 「は?」 「俺には……無理そう。」 明日からしばらく砂羽と会えないと思うだけで気が滅入り、1日と間を置くことすらできずに誰かとの繋がりを求めようとしてしまう俺と相葉では、生きてるフィールドが明らかに違う。 1人で何にもできないと母親にも陽菜季にも散々小言を言われてきたが、本当に自分は甘ちゃんだと常々思う。 「俺も、1人が平気になれたらいいのに……。」 俺の独り言はドライヤーの音でかき消され、相葉の耳に届いているのかすら分からない。 髪を撫でる感触が気持ちよくて目を閉じると、瞼がどんどん重くなる。 「で、また寝るのかよ。」 呆れたような声が聞こえてきたが、相葉の太ももに頬をつけて体重を預けても、特に嫌がる素振りは見せない。 木に寄りかかって寝ているような……そんな安心感の中で、俺の意識は遠くなっていく。 「本当に危機感ねえな。このアホは……。」 誰かのそんな声が、夢の中で聞こえた気がした。

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