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第35話

「応援来ないね。」 透さんはのんびりとした口調でそんなことを言いながら、きょろきょろと辺りを見回している。 先ほどのことなど既になかったかのような態度で、ここに来たのもただの憂さ晴らしのつもりだったのだろうか? 知れば知るほど分からない人だと思いながら透さんを見上げると、綺麗に微笑まれて煙に巻かれる。 サボさんに連絡をしてからまだ10分も経っていないし、サボさんもこの時間は忙しいはず。 「サボさん仕事中でしょ?来るわけないですって……。」 俺がそう言っても透さんは聞く耳をもたず、スマホから視線を外そうとはしない。 でも、盛り場の店の前で突っ立ているのに、透さんの容姿はあまりにも目立ちすぎる。 「透さん……ここ目立つし、どっか移動しません?」 俺がそう提案すると、透さんがふわりと微笑んで軽く頷く。 「そうだね。なんか疲れたし、休憩していこっか?」 「休憩?」 「2人で飲みなおそ?」 「あ、はい。」 *** そう言われて連れてこられたのは、なぜか路地裏のラブホ街だった。 まさか休憩ってこういうことかと透さんを見ると、にっこり微笑まれてはぐらかされる。 こんなところに透さん1人を置き去りに出来るわけもなく、仕方なく隣を無言で歩く。 しばらく並んで歩いていると、黒と白が基調の見た目はマンションのようなつくりの建物に、透さんが吸い込まれるように入っていく。 「まじで、入るんすか?」 「休憩って言ったじゃん。」 どの部屋がいいかと聞かれたが特に希望もない俺に、透さんが適当にタッチパネルを押していく。 受付でカギを受け取ってエレベーターに乗り込むと、透さんはスマホを弄っていて俺の方を見る気もない。 「……俺、金ないですよ?」 「いい大人だから、未成年に払わせるような野暮なことはしないよ。」 「そのいい大人が未成年をラブホに連れ込むんすか?」 俺の問いには笑って濁し、手を引かれて部屋に入り込む。 最上階の部屋はいつも使っている部屋の倍以上広く、部屋の真ん中にはでかいベッドが鎮座している。 そのベッドからは派手なピンク色の浴槽が丸見えで、その趣味の悪さに妙な安心感を覚えた。 「なんか、久しぶりかも……。」 砂羽とセックスはしているが、ほとんど砂羽の部屋ばかりで、こういうあからさまな場所に来るのは久しぶりに思う。 おもちゃが並ぶ自販機をぼんやり覗いていると、透さんがローションを買って俺に手渡してきた。 「はい。お兄さまからのプレゼント。」 「あの……本当にする気じゃないっすよね?」 俺の質問にけらけら笑うと、冷蔵庫の中の缶ビールを2本取り出して俺に投げる。 それを大人しく受け取り軽く乾杯してから、高い割には大して美味くもないビールをちびちびと飲みはじめる。 「そういえば、透さんの家ってどこなんすか?」 「言わなかったっけ?俺、ホームレスなんだけど……。」 「え!?あれ、まじだったんすか?」 何かの冗談だとばかり思っていたのに、いつものように笑顔を向けた透さんがベッドに腰をかける。 「じゃあ……普段は?」 「店に泊まったり、まあ……いろいろね。」 少し言いにくそうに濁す言葉に、苦笑いを浮かべながら俺も透さんの隣に腰をかける。 「透さんなら泊めてくれる人、いっぱいいますもんね……。」 こういう時に行く場所に困る俺とは異なり、透さんは引く手あまた。 これから1週間、砂羽との関係はお休みだ。 そんな状態で砂羽と顔を合わせるのがなんとなく気まずくて、陽菜季と顔を合わせるのはさらに気まずくて 家にいるのに落ち着かない。 砂羽と付き合っているという話を聞いたはものの、砂羽が陽菜季に会いに家に遊びに来ることは俺が知る限り一度もない。 俺に気を遣って外で会ってるのかもという淡い期待もあるが、単なるおもちゃに対してそこまで気を遣うとも考えにくい。 むしろ、気を遣うべき相手は陽菜季の方で、俺がバイトの時にゆっくり楽しんでいると考えるだけで気が滅入る。 砂羽は意外なほどセックスに乗り気で、2日と空けずにこの関係が続いているのには俺も驚いている。 すぐに飽きられるんじゃないかと不安に感じていたが、ここまで積極的に誘われると、砂羽もその気があるんじゃないかと期待してしまいそうで怖い。 期待して裏切られて……を散々繰り返しているせいか 期待なんてしたくないと思ってしまう。 期待するのが怖くて、裏切られるのが怖くて、傷つくのが怖くて…… こんな臆病なままで、恋愛なんてできるわけがない。 何かから逃げるように盛り場に足を向けたものの、気が乗らないセックスはひどくつまらないものだと野村に抱かれて思い知った。 ここから逃げたいけれど、逃げる場所なんてどこにもない。 「なんか、やさぐれてない?」 ぼんやりとそんなことを考えていると、透さんに顔を覗き込まれた。 「いつも……こんなもんです。」 「ひゅうもいるでしょ?サボさんとか……。」 「あはは。それはないない!あの人はプライバシー立ち入られるの好きじゃない人だから、他人を家になんて絶対泊めませんよ。」 一応サボさんのマンションを知ってはいるが、部屋番号すら知らない。 なんだかんだと断られ、今まで一度も足を踏み入れたことのないその場所は、俺とサボさんの線引きのように思えた。 ここから入ってくるなと言われたら、踏み込むわけにもいかない。 「なんだかんだ他人だしな……」としみじみ思っていると、透さんが無言でビールをあおる。 「と、透さん?」 そのままごくごくとビールを飲み干し、唇を腕で拭う姿は男らしかったけれども…… さっきは顔色ひとつ変えることなく強めのカクテルを飲んでいたのに、今は誰が見ても真っ赤に染まっている。 「ごめん。なんでもない。」 「でも、顔赤いし……。なんか、変ですよ?」 透さんの顔を覗き込むと、頬はもちろん耳までほのかに赤らんでいる。 妙に色っぽい姿にその耳たぶを指先で触れると、手首を力強く掴まれた。 「あんま可愛くないこと言ってると、本当に喰っちゃうよ?」 「えっ?」 「ここに俺と2人だけだってこと、忘れてない?」 そう言いながらベッドに押し倒され、ベルトに手を掛けられる。 「いやいやいや、流石にないですって!俺のこと弟って言ってませんでした?」 「じゃあ、義理のってことで……ね?」 「ね?じゃないすよ。そんな可愛く言っても、透さん相手は無理っす!」 冴木さんに会わす顔がないと暴れる俺を細い腕で押さえつけながら、バックルを外しシャツを捲られる。 妙に手慣れたその手つきに、タチの方が好きだと言っていたことを思い出した。 俺のことを優しい目で見つめながら、髪に口づけされる。 砂羽につけられたキスマークだらけの胸元をそっと撫でると、綺麗な眉間に縦皺が出来た。 「砂羽くんと……やっぱ、続いてるの?」 静かに問われて視線をそらすと、上目遣いで乳首をちろりと舐められた。 「慰めてあげようか?」 「……え。」 いつかのように甘い顔と声でそう言うと、濡れた乳首にふっと息が吹きかけられて腰が揺れる。 「好きな人に遊びで抱かれるのって、きついだろ?」 辛そうな顔で覗き込まれ、首筋に感じる吐息に頭が混乱する。 「好きじゃない相手に抱かれれば、少しは気が紛れるんじゃない?」 ――本当に、楽になれるんだろうか? 砂羽以外の男に抱かれたら、砂羽とのこともどうでもよくなれるんだろうか……? ただ快楽だけを追っていたセックスとは違って、砂羽とするたびに怖くなる。 いつかいなくなっちゃう人の背中に手を伸ばして、好きだと告白する度に苦しくなる。 大好きで、大好きで、大好きで……何度も言わされた好きという言葉に、砂羽は笑顔を見せるだけ。 その笑顔を見ているだけで幸せだったはずなのに、話しかけられるだけで舞い上がっていたはずなのに、セックス出来たときは幸せの絶頂だと思えていたはずなのに。 それなのに、回数を重ねる度に不安が増し、誰にも奪われたくないという気持ちは日に日に強くなる。 「こんなこと続けていると、セックスが嫌いになっちゃうよ?」 透さんに哀し気な瞳で見つめられると、優しい声で宥められると、なんだか泣き出してしまいそうになる。 胸に閊えていたものが、一気に溢れてきてしまいそうで。 腕で顔を覆うと、手のひらに軽くキスを落とされる。 「甘えていいから。」 そんな言葉に唆されて、透さんに優しく抱きしめられた。 優しく背中を撫でる手つきに、おずおずと背中に手を伸ばす。 抱きしめられて安心するのは、なんだか久しぶりだ。 透さんの肩口を涙で湿らせながらぎゅうと手に力を込めると、透さんが俺を抱く力も強くなる。 髪を梳く感触が気持ちよくて目を閉じていると、急にチャイムが部屋に響いた。 ルームサービスかとも思ったが、そんなものを頼んだ覚えはない。 しつこく何度も何度もチャイムを押され、何事かと身体を起こす。 「だ、誰っすかね?」 「ああ、やっと来たのか。」 透さんは誰だか察しがついているのか、俺に向けて笑顔を見せると、ゆっくりとした足取りでドアに向かう。 その背中を静かに見守っていると…… 「いっ!」 透さんの短い悲鳴が聞こえてすぐ、そこには不機嫌そうな顔をした相葉が立っていた。 「あ……相葉?」 「いってぇ!出会い頭に頭突きって、流石にひどくない?ほら、赤くなってんだけど……。顔が商品なんだから、顔はやめてボディにしろよ。」 昔のドラマみたいなことを言いながら、相葉に続いて額を抑えながら透さんも部屋に戻ってきた。 うす暗くてよく見えないが、額はじんわりと赤みを帯びていて、少し腫れているようにも見える。 「と、透さん?大丈夫っすか?冷やしますか?」 透さんに近づいて額を確認しようと髪をかき上げると、相葉に腕を引かれて距離をとらされる。 「そいつと話す必要はない。」 「はあ?」 お前のせいだろうと相葉を睨み上げると、逆に睨み返されて腰が引ける。 俺と相葉で蛇と蛙の睨み合いを続けていると、透さんがぽつりと話し始めた。 「ひゅうがさ……今、行く場所ないんだって。」 「え?」 何を言い出すんだと透さんを見ると、相葉が鋭い目つきで俺を睨む。 その目にびくっと身震いし、心もとなくて透さんの腕をそっと掴む。 「透さん、何言ってるんすか?」 「今日も盛り場でふらふらしてたし、また変なのに捕まるの心配だし。」 「今まさしく変なのに捕まってる状況だろ?」 相葉の言葉に透さんは綺麗な笑顔だけ返すと、相葉の視線はさらに鋭くなる。 その視線を浴びても透さんは少しも怯む様子はなく、相葉に淡々と続けた。 「ああ、ひゅうには何もしてないから。」 「……当たり前だっつーの。」 「流石に穴兄弟は……ねぇ?」 そう言って相葉の肩をぽんと叩くと、相葉は嫌そうにその手を払いのける。 ――っていうか、穴兄弟ってなんだ……? 俺の視線に透さんが軽く笑い、相葉はすっと視線を逸らす。 話の展開についていけてないのはどうやら俺だけのようで…… 2人は仲がいいのかなんなのか、相変わらずよく分からない。 「だから、司の家に泊めてあげたら?」 「は?」 話の繋がりが見えずに透さんを見ると、透さんは手を合わせて申し訳なさそうに眉尻を下げる。 「俺は宿なしだから、ひゅうごめんね?司に慰めてもらって?」 「ごめんって、透さん……そんな笑顔で?」 泊まる場所はないけれども、相葉の家に泊まる気はさらさらない。 助け舟を求めて透さんにちらちら視線を送っても、先ほどの優しさは露ほども出さずに俺の背中を軽く押してきた。 「透さーん、俺を売るんすかー!?」 「おら、行くぞ。」 俺の声に透さんは可愛い笑顔だけ返し、手を振りながら見送られる。 相葉に強引に腕を引かれホテルを出ると、そのままラブホ街を突っ切っていく相葉の横顔を盗み見る。 「行くって……どこに?」 「俺んち以外にどっか行きたいとこでもあんのか?」 凄みを効かせて睨まれて、何も言えずに相葉の言葉に頷いた。

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