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第34話

陽菜季から砂羽と付き合ってるという告白を受けてからも、砂羽との身体の付き合いは変わらずに続いていた。 俺から誘うこともあったし、砂羽に誘われることもあって、気づけば週に4日は砂羽と会うようになっていて…… なんだか砂羽との関係を考えることすら億劫になってきた今日この頃。 付き合ってはいないけれど、砂羽と2人でメシや飲みに出かける回数は以前の比ではない程増えた。 付き合ってはいないけれど、砂羽に唆されて好きだと何度も言わされて、俺があんなに構えていた「好き」という告白すら、セックス中の甘い嬌声のひとつのように流されている。 俺の気持ちに気が付いてるんだか、気が付いてなんだか、気が付きたくもないんだか…… その疑問は解消されぬまま、俺たちの関係は既に1ヶ月続いている。 砂羽の両親が明日から1週間の夏休みを取るということで、自ずと俺と砂羽の関係もしばらくお休みの予定。 8月も半ばを過ぎ、笑える話もないからサボカフェに顔を出すのも躊躇われ、結局こんな場所で酒を飲んでいる俺は、自分でも何がしたいんだかよく分からなくなっていた。 告白せずに片思いを一生続ける覚悟をしていたのに、ひょんなことからこの関係に落ち着いたものの 俺の気持ちはないがしろにされたまま、今も宙に揺れている。 砂羽が俺のことをどう思っているのか気にはなるが、便利な性処理おもちゃくらいにしか思われていない気がして…… それをはっきりさせるのが怖くてずるずると続けていることが、今一番ダメなところな気がする。 砂羽が絶対に来ないとこなら落ち着けるかと思ってこの場所を選んだものの、流石に慣れた場所とは言え、盛り場をうろうろするべきではなかったかも……。 仲通りから少し外れたラブホ街のほど近く。 外から見ると薄汚れた灰色の建物だが、内装はそれなりに小奇麗なものになっている。 黒が基調の店内で、装飾はほとんどなく、薄暗い店内には人がひしめき合っていた。 雑居ビルの1階のこのフロアは、カウンターが12席とソファー席が6テーブル、そして簡易なショーステージがある。 普通のゲイバーとは異なり、ここは出会い専門。 入れ替わりが激しい店内では、囁くような声がそこかしこで聞こえている。 声を掛けられても乗り気はなく、ただ1人で酒を飲むならバ―みたいなとこで飲んだ方が正解だったかもしれない。 しかし、しっとりと飲むのに未成年が入れるような店は少なく、出入りの激しいこういう店の方が潜り込みやすい。 カウンターでちびちびと飲んでいると、以前見たことがあるような男に声を掛けられた。 「ひゅう、大丈夫?」 「え?」 名前すら思い出せない男を見上げると、にっこりと微笑みながら隣に座り込んだ。 人のいい笑顔を張り付けた優しそうな男に手を握られても、それを振り払うこともせずにグラスに口をつける。 「なんか、元気なくない?」 「んー……。」 「今日空いてるし、慰めてあげよっか?」 「んー……。」 「どっか行く?」 「んー……。」 うなじに回された手を男の方に引き寄せられ、抗うこともなく骨ばった肩に額をぶつける。 背中を撫でる大きな手の感触が心地よくて目を閉じると、急に肩を掴まれて顔を上げた。 「ごめんね?行けないんだ。」 ――なんで、こんなところに……? 俺の代わりに透さんは男にそう答えると、男の手を払いのけながら俺の腰に手を回す。 腰に回された手と透さんの顔を交互に見上げて、何度も瞬きを繰り返す。 透さんは仕事用の綺麗な笑顔をはりつけて、男をじっと見つめている。 サボカフェで見せるような自然な笑みではなく、線引きしたようなその瞳の冷たさに背中がひやりとする。 お手本のような笑顔で微笑まれ顔を火照らせる男を見ていると、興奮した男が俺のシャツを掴んできた。 「え、この美人だれ!?ひゅうの彼氏?」 「彼氏じゃない」と言葉にしようとしたところで、透さんに圧し掛かれるように背中から抱きしめられ、唇を長い指でそっとなぞられてぞくりと震える。 「あんまり気安く触らないでね?俺のだから。」 そう男に笑顔で言い切ると、俺の腕を掴んでさっさと奥の角の席に移動させられた。 透さんが視線を向けると、蜘蛛の子を散らしたように人が退いてくれる。 「俺、透さんのものになったつもりないっすけど……?」 席について飲み物を注文しなおしたところで俺がそう尋ねると、先ほどまで冷笑を浮かべていた透さんがちらりと俺を見る。 「んー……俺の弟的な?」 そう言っていつもの笑顔を見せる透さんに、少しほっとした。 さっき見た笑顔はあまりにも綺麗すぎて、逆に怖さを感じていたから。 「ってゆーか、こんなところで何してるんすか?」 「それはこっちのセリフ。サボカフェにも俺の店にも来ないし、何してんのかなーって気にしてたんだけど……。夏休みだからって、羽目外しに来ちゃった?」 そう問われて、どう話したらいいものかと苦笑いを浮かべる。 透さんもこんなとこにいては目立って仕方がないはずなのに、わざわざここにいることが不自然に思える。 歩いているだけで男が寄ってくるのに、わざわざここで漁る必要などないのだから。 俺が隣にいるのに、遠くを見つめるようにぼんやりとした表情を浮かべる透さんに、冴木さんのことを思い出す。 冴木さんに会ったことを言おうかとも思ったが、サボさんに話すなと言われたことを同時に思い出して、どう切り出していいのか戸惑いながら、透さんを見つめる。 「……透さんも、なんか元気なくないですか?」 「あはは。少し遊びたくて来たんだけど……。でも、やっぱ気乗りしないからやめちゃった。」 笑いながらそう話しているのに、なぜか泣いてしまいそうにも見える。 その哀しそうな横顔を見ていると、冴木さんのことを伝えたくて仕方なくなる。 ――冴木さんと会えば、こんな顔しなくてすむのかな……? もやもやする気持ちを払拭するように髪をかきながらグラスに口をつけると、ふと視線を感じて後ろを振り返る。 すると、俺のことを親の仇と言わんばかりに睨む視線に気が付いて、なんだか疲れが増して項垂れた。 「透さんのお陰で、めっちゃ睨まれてるんすけど……。」 「あはは。ごめんね?しつこいからちょっときついこと言っちゃったんだよね。」 そう言いながらマドラーで綺麗なカクテル掻き混ぜて、グラスにそっと口をつける。 確かに、華奢で綺麗で儚げに見えるその容姿は、きついことを言うようにはとても見えない。 何を言ったのか気になったものの、聞くのが怖いような気もする。 「助けるふりして、俺んとこに逃げて来たんすか?」 「俺の場合は1人でも逃げられるんだけど、ひゅうの顔が見えたから。」 そう言って少し笑いながら、俺の頭を優しく撫でる。 「一緒に出ます?」 俺がそう提案すると、透さんが大きく伸びをしながら周りの様子を伺う。 「でも、追いかけられるの面倒だよな。もういい歳だし、応援呼ぼうか?」 そんなことを言い出して、スマホで誰かに連絡しはじめた。 多分サボさんだろうけど、この時間はサボカフェも営業時間だから、流石にわざわざここまでは来ないだろう。 「そんなこと言ってると、本物のおっさんに怒られますよ?」 「ああ、サボさん?殴られると痛いもんね。」 そう片目を瞑りながら話す透さんに、まさかと思って透さんの肩を握る。 「え、透さんを殴ったんすか?」 「あはは。弱音はいたから。」 にこにこと笑いながらそう言うと、思い出したかのように目を細める。 大人がガキを叱るのとはまた違い、サボさんが透さんを殴るなんて…… 想像が出来ない。 「いい大人同士で何してるんすか……。」 「見た目は大人でも、心はいつまでも子供だからかな?」 「なーにピーターパンみたいなこと言ってんすか……。」 2人でそんな話をしていると、男が割って入ってきた。 「可愛い子2人でなに飲んでんの?」 「見たことがある?」「いや、ない。」透さんと視線だけの無言の会話をしていると、男が俺の隣に断りもなく腰をおとす。 「2人で楽しそうだね。俺も混ぜてよ?」 「……。」 「……。」 透さんの死んだ魚のような目を見て、言いたいことは俺でも分かった。 店でしつこい客をかわす大人の対応をする気はさらさらないようで、不機嫌さ丸出しで男を睨んでいる。 「透さん立ってるだけで目立つんですから、こういうとこ来ちゃまずいでしょ?」 「説教なんて聞きたくない。」 「ほら、行きますよ?」 耳を塞ぐ透さんを引っ張って立ち上がらせると、男も俺たちを追ってしつこくついてくる。 「え、まだいいじゃん。遊ぼうよ。」 「いやいや、お金ないんで帰ります。」 俺がそう言うと、男に肩を掴まれて動きを止められた。 「大丈夫、大丈夫。俺が払うし……ね?」 男に顔を覗き込まれ、ウイスキーの匂いが鼻につく。 こんなに至近距離で見つめられても、心は少しも動かない。 1人だったら流されていたかもしれないが、透さんをこんなつまらない男に渡してなるものかという謎の使命感にかられる。 冴木さんにあんなに愛されているんだから、安売りなんてしてほしくない。 酔っ払い相手は面倒くせえなぁ……と思いながら透さんを見ると、目が据わっていて身体からは怒気が満ちている。 俺の青痣を凝視していた時と同じ目で、なんか本当にいろいろ面倒くさくなってしまった。 「帰るっつてんだからそこどけよ。でかい図体で邪魔なんだけど?」 いつもより荒っぽい口調でそう言うと、俺たちよりも体格のいい男をじっと睨み上げる。 「あー……綺麗な顔して気が強いね?そーゆーの嫌いじゃないけど。」 透さんの口調に最初は面くらった様子だったが、苦笑いを浮かべながらも引く気はないようだ。 その男の好奇の目を、透さんは思い切り喧嘩腰に睨み返す。 こんなところで何を考えているんだと思いながらも、俺より10歳上の大人を宥めることに専念する。 「透さん、なに喧嘩売ってんすか?帰るんでしょ?」 「こいつが邪魔してくるだけ。」 引く気はないと男にまだまだ喧嘩を売ろうとする透さんの腕を無理やり掴んで、男の横を通り過ぎる。 「俺たち本当に行くんで……。」 「どうせ初めてじゃないくせに、なに勿体ぶってんの?」 嘲笑うような声でそう言うと、ぽんと肩を掴まれた。 「一緒に楽しもうよ。ここ濡らして、一緒に気持ちいいことしよ?」 笑いながら股間を揉まれ、拒んだ相手にそれはねえだろと俺が見上げると…… 透さんがテーブルに置いてあったグラスを男の股間めがけて思い切りぶっかけた。 「あー……。」 ――それは、まずいでしょ……透さん。 俺の小さな制止の声など透さんの耳には届いておらず、なんだかすっきりした顔の透さんに頭を抱えた。 「濡れたかったんだろ?」 冷めた目で静かにそう言うと、俺のことをさりげなく背中に庇う。 「て……っめ!何してんだ!?」 「何って遊んであげたんだけど?」 「ちょ、透さん?」 まだなにかする気なのかと焦りながら、酔っ払って理性もない相手と喧嘩をするなんて…… いつもの透さんらしくない。 間に入ろうと顔を出すと、男の手が伸びてきた。 殴られると思って、目を閉じると…… なぜか透さんが男の手を片手で捻りあげていた。 「……え?」 「素人相手に手は出さないことにしてるんだけど、これは不可抗力だから。」 綺麗な笑顔を男に向けて正当防衛だと高らかに宣言すると、逆の手で俺の手をそっと握ってきた。 その指はピアニストのようにほっそりとして美しく、男の腕をぎりぎり捻りあげるような無骨な手にはとても見えない。 「じゃあ、帰ろっか?」 けろっとした表情でそう言うと、2人仲良く手を繋いでその店を後にした。 「透さんって、本当に何者なんですか?」 「んー……秘密。」 色っぽい視線で微笑みながらも、最初に抱いていた透さんの儚い印象とは大分異なる。 華奢で弱々しい麗人のような見た目なのに、意外なことが多すぎてサボさんの『化け物』という言葉が妙にしっくりきた。

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