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第40話
息苦しさを覚えて目を開けると、目の前に綺麗な顔がぼんやりとある。
それが相葉だと認識するまでにしばらく時間がかかったのは、相葉の目がしっかりと閉じられていたから。
印象の強すぎる相葉の眼は、あくが強すぎる。
それだけが悪目立ちするほど印象深いせいか、他のパーツがいかに整っていようとそればかりが浮き出て見える。
その眼が閉じられているというだけで、こうも幼い印象になるのだろうか?
偉そうだし、口悪いし、平気で人のことを傷つけるのに、すやすやと眠っている無防備な姿を見ると……
俺と同じ年齢なんだと改めて思う。
シャープな頬のラインを指でなぞっていると、その眼が急に半分だけ開かれ、思わず手を引っ込めた。
「お、おはよ。」
至近距離で間抜けな挨拶をすると、相葉は目を半分開けたままじっとこちらを見つめている。
「起きたのか?」
寝ぼけているのか微妙な間を開けて、少し掠れた声でそう問われる。
相葉の手は昨夜と変わらずに俺を抱きしめていて、ぴったりと重ねられた肌は汗で少し湿っている。
「暑苦しかったし……。」
背中に回された手を目で指しながらそう言うと、眠そうな目を瞬きで無理やり開きながら、ぐっと腕に力を入れてきた。
「縄も手錠もここにはねえしな。」
「……。」
あったら当然使っているみたいな平然とした顔に、俺の顔が強張る。
「変な顔。」
俺の頬をむにっと摘まむと、おかしそうにふわりと笑う。
寝起きのせいか険のない表情に一瞬毒気を抜かれそうになりながら、先ほどの言葉を思い出して気を引き締める。
「……引いてんだよ。」
そんなもん持ち出したら、間違いなく犯罪だろうと思うのに……
相葉の言葉だと思うと妙にしっくりきてしまうのが怖い。
「あの、そろそろ……離れねぇ?」
「なんで?」
「なんでって……。」
もう逃げる気もないし、恋人同士でもないのに、こんなくっつく必要もないだろうと思ったのに……
相葉はさらに体重をかけてしがみついてくる。
「お前はサイズ的に、いい抱き枕になれる。」
「それ、全然嬉しくねえし。」
眠たそうな目がゆっくり閉じて、息遣いが頬をくすぐる。
「……相葉?」
しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきて、弛緩した脚と腕をゆっくりと外す。
よほど熟睡しているのか、昨晩は苦しいくらいに抱きしめられていた腕は力なくだれている。
「寝たのかよ……。」
頬にかかった髪を耳にかけても、相葉は少しも起きる様子はない。
まるで死んだように眠る相葉のことを見下ろしながら、答えるわけもない相葉に問いかける。
「面倒くさいって言ったくせに、意味分かんねえよ。」
自分の時間を邪魔されるのは面倒だとか邪魔だとか言ってるくせに、俺をここに置こうとした相葉の意図が理解できない。
「お前、俺のこと嫌ってたんじゃねえのか?」
中学時代は俺が泣くまで言葉の暴力を続けてきたくせに、俺の痛いとこついてすぐに怒らせるくせに、逃げようとするとだめだって言うし……相葉の考えはまるで分からない。
でも、俺のことを苦しいくらいに抱きしめた腕を思い出し、なんだか気が抜ける。
「お前も、寂しかったのか?」
寂しいなんて考えたことないって言ってたくせに、邪魔だとか面倒だとか言ってたくせに、無理やり腕に抱き込んで逃がさないように縛り付ける相葉のやり方は、まるで小さな子供のようにも思えた。
相葉にいつもされるようにさらさらのストレートヘアをくしゃりと掻き混ぜて、大きく伸びをする。
寝ている間中強く抱きしめられたせいか、強張っていた背中が少し痛んだ。
***
「お前、なにしてんだ?」
寝室から出てきた相葉が髪をがしがしと掻き混ぜながら、キッチンに立つ俺を珍しそうに見つめている。
「なにって、メシ作ってるに決まってんじゃん?」
「メシ?」
「ほら、座って座って。」
意味が分からないという相葉の腕を引っ張って、無理やり椅子に座らせると、先ほど出来上がったばかりのほかほかのご飯とネギだけの味噌汁をテーブルに並べる。
昨晩は散々なものしか作れなかったから、謝罪を込めて作った朝ごはんは、初心者にしては上出来のものに見えた。
「いただきます。」
「朝は食わないんだけど……。」
「いいから食えって!」
「……いただきます。」
俺につられて箸を持つと、相葉は目を閉じたまま味噌汁を啜る。
出汁なし味噌かなり多めの昨日の味噌汁に比べたら、今日は大成功と言えるはず。
出汁は市販のほんだしを活用したが、出汁の存在すら知らなかったこの俺が、一晩でここまで成長したんだと鼻高々に相葉を見守る。
しかし、相葉は予想よりも薄い印象で、無言でご飯を咀嚼している。
そんな姿にうずうずしながら、前のめりで相葉に感想を尋ねる。
「なあ、なあ、どう?」
「まずくはない。」
俺のことをちらりと上目遣いに見上げ、無言で味噌汁を啜る相葉に、人を褒めるという概念がそもそもないような気がしてがっかりした。
「……美味い言えよ。」
「そこまで言うほど美味くはない。」
「人がせっかく早起きして作ったのに……。」
「頼んでない。」
つれない反応に若干落ち込みながらも、ぱくりとご飯を咀嚼して、ゆっくり飲みこむ。
続いて味噌汁にも口をつけてみたが、母親が作るものよりも格落ちしていて、なんだか相葉の反応にも納得してしまった。
料亭並に美味いものを出した気でいたから、落胆のほうが大きい。
まずくはないが、美味くもない。
可もなく不可もない出来栄えに、一応すべて平らげてから俺もぽつりと感想を漏らす。
「うーん……まあまあか。」
「だろ?」
相葉の言葉に苦笑いを返し、今度は相葉から美味いを引き出せるものを作ろうと決意する。
昨日は質問が飛び火してしまい、リサーチをする前に喧嘩になってしまったから……
基本的な味の好みを把握するため質問をぶつけた。
「卵焼き甘いのとしょっぱいの、どっち好き?」
「しょっぱいの。」
「目玉焼きは固焼きと半熟、どっち好き?」
「固焼き。」
「魚と肉、どっち好き?」
「魚。」
いろいろと考えていた質問をぶつけてみたが、どれもこれも俺と相反する。
ここまで食の好みが違うとなると、同じものに美味いという日など到底訪れない気がしてきた。
「やっぱ、気が合わねえな……。」
首を傾げながらネットで話題の簡単レシピを探していると、俺の質問以外終始無言だった相葉が、食後の一服をしながら声をかけてきた。
「お前、帰るんじゃなかったのか?」
「え?」
じっとスマホを凝視していたため、一瞬相葉の言葉が分からなかった。
俺の顔をじっと見つめる双眼を見つめ返していると、苦しいくらいに抱きしめられた感触が身体に蘇る。
顕微鏡で覗いたように、細部まで明瞭に思いだされる記憶に、暑苦しさと気恥しさが同時に押し寄せてきた。
「……だめだってお前が言ったんじゃん。」
お前が言ったんだろと相葉を睨むと、視線を逸らした相葉の煙が俺の顔にふっとあたる。
「まあ、言ったけど……。」
それ以上は話す気がないようで、灰皿に煙草を押し付けながら、さっさと洗面所に向かう相葉の背中を俺も追った。
ざぶざぶと顔を洗っている相葉の背中を見つめながら、聞いていいものかと頭の中で昨日のことを思い返す。
俺が顔を上げた瞬間、相葉が鏡越しに俺を見ているのに気が付いて、タオルを渡しながら鏡の中の相葉に問いかけた。
「なんで?」
「あ?」
「なんで、やだって言ったんだよ?」
「家政婦いなくなると困るから。」
想定外の答えに唖然とした顔で相葉を見ると、俺の頭にタオルをのっけた相葉に意地悪く微笑まれてしまった。
「なんだ、それ?」
「きっちり肉体労働で返してもらうっつったろ?」
相葉の背中を追いかけると、今朝の無垢な表情は一切削ぎ落したいつもの相葉がいた。
「……意外にケチだな。金持ちのくせに。」
いつもの調子が戻っている相葉に少し安心しながらも、テーブルの上に出しっぱなしの食器を流しに運ぶ。
洗い物をしようかと水を出し始めたところで、相葉にすっと右手を出された。
「ほら。」
「ん?」
意味が分からず手を出すと、その手に銀色のカードキーが握らせている。
「何これ?」
「スペアキー。」
「……いいの?」
彼女や家族でもない他人の俺に渡していいものかと相葉を見上げると、俺に背中を向けたまま着替えをしている相葉がくぐもった声を出す。
「いつも家にいるわけじゃねえから。」
「女の子とか家族の人が急に来たりしない?なんて言い訳したらいい?」
相葉の女や家族が押しかけて来たらどうしようと相葉を見ると、軽く笑いながら髪をがしがしとまぜられる。
「来たら追い返せ。誰にも鍵渡してないから入っては来ない。」
そうきっぱりと言い切ると、ベッドルームのほうに行ってしまった。
相葉らしいと言えば相葉らしいが、来客相手に俺がそんな無礼を働いていいわけもなく、なんだか気が重い。
居留守を使おうと心に決めていると、相葉に綺麗にラッピングされた紙袋を無言で手渡された。
「何、コレ?」
「プレゼント。」
首を傾げながらピンク色のリボンを開いていくと、中にはレースがふんだんにあしらわれた純白のドレスのようなものが入っている。
それを広げてみるとどうやら女物のファンシーなエプロンのようで、意味が分からず相葉を見つめる。
「……エプロン?」
「お前に似合うだろ。」
「趣味悪っ!」
それを相葉に向かって投げつけると、楽しそうに笑う相葉を見て、なんだかつられてしまった。
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