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第24話
◆―◆―◆―◆―◆
金曜日に名波先輩と話をし、そして土日の休みを挟めば、もう少し落ち着くだろうと思っていた。
松浦先輩の顔を見ても、逃げたりしない。
そう誓った。
でも、変な逃げ癖がついてしまったのか、月曜日の午前中も逃げ回っている僕がいる。
全部知っている陸は呆れてしまって、昼休みに思いっきり僕の脳天に拳骨を落してくれた。
だって、名波先輩には気持ちを言えたものの、松浦先輩にも同じように言えるかというと…、言えるわけがない。
初めて誰かを好きになって、初めて恋心というものを知って。それだけでもいっぱいいっぱいなのに、告白するとか、何事もないようにポーカーフェイスで顔を合わせるとか、そんな高等なスキルは今の僕にはない。
放課後。
もう名波先輩は来ないかと思っていたのに、今まで通り教室に来たものだから、ちょっとだけ驚いた。
でも、先輩の後ろに松浦先輩の姿を見つけてしまえば、ちょっとどころか、凍りつくくらいに驚いて、やっぱり僕は逃げ出した。
教室のドアから走り出し、全力で廊下を駆け抜ける。
擦れ違う人達が、みんなビックリしたみたいに見ていたけど、そんな事に気を取られている余裕はなかった。
だって…、
だって松浦先輩が追いかけてきたんだもん!
このまま校舎内にいたら、ものの数分で掴まってしまうだろう。
だから僕は、一階の渡り廊下から飛び出して校舎裏へ向かった。
運が良ければ、僕の姿を見失ってくれるかもしれない。
…なんて考えはすぐに消え失せたけれど…。
「ノノちゃん!」
「……ッ」
校舎裏に辿り着いた時点で追いつかれてしまった。スライドの長さを考えれば当たり前だよね。
肩を掴まれて足を止められた時には、運動嫌いの僕はもう瀕死状態だった。
静かな裏庭に、ゼーゼーと荒い呼吸音が響く。
同じ距離だけ走ったのに、先輩の方はあまり呼吸が乱れていない。
何度も深く空気を吸い込んで、ようやく落ち着いた時、それまで掴まれていた手首を引っ張られ、背後にあった校舎の壁に体ごと押し付けられた。
「………」
「………」
普段の緩い先輩からは想像もつかない程に鋭く真剣な眼差しが、真正面から僕を射抜く。
無意識に体が震えた。
「…なんで、逃げるの?」
「………」
「先週から、俺の顔を見ると逃げるよね?…好きだって言ったの、迷惑だった?」
「…違っ」
僕の行動をそういう意味で捉えられていると思わなくて、焦った。
でも、焦り過ぎて上手く言葉にならない。
とにかく、それは違うと言う事だけは伝えたくて、何度も首を横に振った。
「そういうんじゃないんです!そうじゃなくてッ」
「じゃあ何?…なんで逃げるの?」
「…それは…」
居たたまれなくなって口を噤んだ。
そして、また逃げたくなって、先輩に掴まれている腕を引き抜こうと身動いだ。
けれど、僕を見つめる先輩の表情が、眼差しが…、
好きなんだ、と。
好きで好きでたまらないのだ、と。
鈍い僕でさえわかるくらいに、愛情と苦しさを伝えてきたから…。
…力を抜いた。
逃げようとしなくなった僕に気付いたんだろう、先輩はそれまでの真剣な表情に困惑の色を乗せた。
「…ノノちゃん?」
少しだけ不安そうな声。
僕は、名波先輩や陸の事を思い出していた。
逃げちゃダメだ。
本当の気持ちを伝えよう。
ここで頑張れなかったら、男じゃない!
「松浦先輩っ!」
「は、はい」
「僕は…、僕は、松浦先輩の事が、好きなんですッ!!」
こんな叫ばなくたっていいのに。
自分でも呆れるほど子供っぽい告白。
そして、リンゴのように真っ赤になっているだろう顔を自覚すれば、恥ずかしくて今度こそ逃げ去りたくなる。
先輩なんて、さっきまでのシリアスさをどこにやってしまったのか、目を瞬かせて僕を見ている。
絶対に呆れてるんだ。
…と思ったのに。
「え?え?…だって、耀ちゃんは…?」
違ったみたい。
もしかしたら、僕が名波先輩の事を好きだと思っていた?
ひたすら驚いたように僕を凝視してくる先輩に、一度だけ首を横に振った。
「名波先輩には、金曜日に話をしました。…僕が松浦先輩を好きだってこと、名波先輩は知ってます」
「………」
突然先輩は、掴んでいた僕の手を離し、下にしゃがみ込んでしまった。
それまで視界の全てを占領していた先輩がしゃがみ込んだ事によって、妙な解放感が僕を襲う。
この心もとなさは、何?
なにがなんだかわからなくて下を向くと、しゃがみ込んで俯いている先輩がいて…。
髪の隙間から見える耳が、真っ赤になっている事に気が付いた。
………え?
そして、ボソッと聞えた呟き。
「………嬉しすぎて泣きそう」
「…先輩…」
ビックリして、僕もしゃがみ込んだ。
すると、それまで俯いていた顔が上げた先輩が、その端正な顔に必死な表情を浮かべ、
「ホントにホント?今更冗談とか言われても取り消せないよ?」
なんて言うものだから、あまりの可愛らしさに自然と顔が緩んだ。
「本当です。冗談でも嘘でもありません」
言い終わったと同時に先輩が僕にのし掛かってきて、ギューっと抱きしめられた。
二人とも土の地面にしっかりと座り込んでしまったものの、そんな事、全然気にならなかった。
先輩と同じだけの強さで、僕もギューッと抱きしめる。
「…ノノちゃん」
「はい」
「葵って呼んでもいい?」
「……ッ…はい」
また頭が沸騰しそうになった。
更には、
「俺の事も苑って呼んで?」
なんて要望まで出されて、僕が平気な顔を出来るわけがない。
「……はい、…苑先輩」
熱く火照った顔を上げて先輩を見つめ、そう呼んだ。
物凄く嬉しそうに笑う先輩を見て、物凄く幸せになる。
そのまま先輩の顔が近付いてきて、僕は目を閉じた。
そっと唇に触れた、温かな口付け。
優しくゆっくりと何度も繰り返されるそれに、今までに感じた事のないような甘い何かが心を満たしていった。
「名波先輩、いいんですか?」
「…俺にとって、二人とも本当に大切なんだ。だから、二人が幸せならいいと思えるよ。……今はまだ、苦しいけどね」
裏庭に面した二階の空き教室。
その窓から葵と松浦を見下ろしている二人。陸と名波。
名波の顔を見た陸は、その言葉が本心からのものだとわかると、それ以上何も言わずに下を見下ろした。
本当に幸せそうな二人。
陸は、ふわりと柔らかな笑みを浮かべ、隣に立つ名波と肩を竦めあうと、静かにその場を後にした。
~終わり~
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