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第23話
松浦先輩に惹かれている。
自分で、そう認めた。
…認めたんだ。
「あれ、葵、ちょっと待てよ!」
後ろから陸の声に聞えるけれど、それを無視して僕は廊下を逆走した。
今から移動教室なのに、出たばかりの教室へ向かって猛ダッシュ。
…だって…、だって廊下の先に松浦先輩がいたから…。
昨日の昼休みに自分の気持ちを認めてからというもの、恥ずかしすぎて松浦先輩と顔を合わす事が出来なくなってしまった。
結果、こうやって先輩の姿を見かけるたびに、その場所から逃げ出す。
何やってるんだ、って自分でも思う。思うけれど、体が勝手に反応してしまう。
考えてみれば、これは僕の初恋だ。
人を好きになる事がこんなにも苦しくて恥ずかしいものだなんて、僕は知らなかった。
「…ハァ…ハァ…ハァ…」
誰もいなくなった教室に駆け込んでドアを閉め、そのドアに凭れかかって呼吸を整える。
きっと陸は呆れて先に行ってしまっただろう。
いつも迷惑かけて、本当に悪いと思う。でも、今回ばかりはどうにも自分の行動を制御できない。
「…どうしよう」
昨日からずっとこんな調子で、あの鋭い先輩達が気付かないはずはない。
教科書を抱えて項垂れた。
…カタン…
突然、凭れかかっていたドアから小さく音が鳴った。
ビックリして身を離し、一歩後退ってドアを見つめる。
静かにゆっくりと開いたドアの向こうにいたのは、
「……名波先輩」
さっき、松浦先輩と一緒に廊下を歩いていた名波先輩だった。
咄嗟にその背後を見たけれど、松浦先輩の姿はない。
それに安堵している僕ってどうなんだ。
「葵ちゃん。昨日から俺達の姿を見るたびに逃げてるけど、原因は俺じゃなくて、エン…だろ?」
「………ッ」
名波先輩の直球に息を飲み、教科書をグッと握り締めた。
そんな僕を見た先輩は小さく苦笑し、
「最初は俺が何かしたのかと思ったけど、葵ちゃんの目線はエンを見てたからね、わかった」
呟くようにそう言った。
僕の気のせいか、先輩の声がどこか寂しそうに聞こえる。
突然の事に頭の中がグチャグチャになって、どういう表情をしたらいいのかもわからなくて、隠すように俯いた。
「エンもそれに気付いてた。だから…、苦しそうだった」
「……ぇ…ッ」
咄嗟に、俯けていた顔を上げた。
僕の目に映る名波先輩も、苦しそうに眉を顰めている。
そこで気付いた。
…僕の弱い心が…、先輩達を傷付けてるんだ…、と。
自分の事しか考えていなかった。
僕がとる行動によって、先輩達がどう思うかなんて、まったく考えていなかった。
…なんて自分勝手な…。
あまりの愚かさに泣きたくなる。でも、今の僕に泣く権利なんてない。
先輩達の事を傷付けておきながら、まるで自分が被害者かのように泣くなんて、絶対にしちゃいけない。
間違えちゃいけない。
これは、僕が悪い。
「ごめんなさい。…自分の中で混乱する事があって…、逃げてしまいました」
そう言って頭を下げる。
名波先輩からは、優しい溜息が零れた。そして、
「葵ちゃんは、エンの事が好き?」
穏やかなままの先輩から放たれた、逃げられない問いかけ。
さすがに、茫然と固まった。
「…ど…して…」
瞬きすら出来ない程に目を見開いた僕を見た先輩は、一瞬、何かを堪えるようにギュッと目を閉じ、そして、次にその瞼を開いた時にはいつもの優しい笑みを浮かべていた。
「葵ちゃんの表情とか行動、そしてエンを見る瞳。昨日までハッキリとはわからなかったけど、さっきので確信した」
「………」
違います。
咄嗟に言いかけたその言葉を飲み込んだ。
陸の言葉を思い出したから。
僕の本心を告げる事が大事だ、と。それを思い出した。
ここで誤魔化して、そしてどうなる?
誰も先には進めない。
目先の感情だけに囚われて誤魔化し続ければ、きっと全てがダメになる。
…何よりも、先輩達を傷付ける…。
それまで教科書を固く握りしめていた手を緩め、深く息を吸い込んだ。
自分の感情だけでいっぱいいっぱいだった僕は、改めて先輩の顔を見て、そして、自分は本当に馬鹿だったとわかった。
僕を見つめる先輩の眼差しには、包み込んでくれるような暖かさがあったんだ。
本当の気持ちを告げても大丈夫だって、安心させてくれる眼差し。
「…先輩」
「うん」
「僕は、松浦先輩の事が、好きなんです」
「うん、わかった」
笑顔のまま頷いてくれた先輩に、また泣きそうになる。
歪みそうになる口元をギュッと噛みしめていたら、先輩が一言「最後に、一回だけ抱きしめてもいい?」なんて言うものだから、僕の涙腺は崩壊した。
ポロポロと雫が転がり落ちるままに、頷き返した瞬間、まるで波に攫われるように先輩の腕の中に抱きこまれた。
背に回された腕に、痛いくらいの力が込められる。
俯いている先輩の柔らかな髪が頭に触れ、温かな体温に包まれて、僕はひたすら涙を流した…。
どのくらいの間、そのままでいたのか…。
不意に先輩の腕が静かに離れた。間近で見上げた先輩の顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。
こうやって見つめ合っていても、変な緊張感はない。それどころか、物凄く居心地の良い空気が、僕達の間に漂っていた。
「俺が諦めるんだから、二人が付き合わないと怒るよ」
「名波先輩…」
「頑張れ」
「……ッ…はい!」
大きく頷いた僕の頭を、先輩の大きな手がグシャリと撫でた。
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