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安田課長の憂鬱
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※話の冒頭部分と同じですが、途中からがらっとかわっております。
***
私のデスク横に佇む、部下がふたり――仕事がバリバリ出来まくる江藤と、新入社員の中で、最悪に仕事が出来ない宮本が立っていた。
そんなふたりをひと睨みしてから、デスクの上に置かれている13,786円と書かれた領収書に視線を落とす。
「休日を使って、わざわざこんな領収書のためにウラを取りに行くのは、江藤らしいといえばそうなんだがな……。お前は、マルサや警察じゃないんだぞ。ウチのいち社員に過ぎん」
「お言葉を返すようですが、営業一課の問題を起こした部長は地方で接待と言いながら、不倫相手と密会を何度も重ねていたようなんです。ですので、その領収書一枚だけとは限りません」
流暢に語る江藤を見てから、隣に並んでいる宮本を見てやった。私と目が合った瞬間、どうしていいか分からなくなったのだろう。途端に落ち着きをなくして、右往左往と視線を彷徨わせる。
「なんだ、宮本。何か言いたげに見えるが? 弁解の用意くらい出来ているのか?」
いつもコイツは私の顔を見るたびにおどおどして、何もしていないというのに口を開くたび、すんませんしか言えないバカ社員のひとりだった。
「あの……すんません。店の物を壊すつもりは、まったくなかったんですけど――」
ほら、な。またこの言葉だ。もっとマシな台詞のひとつくらい、言えないものだろうか。コイツのすんませんを耳にする度にイラついてしまうから、無駄に高圧的な態度をとってしまうじゃないか。
「安田課長お言葉を返すようですが、宮本が間に入ってくれなかったら、俺が一課の部長に首を絞められ、殺されていたかもしれません」
「は? なんだと?」
「江藤先輩、そんな話は――ふぎょっ!?」
江藤が突然、宮本の口元を左手で覆った。
「何をしているんだ、江藤?」
口元を覆った手を外そうとジタバタした宮本を押さえつける江藤を、渋い顔して見上げるしかない。
「コイツが……宮本が責任を感じて謝ってばかりいるのを、黙って聞いているのが辛くなり、思いきって口を塞ぎました」
「ふん、後輩思いのいい先輩を演じて。そんな奴のために苦労するな」
ケッと思いながら、デスクに頬杖をついてみせた。
「それで江藤、お前は本当に死にかけたのか?」
「はい、そうなんです。そんな俺を助けようと必死になった結果、宮本が店の物を壊してしまった次第です。この件については俺にも責任がありますので、一緒に処分してください」
心底済まなそうな顔をしながら、ぺこりと頭を下げる江藤に倣って、キョドりながら宮本も一緒に頭を下げた。
「そんな風に、頭を下げられてもね。処分を下すのは結局のところ、上の仕事なんだしさ。みっともないからふたりとも、頭を上げてくれないか」
自分のことを『俺様』と言ってる江藤が頭を下げる姿は、明らかに他の社員の目を惹くだろう。こんな茶番に巻き込まれるのは、ご免被りたい。
「さっさと業務に戻れ。お前たちの尻拭いは私の仕事だ。今後、こういうことがないようにして欲しいね」
呆れ返った私の言葉にもう一度謝罪し、丁寧に頭を下げてから去って行く。そんなふたりの会話に、ちゃっかりと耳をそばだててみた。
「んもぅ江藤さんってば、首なんて絞められていなかったのに。相手を殺しかけていたのは、どこの誰ですか……」
「ぁあ゛!? 先に手を出してきたのは、あっちなんだぞ。俺様が制裁しなくて、誰がするんだ? こっちは貴重な休日を使って、仕事に全力を注いでるっていうのに。部長だからって会社の金を好き勝手して、いいワケなかろう。故にアレは社員皆からの恨み辛みを、思う存分に混ぜてやってだなぁ」
「だからってあんな風に、俺まで巻き添えにすることないじゃないですか。店の物を滅茶苦茶にするとか、マジでありえねぇ……」
「宮本、お前の普段の行いを思い返してみろ。俺様が見えないところで、どれだけ苦労しているのか――なので、その恨みを晴らしたまでだ」
(おいおい、どっちが先輩か分かったものじゃないな――)
仕事の出来る江藤を、ここまで翻弄する宮本の仕事の出来なさは、ある意味すごいかもしれない。ふたりがバディを組めば、とりあえず一人前の仕事が出来るのではないかと見込んだが、アテが外れてしまったらしい。
彼らの始末書を作成するのは、これで二度目――あの様子だとまたやり兼ねない。それを他の社員が起こすであろう不祥事と合わせたら、いい数になってしまうじゃないか。参ったな……。
順調に出世街道をひた走っていたのに、くだらない他人の過ちで躓いてしまうなんて。
(そんなこと、絶対にあってはならない。私の人生設計に、狂いを生じさせてたまるか!)
額に手をやり俯きながら、ゆっくりと目を閉じた。考えに集中していく内に、周りの騒音が遠のいていく。
ミスを量産するであろう江藤と宮本のふたりをいっぺんに消すのは、殺りなれている私でも、いささか骨の折れる作業だ。愛する人を誰の手にも触れさせないように、完全犯罪で美しく埋葬することが出来たのは、綿密に練られた計画的な犯行だったから。
まずはどんな理由を作って、私が手を下したのを上手く隠せられるだろうか――宮本の不甲斐なさに悲観して無理心中というのは、江藤の性格上有り得ない。ならば有り得ないネタで考慮するとしたら、ふたりを恋仲にしてみるのはどうだろう。それとも片想いの方がいいか? 想像するだけでも気持ち悪いが、この方がまだ説得力はある。
江藤に片想いした宮本が、報われない恋に悲観して無理心中。バカ社員だからこそ隙があるから、下準備するのはたわいもないだろう。まずは――
「安田課長っ!」
唐突に肩を叩かれ、体を震わせてしまった。良からぬことを考えていたから尚更だ。
「驚かせてしまい、すみません。田所部長がお呼びです」
部下のひとり香坂が、私の様子にちょっとだけ面食らった顔しながら、話しかけてきた。
「呼び出されるなんて、穏やかに話が出来ない証拠だな。よっこらせ」
「今回あった、江藤と宮本の騒動についてですよね。安田課長、お顔の色が優れませんが、大丈夫ですか?」
両手を使って立ち上がった私を、心配そうに見つめる香坂に、にっこりと微笑んでみせた。
さてコイツのあたたかさは、上司に対して胡麻を摺るためなのか、あるいは本物の親切心からなのか。人の心は見えないからこそ、想像力が無限大に広がって面白い。
「出来ることなら香坂に、この役を代わって欲しいくらいだな」
さあこの言葉お前は、なんて答えるだろう。
「ポストチェンジですか。う~ん……、安田課長の立ち位置は苦労が目に見えるので、いっそのこと、田所部長とチェンジしたいです」
(なるほど、それはいい考えじゃないか――)
「香坂にこき使われる日も、そう遠くないかもしれないな。行ってくる」
機転の利く香坂に手を下すのは難しそうだが、田所部長はいかがなものだろう。
葉の上に溜まった朝露が、何かの拍子にぽろりと零れ落ちたような感覚――さっきまで抱えていた憂鬱が、一気に晴れていく。
未来ある若者ふたりに強引な理由をつけて手をかけるよりも、自分のその時の気分ひとつで部下に嫌味を言いまくる、厄介な上司を潰した方が精神衛生上いいじゃないか。しかも空いたポストに座るのは、営業成績からいくと自分になる可能性が大いにある。
そうなると今回の一件をないものに出来るという一石二鳥に、自然と笑みが零れてしまった。小脇には嫌味の素材となる、始末書を抱えているのにだ。
平社員を統括するように置かれたデスクに、一歩ずつ近づく。俯かせていた顔を上げて、奥歯をぎゅっと噛みしめた。田所部長をどう調理するかを考えただけで、湧き上がってくる微笑をバレぬ様に、神妙な面持ちを作り込む。
私と目が合った途端に、田所部長は苦虫を噛み潰したような顔をした。予想通り今日の小言は長くなりそうだが、それでも一向に構わない。
「遅かったじゃないか、何をやっていたんだ安田課長」
「部下から、詳しい状況の報告を受けておりました」
「そんな終わったことを延々と聞いているなんて、時間の無駄じゃないか。大体君は――」
電気ショック、絞殺、転落死、溺死、アルコール中毒死、火あぶり……小言が続いている間、調理方法になる大きなルーレットを頭の中で妄想し、ぐるぐると回していく。もう下がってよしと言われたところで、光り輝く所がそれとなる仕組みになっていた。
「聞いているのかね? 反省の色が見えないが?」
「……申し訳ございません」
蛍光灯の光を反射させた禿げ面に、ぺこりと小さく頭を下げた。一瞬だけ口元に笑みを浮かべてから真一文字に引き結び、困惑の表情を作って顔を上げる。
田所部長とトラブルを起こしているこの状況すら、完全犯罪を目指す自分にとってのスパイスだ。小言が多ければ多いほど、味わい深くなる。
手にしている始末書を渡すタイミングを計りながら、効率のいい調理法を謀る。煩わしさだけしか生産出来ないコイツを入念なまでに完璧で、より一層美しいものへと還るために。
【了】
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