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第1話
俺には好きな人がいる。だけどその恋は決して叶わないだろう。
俺、鷹栖遙真 は都内食品会社勤務の26歳。入社3年目のまだまだ新人だ。
営業部に所属し、主にスーパー等に新商品のサンプルを渡して扱ってもらえるように毎日歩き回っている。
成績は中くらい。可もなく不可もなくだ。しかし、上司は更に上を目指せと言ってくる。
俺も頑張ってはいるがなかなか成績は上がらなかった。
今日も外回りを終えて、社に戻ってきたところだった。
自分の席に座って、クルクルと椅子を回しているとそれを止められた。
「はる、子供かよ」
「っ、トキ!」
柴時経 。俺と同期入社で、経理部だ。そして、幼馴染でもある。
実家が隣同士で産まれた頃から一緒に育ってきた腐れ縁というやつだ。高校は別々だったが大学になってまた同じ大学に通うことになり、そのまま就職先も同じになった。俺個人としては、ラッキーとしか言いようがなかった。俺には、トキに言えない秘密が一つあった。それは、トキを恋愛対象として好きだということ。子供の頃は、トキの方が背が低かったし、女の子のような容姿をしていた為、その頃から好きだと思っていたが、きちんと実感したのは中学の時の体育祭の時だった。徒競走で転けた俺をトキがおぶって保健室まで運んでくれた。些細な事だったが、その頃のトキは既に俺よりもガタイも良く背も高くなっていた。恥ずかしい話だが、その行為にときめいてしまったのだ。それからは、トキの事ばかり目で追ったし、考えた。自分がおかしいんじゃないかと悩んだが、トキをおかずにして自慰行為をした時は、いつもより興奮した。もう、自覚せざるを得なかった。それから十数年、俺はトキに片思いをしている。
「メール送っといたから読めよ。後、昨日の申請書の内容間違ってたぞ」
「うわ、マジ!?速球に直しときます」
「宜しく頼むよはるくん」
180の長身男が見下ろしてくる。昔は俺の方が高かったのに!悔しい思いを込めてキーボードを叩いた。
「定時後って空いてるか?飲みに行かねぇ?」
「っ」
内緒話するように小声で耳元で囁かれる。そんなことしてくれるな。心臓がうるさくて仕方ない。
「あ、千鶴も一緒だけどいいか?」
「あ、そっか。うん、大丈夫」
そして、急激に体温が下がっていく気がした。千鶴ちゃんは、トキの彼女で婚約者だ―――。
*****
定時にどうにか仕事を切り上げて、会社前で二人を待つ。5分もしないうちに二人が出てきた。木ノ本千鶴 ちゃん、トキの婚約者で、俺たちの一個下の25歳。トキとは大学の頃から付き合っている。先月婚約したとトキに聞かされたばかりだ。そして、彼女に会うのは久方ぶりだった。
「はるさんお久しぶりです」
「久しぶり、千鶴ちゃん。同じ会社なのに中々会う機会ないよね」
千鶴ちゃんも俺たちと同じ職場に勤めている。それは、トキが務めているから同じ職場にした、というのもあるだろう。しかし、見事に入社出来た事は千鶴ちゃんの努力の賜物だと思う。
挨拶もそこそこに、俺達は行きつけの居酒屋へと向かった。カウンター席が4席と、座敷が2つとこぢんまりした居酒屋だ。俺たちは子質の方に座り、それぞれ俺とトキはビール、千鶴ちゃんはウーロンハイを頼んだ。
「遅くなったけど二人とも婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
「何かくれよなー、はる!」
「また今度な。今日は急だったから何も用意出来てない。悪い」
そんな話をしていると飲み物が運ばれてきた。それぞれ受け取り、乾杯をする。
「じゃあ、二人の婚約を祝ってかんぱーい!」
「乾杯」
「乾杯!」
ビールをグググッと飲み下す。口内に程良い苦みと炭酸が広がった。それから料理を何種類か注文した。会話の内容は自然と二人の婚約の話題になった。俺は、トキのプロポーズの言葉が知りたくて、千鶴ちゃんから聞き出す。
「何処でプロポーズされたの!? 千鶴ちゃん」
「えっ!? えっと、横浜のみなとみらいの大観覧車の中で…苦労掛けるかもしれないけど俺と結婚してくれないかって」
「おい、マジやめろよ千鶴! 恥ずかしいだろ!」
「俺とお前の仲だろ、今更隠し事は無しだろー!」
カラカラと笑って見せるが、内心嫉妬で気が狂いそうだった。俺はそれを誤魔化すようにビールを煽った。それからは会社の話何かで時間が過ぎる。
「はる、お前は彼女作らないのか?」
「んー、今はいらないって言ってるだろー?」
「それ大学の頃から言ってるだろ」
「今充実してるからいいんだよ。幼馴染は結婚するし、俺自身も仕事楽しいしちょーはっぴー!」
グラスを持とうとしたが誤ってビールを机や床、ワイシャツにぶちまけてしまった。千鶴ちゃんが慌てて俺の服を拭いたり机を拭いたりしてくれる。
「わ、ちょっとトイレ行ってくる!!」
そそくさとに逃げる様にトイレに駆け込んだ。濡れた服が貼り付いて気持ち悪い。けれど、替えの服なんか持ってきていない。ビールの香りのする服で顔を拭った。汗を掻いたから。
「っ、馬鹿じゃねーの……」
「はる、大丈夫か?」
「と、トキ!? 千鶴ちゃんは!?」
個室トイレの外からトキの声が聞こえた。声だけでトキだってわかる自分も今はなんだか腹立たしい。
「お前が心配だったから様子見に来た」
「大丈夫だから。俺、先に帰るよ。服着替えたいし。千鶴ちゃんにまた埋め合わせするって言っといて」
「解ったけど…何で出て来ないの」
「お前帰ったら出るから」
「何、お前本当にどうしたの?」
俺は大丈夫だから早く行って欲しい。こんな顔、トキには見せられない。トキは優しいからきっと心配する。きっと千鶴ちゃんよりも俺を優先させる。それだけはだめだ。千鶴ちゃんを傷つけるし、俺も…辛くなるだけだ。
「ごめん、今トキの顔見たくない」
「…さっきの怒ったか?」
「違う。俺の事情だから気にするな」
早くこの場所から立ち去りたい。逃げ出したい。これ以上トキと話してると俺は――…。
「お前のせいで俺は報われない! 俺は…俺は……!!」
…やってしまった。俺はトイレから出て一目散に逃げ出した。トキが俺を呼ぶ声が聞こえたが振り返るのが怖かった。居酒屋を後にして一目散に家に帰る。住み慣れた一人暮らしのマンションの鍵を開け中に入る。心臓が爆発しそうな程高鳴っていた。
「もう、終わりだ……全部終わりだ……」
俺はその場で泣き崩れた。
*****
次の日、会社に辞表を提出した。数日で引継ぎを終えて逃げる様に会社を辞めた。
同時に今借りていたマンションも引き払い都内から父方の実家がある福岡に引っ越した。
携帯番号も変えた。これでもう、トキと顔を合わせる事も、連絡を取る事もない。これで良かったんだ。
それから俺は就職先を探して何社か面接をした。前職を生かして、営業職を選んだ。そして、大手IT会社のグループ会社の営業に就く事となった。
どうにか職が決まり、親に連絡を入れた。急に仕事を辞めた事や田舎に越した事に突っ込まずに喜んでくれたのには助かった。
『そう言えば、時経君が来たからあんたの住所教えといたわよ』
「は!? 何してんだよ!?」
その時、家のチャイムが鳴り響いた。ドキリとして玄関を見つめる。
「ごめん、人が来た。また掛ける」
そう告げて電話を切る。ゆっくりと歩き、玄関のドアを開けた。
「なん、で……」
「急に会社辞めるし、引っ越すし…お前どうしたんだよ?」
あぁ、そうだ。トキはこう言う奴だった。どんな時でも俺を心配してくれた。だけど、今はそれが辛い…。
「俺は、お前を避けたんだぞ!? なのに何で来るんだよ!? 解れよ!」
「解んねぇよ! お前が名に考えてるか! 言えよ! 教えてくれよ!」
ギリッと奥歯を噛みしめた。俺は捲し立てるみたいにヤケになって叫んでいた。
「俺は、お前が好きなんだよ! ずっと昔から! でもトキはそうじゃない! こんな勝手な片思い言えるわけないだろ! ずっと我慢してたのに何なんだよ…俺の心を乱さないでくれよ…!」
最後の方は泣けて来て、涙声になった。だけどそんなの構うもんか。もう、気持ち悪がられて嫌われた方がいっそすっきりする。
「別れて来た」
「……え?」
「千鶴と別れて来た」
「何で……」
「千鶴より、お前の方が心配だったんだよ」
何それ。訳が分からない。俺はトキを睨み付ける。
「同情なんかいらない」
「そうじゃない、俺はお前が大事なんだよ、大切なんだ…」
「何、それ。俺お前の事好きなんだよ? 変に期待するよ? キモいだけだろ!」
腕を引っ張られて、気付いた時にはトキの顔が間近にあった。唇に柔らかいものが触れている。俺は、トキにキスされていた。
「キモくない。俺は…お前とキスしても嫌じゃないし、好きて言われて正直嬉しかった」
「……トキはこっち側に来ちゃいけない。今すぐ千鶴ちゃんに謝って…」
「嫌だ、お前を失いたくない」
抱き締められて、また唇を重ねられた。啄むようなキスが続く。耐えきれなくなり、俺はトキを引き離す。トキのこれは、気の迷いだ。俺に好きだなんて言われたから混乱してるだけなんだ。ドアノブを掴み、勢いよく引っ張った。俺とトキの間に大きな壁が立ちはだかった。
「…また、来る。俺、お前が受け入れてくれるまで来るからな!」
そう言い残してトキは去っていった。へなへなとその場にしゃがみ込み、手で口を覆う。トキにキスされた。それが夢の様で、嬉しい反面複雑だった。好きなんて言うつもりなかった。こんなの予想外だ。こんな事で俺、明日からの仕事を乗り切れるのだろうか。トキの言葉ばかりぐるぐると頭を巡回する。少しは期待してもいいのだろうか。…解らない。
のそのそと立ち上がり、キッチンへと向かう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し一気に煽った。期待するな。俺は一人で生きていくと決めたんだ。そう、繰り返し唱えていた。
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