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伸之の場合
仕事帰り、歩き慣れた道がいつもとちょっと違って見えた。あちらこちらに目にする、今にも甘い匂いがしてきそうな煌びやかな看板や、それに群がる女の子たち……
「そっか、もうじきバレンタインか……」
伸之はこれまで愛を囁きあうような恋人なんていたこともなかったし、会社内でも女子社員一同から、という名目でお情け程度のチョコレートを貰うくらいで、バレンタインには何の思い入れもなかった。昨年に至っては「こういう気の使い方はやめましょう」と言うことで女子社員からの義理チョコ配布すらなくなった。これはホワイトデーのお返しを考えたら廃止になって良かったとも思えるのだけれど、これで伸之はすっかりチョコを貰う機会はなくなったことになる。
目に留まった看板につられて、なんとなく伸之は店内に足を踏み入れた。周りは会社帰りと思しき女性ばかりで、伸之のような男性客は殆ど見えなかった。巷では男性も自分でチョコを買うようになったと聞いたことがあるけど、それでもやっぱりこんなものなのか……とすこし恥ずかしくなりながら、ショーケースに並ぶ繊細で艶やかなチョコレートの数々を眺めた。
伸之がなんとなく……で店に入ったのには本当のわけがあった。最近できた恋人の充にチョコをプレゼントしたらどう思うかな?とちょっとわくわくしてしまったから。
長いこと片思いをしていた──
告白をして一度はフラれたものの、諦めず充の側にいてやっと振り向いてもらえた。それからの毎日はもう幸せいっぱい! バラ色…… とは言わず、ずっと近い位置にいたせいか、伸之も充も今までとなんら変わらない毎日を過ごしていた。今まで通り、仕事の終わり時間が合えば一緒に食事をして充の家まで送ってやる。少し家にお邪魔してお喋りをしたり、帰るのが面倒になればそのまま泊まったりもする。伸之の家に充が泊まる事もこれまで通り何度もあった。今までと違うのは、二人はもう「親友」ではなく「恋人」ということ。それでもシャワーを浴びようが一緒のベッドで寝ようが、そういう甘い雰囲気になることはなく、充は一人すやすやとあどけない寝顔を見せて眠ってしまうから、いつも伸之は一人悶々とするしかなかった。
そう……晴れて恋人同士になったものの、ちっとも「恋人」らしいことはしていない。キスですら、お互いの気持ちがわかったあの瞬間のキス、一度だけ……
付き合う前と何も変わることのない毎日にちょっとは変化をつけることができるかな? と淡い期待を込めて伸之はチョコを選んだ。
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